『骨に触れる/スティレットと潜熱』 公演情報 裃-這々「『骨に触れる/スティレットと潜熱』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     作家がちょっと背伸びをしているように思う。

    ネタバレBOX

     「スティレットと潜熱」というタイトルの作品との同時上演で、各々の作品が互いのスピンオフになるということのようだが、裃という漢字が、フリガナ無しでどれくらいの人に読めるのだろうか? という疑問を含めて、矢鱈難しい概念を使いたいようである。スティレットとは、自分の知る範囲では、刃の無い、刺すことに特化した短剣という認識だが、潜熱も物理学の用語で、物体が相変化する際に必要な熱量のことで、水が100℃から蒸気になるのに必要な539カロリー/gとか零度の氷が零度の水になる為に必要な80カロリー/gなどを指す。無論、可逆的概念だ。用語解説はこれくらいにしておこう。
     自分が拝見したのは「骨に触れる」だが、上演されるのは、6畳ほどの和室で中央に布団が敷きっぱなしになった若い女教師(チヨ)の部屋。長辺下手奥に机、上手奥にはかなり大きなぬいぐるみが2つ。布団の客席側に卓袱台。卓袱台の上も布団の周りも空き缶だの塵だのが散乱している。2階に上がったとっつきの部屋で仕切りを開けた短辺側と下手壁際に観客席がある。
     チヨは、ノートパソコンを膝に載せて時折文章を打ち込みながら、訪れたテンコの弟と話している。テンコは亡くなったらしく、弟は姉と同居していたチヨに通夜に出てくれるよう頼みに来ている。然し、姉の遺体は見付かっておらず、失踪しただけで生きているかも知れない、との憶測が成り立ち得る仕掛けだ。ところで、チヨは、余り料理もしない。ちゃんと食べているのか否か弟が心配してちょっとした手料理を作りに時折階下へ降りてゆく。弟が居ない間に、チヨとテンコの関係が明らかになってゆくのだが、実はカニバリスムの話である。チヨが食べている唯一の肉はテンコの身体であり、冷凍庫を開けてならないのは、そういう意味だ。このようなことになったのは、テンコの考える愛の形は愛することは、愛する者を食べることで、それは“愛した人に食べられたい”ということであり、それを望んだからである。仕掛け人はテンコ。テンコと弟は表面上ぶつかり合っているが、実は近親相姦願望があったのではないか、と疑える。アンヴィヴァレントな感情が渦巻いているからだ。而も弟がチヨを愛したいと望んでいることをテンコが知っていたとすると、チヨを介して最終的に弟に食べられるという所迄持って行ける可能性が出てくる。
     一方、作家は、其処まで具体性を持たせたい訳では無かったようだ。だが、テンコの愛の形が上で説明した通りのものであったのならば、テンコとチヨはレスビアン関係ということになろう。而も若いテンコの自死の理由として愛の成就をそんなに急ぐ必然性は描かれていない。この辺りに今作の作品としての弱さを感じる。どこにも必然性は描かれていないからだ。
     もし作家の言うように、具体的な事象をイメージしない作品だとすれば、作品のテーマは空虚ということに成りそうである。何故なら根拠も何も無い“虚数空間”の周りを、いつ果てるともなく巡る悍ましい輪廻が描かれているということになるであろうから。そこには、骨が無い。だからこそ逆説的にこのタイトルなのではないか?

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    2018/11/26 23:16

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