朝日のような夕日をつれて【STAGE COMPANY】 公演情報 株式会社STAGE COMPANY「朝日のような夕日をつれて【STAGE COMPANY】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    丁度、三層の風邪薬のような構造を為している。コアにベケット、中央に鴻上,そして外側につか。Mヴァージョンを拝見(追記2018.11.11 12時半) 

    ネタバレBOX


     無論、これには訳がある。下敷きになっている作品がベケットの「Waiting for Godot」それを下敷きにしながら書かれたのが鴻上の「朝日のような夕日をつれて」で、これをつかの所で長い間演出をしていた今回の演出家、逸見 輝羊が演出しているのだから。序盤に殊につか風の作劇法が見えるのは、この為であろう。
     ところで、今作がこのような構成を採っているのは無論偶然などでは無い。優れた脚本というものは往々にして、ある種の可塑性を具えているものであるが、殊に今作の下敷きになっているWaiting for Godotには、大きな可塑性がある。というのも、エストラゴンとウラジミールがしていることと言えば待つことだけだから、待つ間にどんなことをしようが構わないのである。鴻上は、このことを良く理解し先達の業績をキチンと踏まえた上で、敬意を籠めて用いている。その証拠といっては何だが、みよこという名の女性は、Godotと同様頗る大切な役名だが1度も登場しないばかりか、特定のメッセンジャーが居る訳でもなく、立花トーイの幹部社員達相互の次期社長の椅子獲得競争、名誉、愛の的としてのマドンナゲット等、丁々発止の駆け引きの中に齎される情報に過ぎない。而も噂噺よろしく語られる彼女に纏わる話が、謂わば“神”としての情報を示しているのであり、知的領域に於けるフェテシズムを、金の持つフェティシズムと殆ど同等の要素として極めて重要な転換の鍵を為している。即ち真相は闇の中でも、実際に様々なことが起こり得る強力で魅惑的で謎めいた磁場のような作用を果たしている点でGodotの女性バージョン乃至はi二乗イコールマイナス1を出来させる虚数の相方と観ることもできる。逸見は、無論これら2人の狙いと深さを重々理解した上で、時代の息吹と切迫感を取り込む為につか風にアレンジしているのだ。舞台美術がゴドーには用いられていた1本の木すら無いことに注意したい。これは、現代日本の干からびた精神風土や、文明が齎した自然破壊を象徴しているのみならず、我らの未来を暗示しているのは当然である。同時に、今作に於いて真にフェティシズムの二重化が為されているとするなら盛られた物語が、ここに表現されたような形を取るのは必然である。ゲーム、それもコンピューターゲームという、ある意味人間の本質と見事に照応したジャンル(人間とは遊ぶ動物であるという定義さえ成り立ち得る)の話でありそれが単に身体や精神、知恵のレベルに留まるのではなく、知の周縁であるコンピューターというゼロといち2つの値を演算する装置との関連で捉えられ、人間という生命とある種の合体を遂げる世界観を提示している点でも、その根拠をDNAの4つの塩基に置いてその相似性を指摘している点でも極めて興味深いのである。
     また、これらの論理を有限枠の中に収める為に、リーンカーネーションを物質的に捉えることで分子の数を有限個の範囲内で措定、無窮の時間を想定し、同じ組み合わせが成立し得る可能性をゼロではないとしている点も重要である。

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    2018/11/10 08:04

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  •  実に面白い作品に仕上がっています。
                ハンダラ 拝

    2018/11/11 12:36

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