よみ人シラズ 公演情報 ナイスコンプレックス「よみ人シラズ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    役者陣の頑張りに拍手
    「君が代」が正式に国歌として制定されたのは、何と1999年、小渕 恵三内閣時代である。昨今では娘が、安部 晋三に対して自民党総裁選で挑もうとしたが、20人の推薦人を集められず画餅と帰した。無論、晋三サイドから横槍が入ったことは、メディアでも報じられたからご存じの向きもあろう。まあ、仮に立候補できた所で、恵三のやっためちゃくちゃな国民無視、アメリカべったりの方針を振り返れば、大した変化を望めまいが。安部より10%程度ましということは言えるかも知れない。彼女がおやじにけつをまくって共産党議員として立候補して当選しているならいざ知らず、親父と大差ないイデオロギーであれば、評価はこんな所だ。

    ネタバレBOX


     何れにせよ、今回、ナイスコンプレックスが挑もうとした所を最大限、バイアスを掛けない「きみがよ」に観るならば、ことは、戦後ポツダム宣言受諾以前、以降を問わず最初の勅撰和歌集である「古今和歌集(905年)」に詠み人知らずとして収められた古歌を思い出すべきであるのは当然である。今作にも出てくるように、紀貫之は選者の一人である。
     それ以外の細目については舞台を観て頂くとして、これを近未来に受け取る明は、迷いの中にある。彼は聾唖者でもあるから、初めてこの歌に出会った時の同級生に対する関係が、互いのディスコミュニケーションを十全に理解しえなかったことから起きた誤解が誤解であると認識することも、またその原因が、健常者と聾唖者互いの脳の部位に於ける得意分野の差によることも理解できなかった。明と父にしてもそうである。明は、2015年生まれ、2021年に小学校に入学している。そして、少し遅いもののこの時点で実存に目覚めた。このことによって、明は、「きみがよ」の化体に遭遇するのだ。幼年期に於ける実存体験は決定的である。夢とも現ともつかぬ中に、絶望と孤立だけが屹立し、己を苛むからである。親? 関係ない。己を「見放した」存在であり、最初の他者に過ぎないではないか! 親を「親」とするのは、自立するには力不足であるからに過ぎない。その程度のことだ。
     何れにせよ、明は地獄を味わう。そして、地獄とは、愚衆がイメージするような針の山、血の池、裂刑、火炙りなどの肉体的苦痛などではない。そんなもの、既に死んだ者に何の効果があるものか! 馬鹿かお前ら。そうではない。何も起こらないこと、起こることは総て予め決まり切って、総てが予測できる為、退屈でしかないこと、そしてこのことが永遠に続き、そのことを正確無比に理解していること。これが地獄なのだ。
     今作をちょっと褒め過ぎた。ここまで今作が突っ込んでいる訳ではない。然し、明の感じていた孤独は、1115年以上にも亘る歴史的事象と呼応していることだけ指摘しておこう。
    上演中故、これ以上のヒントは控える。

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    2015/09/11 02:18

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