僕たちは他人の祈りについてどれだけ誠実でいられるか(仮) 公演情報 Ammo「僕たちは他人の祈りについてどれだけ誠実でいられるか(仮)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    「男たちの戦い(編)」
     二作品を上演。何れも極めて興味深い作品である。

    ネタバレBOX


     サイイド・クトゥブは、様々な宗教の特徴のうち一神教の中でも欧米の中心的宗教であるキリスト教と自らの奉ずるイスラム教を比較し、宗教的にはイスラムこそが生活全般(生活形(様)式、シャリーア、統治システムから経済まで)を律する具体的倫理を具えた完全なシステムと捉えた。
     というのも元々教育省の官僚兼作家でもあった彼は渡米した経験を持っていた。最初に訪れたNYでは、拝金主義で物質主義的で極めて豊かだが空疎なアメリカ人を見た。その後、コロラド州立大学に留学したのだが、この大学キャンパスが位置する町、グリーリーの表と裏をつぶさに観た結果、人種差別や歓楽と禁欲の使い分けの欺瞞に反吐をもよおす。
     ところで彼の渡米の原因は、エジプト王ファルークが彼を逮捕する書状にサインしたからである。イギリスの傀儡に過ぎなかったファルークは性とギャンブルに溺れ、政治は腐敗の極みにあった。それに異を唱えた敬虔なムスリムの一人であったのが、ヴィクトル・ユゴーを愛し、バイロン、シェリー、ダーウィン、アインシュタインを繙き、クラシックを好む男としての彼であった。
     帰国後、彼はムスリム同胞団に属し、初期イスラームの姿を求めた。ナセルが、クーデタを起こしてファルークを倒したが、ナセルの目指す社会は、クトゥブの目指すものとは異なり、ナセルの軍を用いた力による政治とモスクを中心に広がったイスラム教徒との対立が深まった。ムスリム同胞団による暗殺未遂事件に動じず演説を貫徹したナセルの人気は一挙に高まり、同胞団に対する弾圧を遠慮する理由の無くなったナセルは、実行犯の即刻処刑と同胞団幹部の一斉検挙に踏み切る。クトゥブも収監され、拷問で体を壊して以降は獄中の病院で過ごすことになったが“みちしるべ”というタイトルの本を著すこととなった。この本こそ、ジハードをイスラム教徒が実行すべき最優先課題としてクローズアップした、手紙形式による書物であった。
     然し、彼がジハードを最優先課題とすべきだという結論に達した時、彼の存在は、孤立していた点に注目すべきであろう。通常、ジハードを行うべきか否かに関しては、イスラムの権威や高位聖職者の間で徹底的な討論が行われる。その際、シャリーアによって禁じられている行為は禁止事項として尊重されるのは無論のことなので、よほどのことが無い限り、これが実行されることはない。だが、キリスト教による迫害やキリスト教徒による植民地支配、差別、イスラムフォビア等々の条件が重なった結果、自らのアイデンティティーと誇りを守る為ラディアカルな思想が芽生えるのは必然と言わねばなるまい。
     世界が不公平で不公正である場合、生存の平等を求める声が上がることは当然のことだからである。問題は、告発された側が態度を改めなかったからという側面が強い。一部、ラディカルな思想に傾倒する者があっても、それに呼応する多くの人々が存在しなければ、思想が、時代、地域を超えて生き残ることはないからだ。現にパレスチナ問題を始め、イラク、シリア、アフガニスタン、パキスタン等々の問題を惹起したのは当にキリスト教国なのである。直近ではキリスト教原理主義者が人口の4割を占めるとも言われるアメリカである。イスラム教原理主義云々を言う前に、この事実を先ずは重く受け止めるべきであろう。

    「ウサマ・ビンラディン・フットボールクラブ」
     ビンラディンは、サッカーチームを所有していた。サッカーファンには常識だが、サッカーは、極めて知的なスポーツである。瞬時の鋭敏で適確な判断力がなければ優れたプレーヤーになることはできない。また、戦略・戦術を練ることができなければ、試合を優位に組み立てることができない。更に効果的フォーメイションを組む為には、彼我の特徴と差異を冷静に見つめる目を持ち、情報を集めて分析し、効果的に再統合できる知恵と決断力を持たねばならない。当然のことながら、以上のこと総てを自分の頭で考え、決断し実行できなければならない。
     これら、総てのことが、リーダーになる為の資質と重なる。ビンラディンが、サッカーに目をつけたのは、彼自身サッカーが好きだったことと、サッカーという競技が持つこれらの特性にあるように思われる。今作では選手11人のうち、4名のみが描かれるが、この4名こそ、9.11実行部隊の各リーダーであることが示唆されている。
     一方、ビンラディンのここに至る過程とムジャヒディンとして彼自身がアフガニスタンで戦った結果、何も変わらなかったという深い絶望が彼をより過激な方へ誘ったことも示唆されていて興味深い。無論、各リーダーたちが、迷いながらもファナティックになってゆく痛さも描かれている点がグー。






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    2016/11/28 14:47

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