僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪 公演情報 天幕旅団「僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    モノクロ版を拝見
     童話白雪姫をベースにした作品。

    ネタバレBOX


     童話の持つ本来の残虐性を継承して残酷童話劇として成立している点が良い。照明、音響とのコラボレーションもぴたりと嵌って見事だ。また、白雪を世話する7人の小人が実は多重人格(解離性同一性)障害者という解釈で造型されている点、彼が隠者として森の奥に隠れ住んでいる点も現代の闇を孕み込んで示唆的である。
     また、オープニングで合わせ鏡に時計を入れる(挟み込む)という科白が出てくる点にも注意を喚起したい。当然のことながら、この科白の背景には、西洋で謂われる言い伝えがあると考えねばなるまい。曰く、合わせ鏡をしてはならない。何故なら、悪魔が現れるからである。この悪魔を“知”或いは、人知を越えた能力と捉えるならば、白雪を助けた解離性同一性障害者の少年は、四次元能力、即ち時を止める能力を持ったキャラクターとして登場していることに気付くだろう。
     同時に、彼が重い精神障害に囚われていること自体に、現代社会の病弊が暗示されていることにも気付くハズである。では、彼は何故、このような障害を負ったのかについては述べられないものの、其処は、観客の想像力で補って欲しい。何れにせよ、彼もまた社会の暴力的性質の被害者であることは間違いあるまい。
     一方、これは無論、物語である。だから、物語を語る主体は、今作に於いて誰なのか? という問題も当然提起されてくるだろう。先ず、この物語の全体を知り得る存在は誰か? である。物語は、総て森の奥で起こる。女王即ち白雪の継母の王宮での鏡への問いを除いて。而も、鏡によって総てを見られていることは、森に居る少年と白雪によって発見され、鏡を砕くという行為によって監視を逃れるのであるから、これらの経緯総てを知り、且つ生き残った者が、今作を語る主体として顕現する。繰り返しになるが、然しこれは物語である。少年が「時を止めた」と言って王子や白雪を殺した所で、それは、あくまで少年の幻想空間の中の出来事なのである。彼を殺人者として捉えた通常の人々の間では、最早、彼の幻想は通用しないのだ。この点にこの物語の最後の残虐性が在る。この仕掛け人こそ、作品の背後に居る作家な訳だが。作家は物語の幻想性から日常へ舵を切ることによって、観客を舞台空間から日常空間へ戻してもいるのである。

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    2015/07/15 18:13

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