その王国の夜は明けない 公演情報 シアターノーチラス「その王国の夜は明けない」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    拝金主義の行き着く場所の先の微光
     企業や学校等、人が集まる立地条件の良い場所にあるカフェ。珈琲は不味くて有名。(追記2015.12.11:01:28)

    ネタバレBOX

    従業員の殆どが、金の為にのみ働き拝金主義の悪しき例に漏れず、表層的であるから、アイデンティファイすることができない。エパーヴのような存在であることだけは感じているから、自らに自信を持つことができず、他人の揚げ足取りや根拠の曖昧な噂話などをして、自らの虚ろを観ようとしない。オブローモフとまではゆかなくとも、何やら気怠い雰囲気の中を海月よろしく漂っている。面白いのは、誰も彼も、決定的に自己と対峙していないことである。従業員は、総て自己の総てを対象化する位置に立つことを選んでいない。即ち悩みも所詮他人事なのである。回りの人間から嫌われるとか排除されることが恐ろしくて、自らが宇宙的な孤独と向き合うことを1度たりともしていない。無論、チャンスは総ての個々人にあった。だが、敢えてそこに踏み込まない所が日本人的特質なのだと言えよう。その為、不良債権処理がいつまで経っても片付かず、原発問題がとんでもなく誤った方向を向いても正道につかせることができない。作中、1週間後には締めると決まったこの店に大量のコーヒー豆が配達され置き場に困ったスタッフが殆ど全員で、それをあちこち移動するシーンが長く続くが、このシーンを観ていてカミユの「シーシュポスの神話」に出てくるシーシュポスを思い出してしまった。シーシュポスは神の怒りに触れて大岩を山上に上げては落とされ、また上げるという作業を永久に続けねばならないという罰を課されたのだが、あのシーシュポスである。この従業員たちのしている他のことも総て基本的に反復。いつ終わるとも知れぬ反復で、偶々、1週間後に店を畳むと店長が発表したものの、それで最後に有終の美を飾ろうなどというインセンティブは微塵もない。それどころか、賃金が本当に貰えるのか?  
    働く場所が無くなって生活はどうなるのかと切羽詰った金銭問題ばかりに縛り付けられ、縛り付けられていることが何を阻害しているかについての思考も働かない。遂に、彼らは、店長を王になぞらえ、このカフェを王国になぞらえて反乱を起こす。気勢が一旦収まるのを待って店長が、彼らのアイデンティティーを問うと誰一人答えられる者が無い。そこで店長が話し始めたのは彼がここにこの店を開いた当時の抱負であった。立地は良い。そこで、サラリーマンや学生たちが、ふっと立ち寄りいつものコーヒーを飲んで、命を新たにするように外へ飛び出してゆく。そんな願いを込めて開店した当初の自分の気持ちを。店長は、喫茶店の話を通して人として生きる方向性を示した。唯一、リーダーとして為すべき方向性を示したのである。今作は、このラストで、何の希望も生きる目的も無くなったように見える現在の我々に生に微光を灯してみせる。

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    2015/12/10 12:49

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