山の声-ある登山者の追想 公演情報 カムヰヤッセン「山の声-ある登山者の追想」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    深く自然に分け行った者の世界

     大正時代、未だ日本では登山技術も殆ど知られておらず、特にロッククライミングの技術等は、大学山岳部のボンボンだけが習得できるような時代の在野のサラリーマン登山家2人の話だ。

    ネタバレBOX

    在野NO1と目される登山家と彼に憧れて山に見入られ、どんどん難しい条件の山にのめり込み、チャレンジして基本的には単独で登っていた二人は、終にパーティーを組む。無論、それは互いの実力を認めあってのことであったが、互いの遠慮や見栄が、正確な判断を狂わせ帰らぬ者の仲間に加わる迄の過程を描く。
     何故、山に登るのか? この問いは、彼ら自身の切実な問いでもある。そしてそれは、生きていることを確認する為、また、神々の住まう荘厳な世界を垣間見るためだったように思われれる。もとより、筆者自身、山も海も好きで良く出掛けた。然し、自分の山の技術も装備も沢や縦走が基本でロッククライミングなどは、初心者の域を出ない。まして、冬山へのチャレンジなどおこがましくて語れたレベルではないが、それでも、夏、オーバーハングしているような岩を登ってゆく時、目前に生えた苔の緑の鮮烈な印象は、忘れることができないし、それこそ、生きている色だと深く魂に沁み入る思いはした。
     海に関しては、プロになる為の学校を出ている関係で航海経験がある。北の海で嵐の中を航行し、船体が木の葉のように突き上げられては、十数メートルも落下し、その度ベッドに叩きつけられたこと。鼠が残っていたので船は沈まないと安心はしたものの、ビルジキールがギシギシと音を立てて歪み、船体がバラバラになる前兆のように思われたことなど、自然の前で人間の力などいかほどでもないという事実を嫌と言うほど知らされた。だが、南方に向かって航海している時、普段、三角波の立っている太平洋が、ベヨネーズ礁に入った途端、油を流したようなべた凪になり、釣れる魚種も変わって不気味さを増した。この辺りは明神礁も近く海底火山帯がいくつもあるので周囲より深度が浅い。深さは3000メートル強程か。ベヨネーズを越え、小笠原を目指して航行している時、新月の晩があった。その夜、自分はワッチ(ウオッチの方が、正確な発音に近いが現場の発音はワッチである)をしていたが、余りに美しい星空に見入られてデッキの先端に立った。海と空の境界が曖昧である。空の領域には、満天の星海には無数の夜光虫、この時自分の感じたものは、宇宙の只中を唯一人航行している自分であった。
     こんなことを思い出させてくれる作品。

    0

    2015/06/20 13:37

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大