舞首ー三つ巴の里ー 公演情報 鬼の居ぬ間に「舞首ー三つ巴の里ー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    力はあるのだから、物語の理屈を良く考えて
     三つ巴というコンセプトのタイトルだったので、この劇団特有の曖昧模糊とした世界を二層、三層と積み重ねることによって、この鵺的社会のおぞましさを暴く作品になるのかと考えていたのだが、今作では寧ろ殺害そのものの凄惨をエスカレートさせることに重点が置かれ過ぎたように思う。

    ネタバレBOX

     
     助役が村の掟に拘る姿は、村の掟通り慣習を貫こうとしてこれまで何度も手を汚して来た事を示す科白にくどいほど出てくるのだが、単にそれが、慣習を守るというにしては余りに徹底していることに、描かれていることだけでは納得がいかなかった。他に背景を描くなどして観客を納得させる内容にして欲しかったのも事実である。(例えば村長に惚れているとか、或いは、登場しないが、自分の子供をかつて村の掟の犠牲に供しているなど)
    演劇は、基本的に論理である。従って、これでもか、という強い主張が、登場人物其々の背景に感じられなければ、観客は納得できないのではないか? まして、今作は、基本的に人殺しの話である。インパクトの強い内容なのだから、その内容をキチンと立体化してみせる因果律がなければなるまい。村の掟は、口べらしが基本であるが、そうである為の条件は、貧しさであろう。(新月の晩に新生児を持つ親が集まって、子を籠に入れたままかき回し、誰の子か分からぬようにしてから、調理して食べた話等を入れてもよし。そうすれば、村の貧しさが具体的に観客に伝わる)
    残酷さの描き方についても、例えば鴎外の山椒大夫では、幼い子供に焼き印が押される。このような酷さを敢えて作中にキチンと入れることも必要であったろう。然し何件もの殺人を犯さざるを得ないようなエピソードは無く、漫然と村の口減らしが行われて来た状況を理解させるだけでは、作品そのものの深さが損なわれよう。
    一方、貧しさ故にそのような事が常態化されている中で、権力の中枢に在る者だけは、掟から一定の自由を甘受しているが、この事実に対する権力者対民衆の構造を明確化して対立を際立たせるという作り方をしていないので、中間管理職としての助役が、自分の家族だけは、重労働や掟の為の犠牲となることも避けられるという支配・被支配の関係も心に突き刺さる強さに欠ける。村長の態度も不徹底だ。
    更に、村の総ての矛盾が覆い被さるべき人物である、足の悪い姉に集中的にそれが被さる事態を克明に描いていない点にも弱さがある。

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    2015/05/12 11:00

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