生ビールミュージカル 公演情報 宇宙論☆講座「生ビールミュージカル」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     一見ハチャメチャと映りそうだが、相当方法的である。(少し追記5.5)

    ネタバレBOX

    中盤までに出される様々なテーゼについての答えが総て「だってミュージカルだから」という解答に集約されてゆくのは、無論、終盤との対比を前提として構成されていると考えられる訳だし、随所に散らされた含蓄のある科白や極めて深い洞察に満ちた科白等からも作家の表現する者としてのポテンシャルの高さは想像できる。
     板上に用意された舞台道具は殆どが段ボール箱だが、我々の生活の中で用いられるこの素材の雑多な有用性や、追い詰められた人々の用いるセーフティーネット用品としての在り様が観客の頭にも直ぐ浮かぶだろう。それは単に用途の多様性からも来る雑多な感じや地味な色調ばかりではなく、所謂段ボールハウスのイメージをも、想起させる。
    この事実こそ今公演をバッカスの香に浸し、溶かし込みつつ、人生の苦味という大人のテーゼへと見事に抽出してくる装置なのだ。科白はチョメチョメ部分も出てくるが、XXこ、とXXぽという単語が科白として吐かれる時、破裂音の“ポ”がマイクに与える音響効果と“こ”が与える音響効果の差についての論議が行われていたり、“大人になると生SE○して子供作るんだけど、心が繋がらないから大人は嗤うんだ”というような深く苦い洞察が光る。また25歳で亡くなった愛娘・たま子の死に臨んで母は言う。「どうせ、家を出て行ってしまうのだし、一緒に居られる時間なんてそんなに長い訳でも無いのだから、亡くなったからって大して気にすることじゃない」と。だが、同時に彼女はこうも漏らすのだ。「あたしがお婆ちゃんになる頃、この子はおばさんになっている。そんなおばさんになった娘と一緒に、伊勢丹へ行ったり、温泉に出掛けたい」と。即ち最初の科白は反語で、強がっていなければ砕けてしまいそうな母の、精一杯の強がりが言わせた言葉であり、子を失うという辛さが、母の時間を止めてしまうほど強い悲しみであることを示しているのは、誰の目にも明らかであろう。
     これら総ての要素が、バッカスの香りに溶け、表現の本質上最も大切な自由を絶対的価値として追及するアナーキーな視座を観客一体の中で上演作品の構造に取り込んでいる演劇形態そのものの、実験性と面白さも評価したい。

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    2019/05/05 01:49

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