総員死ニ方用意 公演情報 タッタタ探検組合「総員死ニ方用意」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    二度目の観劇である。
    初日と楽を拝見したことになる。改めて思うのは、シナリオの素晴らしさ、喜劇劇団としての品格とセンスの良さ、役者達の多様な個性が一堂に会することの楽しさ、何より着眼点の鋭さと適確な距離である。初日のレビューで、おんぼろパソコンは、何行か書いた文章を消失していた。読者の方々には、歯切れの悪い文章をお届けすることになり、申し訳なく思う。

    ネタバレBOX

     
     初稿でも指摘しておいたことではあるが、今作、冒頭のシーンと科白で見事に、この時代と今作の要点を示唆していた。喜島艦長、谷村の兵学校時代の同期、親友である大和艦長、有賀からの便りには、大和艦長に就任した旨綴られていた。折しも1945年3月26日には、米軍は座間味に上陸。その後島の形が変わる程の艦砲射撃の後、4月1日米軍は沖縄本島に上陸。島民の四分の一が亡くなる壮絶な沖縄地上戦に突入していた。先にも書いた通り、最早、軍部に有効な対抗手段も武器も無く、「国体」護持に固執する指導部には、非合理・不合理な戦法しか残されていなかった。つまり特攻である。大和は、第二艦隊旗艦として、沖縄の窮地を救うべく成功率ほぼ0%の海上特攻の任を担ったのである。時に4月5日、徳山沖に停泊していた大和に出撃命令が下る。谷村、有賀両俊英の見立て通り、僅かに残った日本の救援・援護機の援護が届かなくなる海域に入った途端、大和は敵機動部隊の総攻撃を浴び、海の藻屑と化したことも既に書いた通りである。
     が、元々、喜島が大和救援に向かうことは、谷村の一存で決められた作戦であり、腹心の者以外、この事実は知らなかったのだが、先にも書いた通り、大和の正確な位置と出帆時刻を喜島に伝える任に当たっていた者が、軍部に怪しまれ拘束された為、連絡が遅れ、大和出撃15時間後に佐世保を出発することになる。喜島出撃に際し、谷村が檄を飛ばすが、乗り組み員は僅か4ヶ月の訓練しか受けていない。ここにも、戦局の悪化が如実に現れている。言う迄も無いことだが、艦長谷村がその檄を飛ばす際、甲板左方、右方双方を見ながら言を発しているのは、舞台では、役者が7~8人しか出ていなくとも、水兵は全員甲板上に集まっていることを表しているからである。観客は、このような想像力を要求されるのだ。即ち、乗員は148名+αであるという科白情報と谷村の所作、顔や目の動かし方から、甲板上に整列しつつ、艦長の訓示を聞いている兵士達の姿をヴィジョンとして観ることをだ。一般兵士は、気をつけの姿勢でしゃちこばっている。その中で、特異な兵士達をこそ、今作は、役者を用いて描いているのである。では、第一分隊、第三班の兵達は、何処が特異なのか? 無論、翼賛体制に関わる総ての言動をどこか否定的に見たり、距離を置いて自らの思想を確立していたり、要は自分自身の頭で考え判断する自由を持っているという意味で特異であり、それ故、翼賛体制に悖る落ちこぼれとされた人々であった。今作の凄さは、このような自分の考えを自分の思考によって構築できる“落ちこぼれ達”を主人公にしている点にある。
     これも、何度もあちこちで書いたことだが、有史以来日本に日本人自らが根本のレベルから発明した行動原理としてのprincipleなど一度たりともない。総て借り物である。“葉隠”でさえ、根底にあるのは朱子学であるから、思想の根底からの独自性には、疑問符がつく。他は推して知るべしである。従って日本人の行動原理を定めるのは情緒原理主義を於いて他は無い。情緒は、自分の頭、即ち理性を用いて制御しない限り暴走したら止めようが無い。これが「一億総火の玉」の正体である。阿保を絵に描いて壁に貼り付けたような滑稽で幼稚でチンケな日本の指導層は、この日本人の性向には敏感である。そして、狭い了見でミスリードを繰り返す。劇中、山中博士が、軍部がもっと科学技術に理解と関心があれば、こんな負け方はせずとも済んだ、という意味のことを吐く科白があるが、然り。ドローンが首相官邸屋上に降りて、「盲点」だったと散々、警備関係者は言っているが、馬鹿としか言いようが無い。秘密保護法が通り、唯でさえ、情報開示が出来ない糞官僚と政治屋、経団連、連合、メディア、研究者とは名ばかりの下司、日本人CIAエージェントと日本という植民地で自由に活動できるCIA要員等々が、愛する土地や人々を蹂躙したいだけ蹂躙しているのに、パトリオットたる国民が、利用できるものを利用するのは、当然のこと。その程度のことも予測できないのは、プロという以前、単なる無能というより、脳みそあんの? なのである。
     今作が訴えているものは、以上のように、現在にもそのまま通じる内容である。為政者共に媚び諂って“勝ち組”などと称する馬鹿共が如何に自分の頭で考えず、見た物をキチンと認識していないか。聞いたことを正確に捉えていないかを自問してみる良い機会であろう。
     敵機に襲われた喜島を神雷が救った夜、谷村は無礼講の宴を許し、三班の若い兵士、看護婦らと歓談する。そこで彼が得た教訓は闘いによる死ではなく、生きて作り出す未来であった。俊英谷村は、自分の頭を使って判断することのできる若者達に、未来を見たのである。それ故、神雷を用いて戦争を長引かせ、更なる犠牲を双方に齎す道を避け、自身の誇り、職業倫理、親友とのあの世での邂逅を思って総員退艦命令を出した後、自沈する。その最後の命令が、“総員生キ方用意”であった。
     因みに、今作に出てくる大和艦長の名前は、実際のものであり、科白の中にも、実際に交わされた表現が多く出てくる。それらは、子を思う母の偽らざる心情であり、母を思う子の思い遣りであった。実際、兵士が死の間際に天皇陛下万歳などと言わず、母ちゃん! と叫んで死んでいった者の圧倒的に多かったことは、戦争しない為の努力を続けて来たこの国の人々の常識であり、自らの見た物・ことを見たと言い、聞いたことを聞いたと言える、自分の頭で考えることのできる理性を具えた者からのメッセージである。
     また、最大・最高の防衛力とは、軍備を増強することでもなければ、強くなることでもない。正確に世界を分析することのできる正確な情報を持ち、その情報を判断する理性を持って、例え意見の会わない者たちとも話し合うことであり、いつでも話し合えるだけの関係を構築しておくことである。

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    2015/05/18 18:10

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