フランケンシュタインー現代のプロメテウス 公演情報 演劇企画集団THE・ガジラ「フランケンシュタインー現代のプロメテウス」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/06/11 (月) 19:00

    結構、観劇者の評価も分かれているようですが、これだけのコメントが書き込まれるということは、それだけで観る価値はあったということです。初日に観劇された方々のご不満(セリフの噛みの多さや、展開の単調さ、説明台詞の多さ、音響頼り等)も、私が拝見した時点ではほぼ解消していたように思えます。けして、2時間10分も長いとは思えなかったのですが、登場人物の人間関係が、整理されてくる後半になると、この話の着地点はどこなのだという不安が募ってくるのは確か。残り30分を切ったくらいから、時計の針を見る機会が頻繁になりました。落ち着かないのですね、ただそれはそれでこの作品の魅力かもしれません。

    サブタイトルの「現代のプロメテウス」の「現代」とは、今私たちの生きている現代?それともビクトールが生きていた現代?(もちろん、これが書かれた時点では前者なのだけれど、演出としてはどうなのかな)
    そして、人間を導く「プロメテウス」は創造者であるビクトールなのだけれど、進化を続け人間を超え導いていく怪物にも思える。この作品では、永遠の罪業を背負う意味では、両者とも言えるかな。

    岩野未知、守屋百子両氏の対決を通して、本来は双方男性という前提が、2人が中性化していくのが(結果、2人とも女装になるし、岩野さん下着姿だし)、人間でなくっていくということなんでしょう。私は「神」に近づいていくという意見ではないな。人間を超越していく、あるいは、人間から排除される存在なのだと思う。
    そもそも、AIにしても性別ないし外形で性別を作っているにいすぎないし、サタンあるいは天使は両性だし。

    岩野未知、守屋百子お2人の対決(必ずしも対峙せずとも、相互に拘束しあい、苦しめあっている)が、この舞台の一番の見どころですね。



    ネタバレBOX

    ビクトール・フランケンステインが、自ら創造した生命のために、結局、怪物と同様の自らのアイデンティティも保てなくなるお話。世界に受け入れられない怪物同様、自らを同定できなくなっていく。だって、彼を彼と証明してくれる他者がいなくなり、結果、怪物の指示通りの扮装を身にまとい、自らであることを辞めてしまうのだから。

    そして、ビクトールの怪物への復讐が失敗に終わり、死を迎えた時、彼ら(彼女ら)は、完全な鏡像関係に身を置くことにある。ご指摘があるように、ビクトールは怪物によって、創造される可能性をもって、、、

    ビクトール・フランケンステインと怪物が名乗っているということは、回想シーンを見せられている限りは、開始早々に判るのだけれど(だって、小説と違い、ビジュアルがあるのだから)、果たしてそうした認識でよいのかな、ということが、最後まで結論付けられない。ビクトールは何度も意識や記憶のない時間を過ごしているし、怪物の知らないはずのビクトールの周辺で起きた事柄をなぜ怪物は知っているのか?
    怪物(らしき金髪の女性)は、北極の氷の中で生きていたのだから、人間じゃなくて、やはり怪物なんだよなあ、と思っても、どうも喉が詰まっているような気分の悪さを感じる2時間。(ラスト10分ではっきりしますが)

    ラスト間近から、舞台中央のテーブルに落ちてくる雫は何?水分のように見えるけれど、粉末状でもあるし。怪物と話す冒険家は、その雫を手で受けて、明らかに存在に気づていたし。ここの辺りは、ちょっと鐘下さんに聞いてみたい。

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    2018/06/12 10:25

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