ボードゲームと種の起源 公演情報 The end of company ジエン社「ボードゲームと種の起源」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    まだ観劇二度目のユニット。今回はチラシが手元に早くあり、予定が立った。ジエン社の舞台とは作演出・山本氏の思索の演劇的展開(演劇的手法の探求も含む)、という印象を持っていたが、期待に違わず「知」が勝った内容。もっとも、吐かれる言語は晦渋でもなく、ただボードゲーム関連の専門用語(運ゲー=運命ゲーム、勝敗が運任せ。など)がほぼ説明抜きに使われる。ボードゲームについて思索する人物の姿は見られたが、その思索がドラマの結語を捻り出す訳ではなく。もっと手強い難問、即ち人間なるものが「彼」の周囲に居り、問いを仕掛けてくる。
    芝居はコンパクトに一時間強、Arts Chiyodaらしい?試作品の趣きであったが、無駄なく濃密な一時間を作った。この会場(地下)は廊下に接したただの四角い空間だが、意外にも劇空間をうまく補い、秀作が産まれる。(サンプル『ブリッジ』、ナカゴーを思い出す。)

    ネタバレBOX

    ボードゲームやそれを創ったりテストに掛けて改良していく人達のグループがあり、それらをくるめたボードゲーム界隈の事情が話題にのぼるが、これを対話式に思索プロセスを辿る側面と、自らもゲームを作成する登場人物(唯一の男性)と三人の女性との奇妙な関係を紐解いていく側面が並行し、後者が見せる関係性の表情がとても面白く、時に美しい。メンヘラな世界にも見えるが人間の心理の一枚裏で渦巻くドラマを、ひっそりと眺める感覚でもあり、「人間」の輪郭が仄かに見える、というか想像させるのが新鮮である。

    「男」には妹がおり、親の影が薄い分、妹は兄をより自由に、つまり男性としても見る視線を弄び、持て余している。また、父母の居ない空き部屋にはもう一人女がどういう訳か住み着いていて(自分の事を語らず身元不明)、ツンデレのこじれたリアクションを常に「男」に対して取る。そして、ボーゲ・フリークで自らチロルと名乗る「妖精」(何百歳になると真顔で話す)が、ある集まりの帰路を「男」に付いて来たため、このとき家の中には三人の女と一人の男が居る。
    男はボーゲ、ないしその理論(思想?)には自負があるが世間的な成功を手にしているとは言えない、そのはざまを揺れるナイーブさを持ちながら、「他者」である個々の女性との間では筋を通す事を要請され、葛藤の中から一歩出ようと内心足掻いている、という様子などおくびにも出さず、憂いを帯びている。
    身上不明の女はそんな「男」の優しさを当て込んでいる、くせにその優しさに苛立っており、そういう自分を客観的に見る諦観も合わせ持つも、男を責める口を止められないループ状態。
    妹は引きこもりで完全に兄に甘えているが(甘えさせてくれる兄でもある)、知的に秀でた兄を憧憬してしまう妹の特性を体現し、社会のしがらみを逃れた箱庭空間で「自由」の時が続く事を願っている、そのループ状態。兄の方も、妹との二人暮らしの円環に安定を見出しているとの疑惑を他の女に指摘さる(「異性」への関心をも充足させる・・性的関係がなくとも)。
    自称妖精は、(小倉優子ではないが)奇異に見られる事を意に介さず、自己完結し、割り切った者が(年齢に関わりなく)有する独自の観察眼でまっすぐ相手を見据え、やり合う。この存在がボードゲーム(界)の解説を担ったり、他の二人を観測する定点的役割を(実に変則的に)担う。
    終盤、「あの人は何?」と妹に兄が問われるツンデレ疑惑女が、「男」にとって唯一向き合うべき「他者」であるらしい事が浮かび上がるあたりが、加速要因となり、変らぬ日常な風景(4人がボードゲームをやっている)に「恋愛」の色がふっとよぎった瞬間、暗転・終幕となる。
    ボーゲ論議が途上にある事が、逆に効いてか、人生の問題は途上にあるとの余韻を残す。語り尽くせない事柄を一くさり語り、ここで一区切り。また改めて語り合おう・・。「思索」がこのあとも続く事は確かなようで。

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    2018/12/15 09:30

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