しろつめくさ の、はなかんむり 公演情報 teamキーチェーン「しろつめくさ の、はなかんむり」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     特異なタイトルに惹かれて観る気になったのだが、この直感は正しかった。同時にとても重い宿題を負わされることになったが、このような問い掛けこそ望む所である。花五つ☆

    ネタバレBOX

     舞台は町中にある公園、ここには何人かの住所不定、無職の人々が暮らしている。1人はヒカルと呼ばれる若者。幼少の頃、母に捨てられ、以来この公園を根城に母の帰りを待っている精薄児で声が出せない。捨てられた時、母から貰った物が2つ。しろつめくさの花冠と四葉のクローバーである。それで、公園の片隅に咲くシロツメクサを摘んでは花冠を作り、戻ってきた母に捧げようとしているのだ。ここにそんなヒカルを庇いつつ生活をしている古くからの仲間が2人居る。独りはTVで大々的に報道されるような横領事件の主犯格、もう1人はかつてラグビーの花形選手としてもてはやされ、偶々起こした交通事故で他人を引き殺してしまった男。だが、ここに第3の仲間が現れる。親にも兄にも見捨てられ、最早帰る場所を失ってしまったと信じている若者である。世間は、彼らの事情も、一人一人が個性を持った人間であるという極めて当たり前の事実をも無視してホームレスと一つに括り、差別しても恬淡として恥じない。というのも差別する彼らにあるのは、働きもせず、社会のセーフティネットの善意に甘えて生き延びる屑だと決めつけているからである。だが、本当にそうだろうか? 無論、実際ホームレスの人々に心を開かせるのは難しい。彼らはなるべく目立たず、生きていきたいのだ。自分の調べた範囲で彼らの人となりを挙げれば、他人の連帯保証人になって全財産を失くした結果、家族を失くし失踪した者、犯罪歴が在る者、底辺労働者として働いてきたが、体を痛めて働くことができなくなったらお祓い箱にされた者、家族らの荷物として縁を切られた者など各々の事情は様々であるが、共通項が無い訳ではない。その共通項とは、一度は自殺しようと試みたことがあるということだ。だが、自殺に失敗したりいざその時になると、どういう訳か何かしたいことをして居なかったことに気付き、その小さな目標を果たす為に生きてみようとする。生き残った後は、一つの目標が叶えば次の目標を追いかけ、いつしか死のうとしたことを忘れて生き延びるに至ったという。(この部分は、今作に描かれた部分である)何れにせよ、彼らは傷つき、その傷の故に敏感であるが、その敏感に気付く一般人は少ない。そのことが差別に繋がることすら殆どの人々が知らないのが実情である。
     然し、今作で描かれるヒロイン役、すみれは珍しく被差別者の側に在って彼らの力になろうとする。すみれは結婚を控えており、ブライダルサロンも訪ね、挙式の段取りも着々と進めている最中で相手は企業の御曹司、シンジである。このシンジがすみれが浮かない様子なのを見て原因を確かめ、彼女がホームレスに出会った為に悩んでいることを知る。そして実際にホームレスの棲家である公園を訪れ彼らと話をし始めたのだが、シンジの地がバレてしまう。つまり差別者としての側面が露骨に表れてしまったのである。それまで同棲を始めていたすみれであったが、これを機に主治医の下に身を寄せることになり、ホームレス達と関わることも止めなかった。在る時、シンジが包丁を持って現れ、その包丁を意味の分からないヒカルに持たせる。ヒカルは訳も分からずキラキラする包丁を振り回していたが、そのシンジの行為を止めさせようとしたすみれと三つ巴にぶつかりあった時に包丁はすみれの体を貫いてしまった。出血して倒れ死にゆくすみれにホームレスたちの診療を無料でやっている地域の女医がヒカルに教えた言葉「だいじょうぶ」をヒカルが繰り返すうち、彼の口から音声が漏れる。母に捨てられて以来のトラウマによって発声を失っていた音声が、彼の精神の母、すみれの死を前に甦るのである。その有様を見ていたのは、新入りのホームレス塚本とシンジの知り合いソウタ。そして塚本は、ヒカルを庇う為、落ちた包丁を拾いしっかりと握りしめる。無論、彼は恐らくこのまま自首したのだろう。ヒカルが犯人とされても知的障害の顕著なことから罪には問われまい。
    が、塚本は、それが分かった上で弱者であるヒカルを庇うことで自らの人間性に立脚した実存的アイデンティティーを獲得する為に敢えて地獄を引き受けたのである。シンジはフケ、ソウタもフケタ。ラストでは、ヒカルと元々のホームレス仲間が登場、ヒカルは相変わらず、シロツメクサで花冠を紡ぎ、一輪、折っては、他人に捧げる。シンジは、相かわらずエスタブリッシュメントとしての人生をのうのうと送っていることが、当然のこと乍ら示唆されている訳だ。これ以外にもサブプロットとして、ヒカルの本当の母親が、公園を何度も訪れ、ヒカルが花冠を捧げようとするシーンがあったり、母の連れ合いが警察に不審人物としてヒカルを拘留させたりで物語自体は膨らんでいたので、シンジによるこの救いようの無い欺瞞の現実は、示唆されるだけで終わっているのである。そして差別・被差別の重い宿題が観客に残されたという訳だ。シナリオ、演出、演技何れも気に入った。

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    2017/09/16 02:22

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    2017/09/16 02:25

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