会津藩家老  西郷頼母 公演情報 劇団め組「会津藩家老 西郷頼母」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     テクノロジーの発達を意識せず、また滅びゆく幕府に肩入れした松平 容保は、暗君だと思ってきたのだが、個人的には、中々優れた人物であったようだ。認識を新たにするかも知れない。何れにせよ、未知の領域を多く抱える時、為政者が心を砕くべきは、領民の安寧である。そのことに真に気付き実践した所に西郷 頼母の偉さがあった。同時に人が人として十全に生きるに必要なのが、自尊心であるから、生き死にに直結することを賭けて矜りを保つか否かの選択は簡単でないことも、容保及び会津武士の生き様に良く描かれている。(追記後送)

    ネタバレBOX

     1853年6月のペリー来航以来、日本は開国を迫る列強の前に上を下への大騒ぎ。翌年3月には日米和親条約調印を機に開国の運びとなった。日本が西欧近代の荒波に晒されることになった訳だ。この当時、英仏を始めとする西欧、ロシア、そしてアメリカは、産業革命やフランス革命の大々的影響を蒙り、民族主義に裏打ちされた経済の膨張から余剰生産物の販路を求めると同時に原材料調達を目指して植民地開拓を盛んに行っていた。
     一方、鎖国によって海外との窓を狭め、海外からの情報にも疎く内政にのみ焦点を絞ってきた幕藩体制そのものの屋台骨が既に劣化していたにも拘わらず、そのことの危険に気付く者が多かった訳では決してない。佐久間象山などの他、琉球を通じて海外情報を握っていた薩摩藩、英国との衝突を通して列強の実力を知った長州藩、龍馬を輩出した土佐藩、藩政改革が早く開明的と看做され薩摩藩とも同盟を結んでいた肥前藩からは大隈重信が出ているが。
    明治になってからの藩閥政治を主導したこの四藩のうち、肥前だけは戊辰戦争以降余り討幕運動に熱心だったという訳ではないものの、統幕の中核を為した薩長、殊に薩摩藩の動きが今作に深く関わっている。無論、幕閣の中にも勝海舟、小栗上野介ら優れた人材が在ったが、小栗は若くして殺された。龍馬が世界に目を開いたのが勝の影響であったことは広く知られていよう。
     何れにせよ、ペリー来航から僅か十数年程の間に、日本の歴史は大転換を遂げた。今作は会津藩主松平 容保が明治に至る鳥羽伏見の闘い・戊辰戦争辺り迄を話の中核として展開する。

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    2018/10/29 11:16

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