夏目漱石とねこ 公演情報 DULL-COLORED POP「夏目漱石とねこ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ネコ
    これは視線を楽しむ舞台だ。その一瞬に見たい場所、見たい演技、見たい俳優があり過ぎて困る、贅沢な作品。その場面のメインではない俳優さんの居かたが秀逸。一度ではなく、何回か観たくなる作品。3回の予定だが、足りるだろうか?ねこたちが猫だった。わたしはいつから猫語が解るようになったのだろう?ひみつのアッコちゃんがテクマクマヤコンで化けた白ネコのような美猫と、彼女にときめく黒ネコの会話が可笑しくて、笑いをこらえるのに困る。黒ネコのヤキモチが愛おしい。襖の使い方などに、『春琴』に通ずる美しさがあった。パペットと俳優の一体感に感心。オープニングの若林えりさんの猫っぷりが抜群。彼女のとがらせた「ほ」の口と表情を観ているだけで、物語の全てを読み取ることができるほどに雄弁だ。白ネコの中村梨那さんが妖艶でドキドキする。黒ネコを誘惑するような流し目に射抜かれた。黒ネコのときめきと切なさと嫉妬と絶望が痛いほどに解る。またあの鳴き声が反則。あっ、もしかしてあれが猫なで声というものか?オスならみんなイチコロだ。化け猫、いや意味が違うか…幽霊ネコの百花亜希さんの可愛いこと。そして漱石少年が素晴らしい。あの薄幸の空気感は、毎度のことながら唸らされる。指差す少年の、そうせねばならぬ境遇が痛い。客演されている青☆組の大西玲子さんが素晴らしい。その力量は劇団公演で充分に感じていたけれど、別の場所で観ると改めて認識させられる。張りがあってよく通る声は芸術品。乳母の醸し出す優しさは郷愁と涙を誘う。体温を感じた。暴力の連鎖は痛々しい。ある種の「血」とも言えるだろうか。幼少期の体験は、人間形成に大きな影を落とす。嫌悪する体験が、やがて芽を出し支配する恐怖。生きること死ぬこと、そしてその意味。ゆっくりと反芻してみることにしよう。▶2日目。開場から30分も黒ネコのひとり芝居を楽しむ。これ贅沢な時間。笑いを堪えきれず、ひとりで笑ってます。みなさん、是非とも開場時間に入ることをお薦めいたします。捨てちゃだめだ」が胸に刺さる。猫であって、ボクであって。猫にも人間にも愛情が必要なんだ。誰かの所有物ではないんだ。ちゃんと自分自身を生きなくちゃ。▶黒ネコちゃんのトキメキ、戸惑い、受容、嫉妬、諦め…声なき声が聞こえた。嫉妬からの「ごめんね」の切なさが刺さる。白ネコちゃんのツンデレぶりも、あの色っぽさなら仕方ないよね。漱石がきんのすけに寂しさはずっと続くと諭す件から、高村光太郎の「この遠い道程のため」という一節が、今日はふと思い浮かんだ。養父母を指差すきんのすけ。そうせざるを得ない悲哀を、感情を押し殺すことで漂わせた百花さんは流石。黒ネコちゃんと白ネコちゃん、黒ネコちゃんときんのすけ。若林えりさん、中村梨那さん、百花亜希さんの、劇団員の絡みはやはり感情の受け渡しの密度が格段に濃い。素晴らしいなぁ。次回公演まで、じっくり反芻しよう。

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    2016/01/04 15:22

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