山笑う 公演情報 僕たちが好きだった川村紗也「山笑う」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ベストなチョイス
    いや、正しい選択だと思う。
    作・演と役者のチョイスが、川村紗也プロデューサー的に。
    素晴らしい作品になった。

    ネタバレBOX

    「僕たちが好きだった川村紗也」ってすげー名前だと思う。
    他人(小林タクシーさん)が命名したとしても、それをベストであると、いや正しいとチョイスして、いや選択して、堂々と名乗ってしまうのだから。
    しかも過去形。

    でも、前面に自分が出ることは良いと思う。
    意気込みとともに責任も背負っていることがよくわかるから。

    この公演は、小松台東の松本哲也さんが作・演出を行うということで、まず目を惹き、さらに夏目慎也さん(デスロック)、荻野友里さん(青年団)が出演するということで、「観たい」と思った(プロデューサーで、出演する川村さんには、ほんの少しだけ申し訳ないが)。

    松本哲也さんの作品はどれも染みるので、好きであり、それを夏目さんや荻野さんが演じると思うだけで絶対に面白くなることは間違いないと思ったからだ。

    そして、その予感は的中した。

    お通夜の控え室のような場所が舞台。
    お葬式というのは、人の死という劇的な出来事を軸にその人にまつわる人々の本音が語られる場として、言ってしまえば、芝居の設定としてはベタなのだが、それでもこれだけ面白くさせるという力が、作・演出にも、役者にもあるということなのだ。

    1つ決定的な何かがあって気持ちがすれ違ってしまったわけではなく、家族(または兄妹)が過ごしてきた長い時間の中で、ひと言では言い表すことのできない気持ちの積み重なりで作られてしまった関係が、会話の中で少しだけほぐれていく予感をさせる。
    そんな作品だった。

    少し話せば家族なのだからわかる部分もあるし、頑なになってしまう部分もある。
    それらの部分部分の、微妙な感じが舞台の上にあった。
    それがとても実感的に伝わってくる。

    「畳敷き」の一室にしたのもうまい。机とイスの部屋ではないことで、人同士の近さも感じさせるし、立ったり座ったりという動きも出る。
    畳の温かさが実家のある(温かい・温かかった)場所を思い起こさせる。

    とにかく、台詞がいい。宮崎弁がいい。
    妹・菜々が地元の言葉に戻っていく自然さが、戯曲・役者ともに巧みだ。

    語りすぎず説明させずに、その場の気持ちをうまく伝えてくる。
    お通夜で親戚と話したことがなくても、年の離れた兄弟姉妹がいなくても、「あるある」感に浸れる。
    そういう自然さがある。
    それは作・演の良さだけではなく、もちろん役者のうまさもある。

    妹・菜々の、兄に言っても仕方がなく、かと言って母にはうまく言えなかった、もどかしさ、つまり、自分に対する苛立ちのようなものがうずうずしているところの、気持ちの表し方が観ているこちか側にも伝わってくる。
    それを演じた川村紗也さんがうまいということなのだ。

    松本哲也さんが演じる兄・伸夫も、妹を頭ごなしになじるというわけではなく、帰ってきたことを喜びつつも、不義理なところは文句を言いたいという、微妙さがいい。
    時折挟む軽口は、そうした現れなのだろう。思わずうなずいてしまい、それを隠すというのは、ベタすぎるがそれもいい、。
    いい感じの笑いが生まれていた。

    兄の嫁・深雪を演じた荻野友里さんもやっぱりいい。家族であるが、兄妹たちとは肉親ではない距離感を見事に醸し出し、夫の妹との親密になりたい(うまくやっていきたい)という気持ちも垣間見られる。夫への疑念もうまい。

    そして、妹の恋人・熊田を演じた夏目慎也さんが普通のおじさんでなんとなくの佇まいも面白く。さらに彼女の親戚とどう向き合っていいのかを探り探りな感じがうまい。さらに、彼が「いい人」であることが徐々にわかってくることで、この作品の中で「面白い役回り」を振り当てられたわけではないことがわかり、作品自体に好感が持てるのだ。
    下手に笑いのためのキャラ設定にしないところが、作・演の松本哲也さんのうまさなのだ。

