韓国現代戯曲ドラマリーディング Vol.9 公演情報 日韓演劇交流センター「韓国現代戯曲ドラマリーディング Vol.9」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    [少年Bが住む家」を観劇。最終日のシンポジウムに来場した作者はおっとり系書斎派に見え(あくまで外見)、戯曲が醸している鋭さとギャップあり。先日観たのと比べて非常に分かりやすい(比較対象の問題か)家族の物語。犯罪当事者(加害者)の一人となった息子(デファン)を持つ父母、外で暮らす娘(息子の姉)、通り向かいに越してきた妊婦らが登場。屋根裏に住まわせた息子を巡っての夫婦間のピリピリとした空気、その緊張の奇妙な緩和の仕方、外界への警戒心、それら病み=闇を覗かせる人物の心理を丁寧に描いていた。
    3作の内1作を断念、残りを選ぶのに迷ったが新国立研修所出身の荒巻女史が出演の今作に決める。能天気な娘役だが最後には家族を日の当たる場所へ連れ出す役回りを予感させる、太陽の存在で照明も暗めのドラマに華をもたらし、個人的に満悦至極。
    「判りやすさ」もさりながら役者皆的確に演じ、動線や舞台処理、衣裳の色彩、褐色系の照明もうまく使って視覚的な効果も高い。主人公デファンにはその化身のような存在が二人居て(黒装束)、台詞を言う人物のそばに移動して見守ったり、デファンの心理や潜在意識を表すかのようで(戯曲指定でなく演出との事)。少年Bの「B」とは主犯格をAと言うのに対して受動的、消極的に事件に巻き込まれた人の符丁として用いたらしく、シンポジウムで言及された昨年の瀬戸山美咲の「残り火」(交通事故の被害者と加害者との間にどのような「償い」と「赦し」があり得るのかを問うた昨年の秀作)に通じる。本作では加害家族は精神的に十分な「罰」を被っているように見え、「人の噂」「偏見」といった世間の冷たい風は被害者よりは赤の他人が吹かせている事を想像する。娘を除いた家族が、罪状の前に自ら伏しているというのが、日本ではあまり書かれない設定であるかも知れない(加害者がのうのうと生きている、法的に裁く事はできないが法の埒外で加害者に罰を与える方法はないか・・を探る視点が圧倒的だと思う)。そう言えばイ・チャンドン監督「密陽-シークレット・サンシャイン-」がこのテーマを独特な味付けで描いていた。

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    2019/01/29 05:56

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