消失点 公演情報 JACROW「消失点」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ネグレクト
     話題に欠くことの無い児童虐待・遺棄の話である。

    ネタバレBOX

     行動原理の特色として、この「国」はprincipleを持っていないということを最近随分書いているから、またか、と思われるむきもあろう。然し、記紀以来、日本に独自のprincipleが生まれたことなど一度も無い。海外で高く評価される武士道の根底は江戸幕府が、支配の為に編み出した手段の一つに過ぎず、その根底に流れるのは、儒教の中でも最も君臣の恩、上下関係の絶対性を強調する朱子学であり、唯一、儒教の中で革命を説いた哲学である陽明学を報じた者は、出世街道から外された。因みに江戸時代以降、幕府・中央政権に反旗を翻した革命家で西洋思想によ
    らない者は、陽明学の流れを受けている。大塩平八郎然り、佐久間 象山然り、吉田松陰然り、西郷隆盛然り、高杉 晋作然りである。その行動原理は知行合一。
     何でこのようなことを書くか? 無論、今作と関係があると考えるからである。今作で問題になっているのが、母親のネグレクトによる小学校入学相当女児の死である。この母、根本 幸は3年前に離婚。幸の母は教師であった。短大を卒業した後、根本 公平と結婚、離婚後も旧姓に戻していない。この苗字と名前にも、作家が深い意味を持たせていることは明白である。公平は公平な判断に通じ、幸は、幸せに通じる。それが、日本の民衆が、根本的に思っていることだと、少なくとも念じていることだと考え、作家は祈るような気持ちで根本という苗字を選んだのだろう。ということは、この夫婦の抱えている問題は、我々皆が抱える根本問題であり、公平を期してする夫の会話は、日本の平均的夫の価値観を代弁し、幸の願う幸せは、この「国」の平均的主婦の願う幸せなのである。だが、ここに問題の根があると筆者は考える。問題点は2つ。1つは、第1段で述べた、principleの欠如、即ち行動原理を明確な言語化し難いという文化・文明的背景。もう一つが、事件の核心を描くに当たって“お約束通り”外堀から埋めに掛かっている点である。男女の関係は、最も遠く同時に最も近い、という微妙な関係のバランスである。夫婦ともなれば、それに世間、世間体が大きく関わってくる。principleの欠如する社会に於いて、行動原理を規定するのが情緒、それも原理主義でしかあり得ない以上、それを現実に規制するのは、村の掟、村社会の掟以外ではない。此処までは、誰でも見えるのだ。そして、その地平からしか描かれていない点に今作の難がある。同時に大衆受けもするのだが。問題は、ディスコミュニケーションの本体は、人間の根本的孤独を人間全体の問題として捉えることのできないこの国のディスクールにあると考える。そして、そのことを本質として、作品作りをするなら、別のアプローチが生まれたハズである
     更なる作家哲学の深化を期待する。
     以上のことは、作品を観て貰えば、理解して貰えよう。因みに取り調べを受け持つ刑事、梶原の部下、田村が、署長の富山が飼っているペットのオウムに言葉を教えることに関して、オウム語ってどんな言語なのか? という意味の問い掛けをし、根本的に通じない言葉(言語・状況)を問題にしている点に、このことは凝縮されているとみて良かろう。

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    2015/05/16 18:20

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