となりの事件 公演情報 シアターノーチラス「となりの事件」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     この劇団の、この視座でしか描けなかった世界。(華5つ☆)

    ネタバレBOX

     メーテルリンクの「青い鳥」が冒頭をはじめ随所に挿入されて散文詩のような構成になっているのが興味深い。韻文詩と異なり、散文詩はその形式が比較的自由であるばかりでなく、散文の特徴である客観的事実や事象を描くのに適していることは、母音の矢鱈に多い日本語以外の詩について多少深い勉強をしてきた人間には当然の認識であろう。今作でもこの辺りの文学的事情が上手に用いられている。
    というのもシアターノーチラスの作品自体が群像劇を標榜しているということがあり、現代日本を生きる普通の人々の微妙な生活感覚や他人との距離感、個々人のメンタリティー、時に個々人の中にある価値観やメンタリティーの強弱なども描き出して見せてくれるのだが、今作では特にこの辺りのホントに微妙で日本的な躊躇が齎す非行動の意味する所を、他の方法では描くことさえ適わなかった形で形象化してみせた。
     日本人には主体性が無いとか、自分の意見を表明しないとか、何を考えているのか分からないという言葉は良く聞く。喋らなければ或いは自己主張しなければ、存在自体を認められないような社会ではないからだと言えばそうなのだろう。然し、これは日本人の傾向として特にファクトに向き合おうとしない生活態度から来ているような気もするのである。何だかんだ屁理屈をつけては目の前の問題から逃げることばかり考えたがるのが日本人の特質なのかも知れない。早いうちに手を打たないから問題が肥大化して手が付けられなくなるのだが、そのような知恵はファクトと向き合い対決してきてこそ生まれる。最初からそこを無視して逃げてばかりいる人々には手遅れになってからアタフタする他に道が無いということも事実であるから。こんな日本人を彼らはと言えば、憎まれ口も防げようが、敢えて言っておく。日本人の大多数は、見ようともしなければ聞こうともしない。何を? ファクトをだ!
    その結果がF1人災であり、加計学園問題であり、カジノ誘致問題であり、憲法9条を護る伊ことを主張しながら、沖縄に犠牲を押し付けることについては同時に問わない姿勢であり、ちょっと古い所では裕仁の戦争責任問題看過問題等である。
     何れにせよ、今作板上には正面奥に背凭れ付きの椅子が7脚置かれているだけであとはフラット。登場人物が必要に応じて椅子を板上に持ち出し、対話相手と適当な位置、距離を取って己の座る場所に椅子を持っていって座る。歩行や座った状態での演技が殆どなので、細かい表情や、決して大げさは無い科白の意味する所、科白と科白の間にある何かを如何に解釈するかが観客の作業である。
    様々な襞に覆われ、認識の果てに不可知論に陥りそうな場所で、各々の登場人物が何をどのように考え、或いは感じ、どのように生きているのか? 各々は各々の生を本当に選んでいるのか? 選ばされているのか? そのどちらでも無く単に流されているのか? 流されているのだとすれば、その時彼らを流しているのは、何か? 等々多くの疑問が湧いてはシャボン玉のようにはじける現実のように物語は進んでゆく。或る意味とても恐ろしい物語である。そしてその恐ろしさは、頭の中身が無いムカデが己の進みゆく先を一切顧慮せず、絶滅という淵に只管進みゆくのみであるにも関わらず、己の行為の結果も、己の行動の簡単に予測できるハズの未来も、唯現実に向き合おうとしないことが原因で、必然的に起こる事実から目を背け続けることによって出来したという、自ら責任を負うべき事実を、己に突きつけないということに起因する怖さ、即ち想像力の残酷なまでの欠落を表す現実の怖さが示されている怖さなのである。

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    2018/10/13 01:08

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