夜を、徘徊。 公演情報 ものづくり計画「夜を、徘徊。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     追記(2018.10.14)

    ネタバレBOX

     演劇は、カタルシスを体験する為の構造を持つ。それが、悲劇であれ、喜劇であれ同一脚本であっても上演回毎に異なり観劇体験は違うものだ。映画は編集が大きな要素を占めるが、演劇は良く練られた脚本、役者の技術(形から入るか思考から入るかなど大きな潮流の差を含めて)、的確な演出、舞台美術の合理性とセンスの良さ、音響、照明など効果の適切さ、制作を含む裏方さんの働き等々のバランスの良さ総てに対する観客の評価が相俟って成立する芸術である。其処を勘違いしているのではないか? 表現する者なら誰もが迷い続ける採算性と芸術性の相克についての主張は分かるが、伏線も置かず、異化を徹底している訳でもないから、主張されている各要素がバラケてドラマツルギーを構成していない。大いに勉強の余地があろう。
     演劇としてはハッキリ言って失敗作である。脚本から練り直さなければならない。基本は、科白で総てを表現することだ。小説と異なり状況説明を含めて、演劇は役者の身体表現、衣装、小道具、舞台美術と事件の起こる場所の選定、音響、照明と脚本(即ち科白集と敢えて書いておく・無論ト書きは入る)で世界の総てを再現する必要がある。衣装や言葉遣い、着こなし、態度、姿勢、持ち物(書物ならタイトルが作品の主張と密接に関連してくる。それが主人公の主張と同一であろうが真反対であろうが。「オセロ」ではデズデモーナの小物がオセロが最愛の女性を殺す「証拠」になるほど大きな役割を果たしているなど)総ての要素が密接な因果律を孕んでいなければならない。それが異化を狙うブレヒト作品のようなタイプであってもだ。これらの点を良く吟味した上で再挑戦して貰いたい。

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    2018/10/11 12:37

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