    以上の4人だけの芝居かと思っていたところ、兄の友人・英二が登場する。
    この人が飛び道具的な位置づけにあるのかと思っていると、そういうわけでもない。
    舞台の上の空気をいい塩梅に乱しながらも、兄妹の関係をぐっと近づける。

    山田百次さんが演じる兄の友人・英二は、通夜の席の親戚にいそうなおじさんで、ビールや酒をグイグイ飲む飲み方や、菜々は友人の妹だが、自分の妹のように思っているという優しさがいいのだ。
    友人の子ども(清人)も、子どものいない自分にとって、本当の子どものように接しているところも泣かせる。しんみりとした口調でふと漏らす「子どもがほしかった」という台詞が効いてくるのだ。友人の妹の分までお年玉をあげていた、なんていうエピソードにもウソを感じないぐらいのキャラクターの設定と作り込みだ。
    山田百次さんの酔っぱらった演技も面白い。靴下を半分だけ脱ぐなんていう細かさがあったりする。
    そして、伸夫に対するひと言、「おばちゃんは観ているからな」が効く。いい台詞だ。
    仲がいいからこそ言える台詞であり、子どももおらず、妻とも離婚してしまった彼だからこそ、何もかもを持っている友人に言える、重いひと言なのだ。

    さらに伸夫夫婦の、中二の子ども・清人が登場する。吉田電話さんが中学生を演じるのだが、掌や指を鳴らすなんていう、思いも寄らない、一見、まったく関係ない動きから中学生感が、短時間で表現されていた。うつぶせに寝るなんていうのも見事な演出(演技?)だと思った。

    伸夫の友人・英二、伸夫の子ども・清人という視点が加わることで、妹の視野が少しだけ広がる。
    「実はおばちゃんは菜々のことをこう思っていた」とか「実はおばあちゃんは菜々おばさんのことをこう話していた」とかというように、妹の知らない具体的な事実を暴露するような、作り話めいた展開をするわけではなく、日常の普通の会話の中で、つまり久しぶりに会った甥っ子や兄の古い友人との会話の中で、妹がいなかった時間が、彼女中で少しだけ見えてくる。
    松本哲也さんの作品には、語らせすぎないうまさがある。

    ラストは兄と妹の会話で終わるのと思っていた。
    しかし、川村紗也さんがラストを決めた。
    観客が四方から見つめ、わずかな時間の中で、見事に妹・菜々の気持ちを無言で演じ切った。
    お茶入れの所作だけではなく、表情、特に目の表情ですべてを語っていた。
    これには本当に参った。最後に母に「会わなかった」選択をした後悔もあるのではないか。
    最高のラストだった。

    お茶に手をかざすという所作は、観客の多くが気になっていたと思う。
    ……「て、手かざし」……「宗教か? 宗教なのか?」と思った人もいるのではないか(いないか・笑)。
    しかし、そうではなかった。
    母がいつもやっていた動作であったが、兄妹は理由を知らない。
    兄嫁が語ったという「おいしくなれ、という気持ちを込めている」という理由が、兄や兄の友人、そして兄の嫁、子どもたちと接したことで、妹の琴線に触れたのだろう。

    「山笑う」で、母娘の間にも春がやってくるということ。

    母への厳しい感情が少しだけ溶け、少しだけ繋がったのではないだろうか。
    このあと、母親の前に同じような所作で淹れたお茶を、供えるのではないか、と思った。

    小松台東(松本哲也さん)と、今回旗揚げした「ぼくかわ」は、これから見逃せない。

    そうそう、当日パンフにプラスして、観客全員に川村紗也さんからのお手紙と、清人が所属する中学生のグループ「ハイランドシー」の貴重なシールを頂戴したことを付け加えておく。

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    2014/12/25 07:20

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