銀髪 公演情報 アマヤドリ「銀髪」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    初日(26日)は後方ほぼ中央(M列11番)から、中頃(29日)は上手前寄り(G列18番)、千穐楽(31日)は下手前寄り(G列6番)と、フリーパス(8000円)の恩恵に与り3回観劇。
    その結果、初日に物語(本作は初演・再演とも観ていず今回初見)と舞台の全体像を俯瞰、2回目は受け継がれる生命、母性などの言葉や某演劇作品、さらには芝居の構造(打ち上げ花火型、帰納型と演繹型)なんてことがアタマに浮かび、千穐楽は後半での静と動のコントラストをキッカケに甚く共感する部分あり男女の対比ありで最終的には本作の上演理由を深読み(誤読?(爆))するに至る。

    【初日編】
    広田さんってこういう「組織(踝コンドルとか散華とか)もの」(勝手に命名)がお得意だけれど、舞台となるのは今の日本の延長上の世界ではなく、もっと以前に分岐して違う発展のしかたをした日本(例えば太平洋戦争で勝った日本、参戦しなかった日本、鎖国状態が続いている日本、開国のタイミングがもっと違った日本、鎖国しなかった日本……そんなレベル)だな、と思い、それって釈由美子主演の「修羅雪姫」(佐藤信介監督、2001年)に通ずるなと思ったのだった。

    【2度目編】
    本作は「打ち上げ花火構造」ではないか。主人公が「踝コンドル」という組織に関わり、組織が成長して行くのが描かれる前半部分は地上から花火が打ち上げられてヒューっと音を立てて上昇している段階、そして「ノストラドン」なる一大イベント当日が中心となる後半は花火が炸裂して大きく花開いた状態。
    今まで、前半であれこれ伏線を張り巡らせておいて、ある時点からそれを一気に回収して行くのを「ドミノ倒し構造」と称していたけれど、「打ち上げ花火構造」は初めて思い付いた……というか、初めて言語化できた。

    また、全体が1つの流れというよりも「場」の積み重ねで構成されているような印象を受け、そこから思いついたのが以下。
    演繹型:1つの柱がありそれを中心に場が並べられる。物語などを語るのに適している。
    帰納型:場を見せてそれらの重なりの中から伝えたいものが自ずと現れ出てくる。物語よりも思想などを語るのに適している。

    【千穐楽編】
    後半、回想シーンの種吉とライカのやりとりの部分がとても静かでノストラドンの喧騒との対比がクッキリ。(終演後に聞いたところによるとその日の朝に演出の変更があったとのこと)
    そのことにより過去の種吉が強調されて、冒頭の派手な登場のしかたから豪胆に見えた種吉も実は非常に繊細な人物ではないか?と気付き「そういえばノストラドン当日にトイレに篭ってしまうもんなぁ……」とも思う。
    そこからさらに種吉(イッセーも同様)がノストラドンという一大イベント直前になって「こんなところまで来ちゃったよ、どうしよう……できることなら昔に戻りたい・逃げ出したい……」と思う気持ちに(似たような体験もあるので)共感を覚える。

    そして、そんな不安に押しつぶされそうな弱気状態から「けれどももう先に進むしかない」と踏み出す種吉の気持ち/決意も察し、もしかすると初の吉祥寺シアター、初の下北沢と劇団が更に次の一歩を踏み出す時にこの作品を再演するのは、そんな気持ち/決意が意識下にあるのではないかと推測するに至る。

    一方、そんな種吉とは対照的にライカは自分の死を悟りながらもそれを恐れず遺されることになる自分の娘に想いをめぐらせるなど泰然自若、堂々としており、「ああ、男女の差ってこういうものかも……」などとも思ったり。(笑)

    あと、ラストの締め方(の他、いくつか)が野田秀樹っぽくて(←ここまでは2回目に思った)、作品で言えば「半神」かな、と思ったのは「生命の選択」(PPTでの広田主宰の発言より)の部分もあるが、むしろ「双子が出てくる」からか?と自己分析。

    こんな風に観ながらいろいろな考えが浮かんでくる作品って、イイなぁ。

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    2017/02/17 23:33

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