朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』 公演情報 トライストーン・エンタテイメント「朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     47歳で亡くなった寺山 修司と同期の早稲田大学学生であった山田 太一の往復書簡を劇化した作品の朗読上演である。花5つ星

    ネタバレBOX


     何より当日パンフレットの表紙が訃報を告げる黒枠でタイトルを囲んでいることに注意が向く。山田 太一さんは現役作家として未だ新作を発表なさっているが、この装丁は無論、亡くなった寺山 修司に対する深い哀悼の念を表している。その寺山は、生前口にしていたように5月に亡くなった。西行の「願わくば 花の下にて 春死なむ その望月の如月の頃」 に対抗するつもりであったろうことは想像に難くない。5月と言えば五月晴れの清々しさを誰しもが即座に思う。西行の名歌と共に素晴らしい季節ではないか? 
     何れにせよ、ネフローゼで3年間も若い時期に入院し、生死の境を彷徨った寺山の自身に対する自負と才能の横溢を証立てるような言葉とその死ではないか。この寺山が、自ら声を掛けたのが、山田 太一であった。寺山が倒れる以前から、若くして優れた才能を発揮していた二人が互いに共鳴し合い、交感し合って心の底から笑い、談論風発に興じ、別れては続きを手紙に認めて交信し合う。そんな時を過ごしていたのだった。この往復書簡の期間が異様な長期に及ぶのは、寺山の長期入院により、彼の体調を慮ってのことである。
     だがそれ以前に、互いの優れた才能を互いに認め合い、最も身近に最大の理解者を持ち得た行幸を、互いに精神の高みを共有する者同士として認識し合っていたからに他ならない。この行幸を齎した原因が、同時代、同世代、而も同級生であったという因縁にあることが、この二つの優れた才能に更なる雄飛を齎し、盤石のものにしたであろうこともまた確かなことであろう。
    それほどの友を喪った山田 太一が、寺山を失って味わった、自らの体の一部を抉り取られたような寂寞が、観客にも茫然自失を迫る。それほど真に迫った朗読劇であった。友情の何たるかを描いた秀作である。

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    2017/10/08 15:41

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