Vol.1『BGS~バックグラウンドストーリー~』 公演情報 ド・M(マリーシア)野郎の宴「Vol.1『BGS~バックグラウンドストーリー~』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    主張が内向きで弱い
     劇団員、全員男、ゲイ在り、腐れ縁在り! 等々、小劇場で公演を打っている劇団の本公演中、舞台袖、楽屋での話である。

    ネタバレBOX

     どういうわけか、この本公演前から、アタッシュケースに仕込まれた爆弾騒ぎが起こっていた。この事件、最初の爆発が、おばあちゃんの原宿、巣鴨で有名な西巣鴨で起こったことから西巣鴨ボマー事件として有名になった。その後も、あちこちで同タイプの爆発事件があったばかりか、何と、この劇団に所属する淡路島出身メンバー、福留の隣室で爆発が起き、ニュースで報道されたばかりであった。そんな折も折、楽屋では、劇団創立メンバー、ポンコツ役者、田端と編集者の服部、制作等担当の淀橋らが、雑談をしている。田端の不満は、「何故、自分には、短い科白しかないのか?」である。服部は、唯一、この劇団で本職のシナリオライターだけで喰っていける、主宰者の大木に原稿を貰うことだ。淀橋は、公演終了後の打ち上げ手配などをやりながら、皆の舞台に気を配っている。ところで、作・演出の大木と田端は、小・中・高と同期で、小さな頃は、双子の兄弟のような仲良しであった。田端は、高校で地区大会決勝迄駒を進めた立役者。キャッチャーで4番、時にはピッチャーも務めた程の選手で1年で既にレギュラーであった。綽名をドカ弁と言う。一方、大木は、サッカー部キャプテン、全国大会出場を果たしていて、特技は、視野が矢鱈に広いこと、耳の辺りで本を開いて読んで見せる。ホントに見えないのは、真後ろだけとの噂があるほどだ。だが、二人は、ある時から、事あるごとにぶつかるようになる。原因は、女である。で、現在の其々の彼女は、互いの元カノという交錯した関係である。彼らと最も、付き合いが古いのが、主役の片瀬である。その片瀬は殆ど出ずっぱりで、楽屋に戻るのは、水分補給程度なのだが、彼のペットボトルを狙っている男がいる、ゲイの矢部坂である。矢部坂は、片瀬がラッパ飲みしたペットボトルと自分がラッパ飲みしたペットボトルを交換し、間接キスをすることに執念を燃やしている。この他、舞台監督兼演出助手でプロレス狂の天本が居るが、本番中は、楽屋では静かにしていることが常識なのと、プロレスラーが試合終了後、何らかのアピールをした後、マイクを投げ捨てる動作に重ねて、楽屋内では常にメモ帳にメモって対話をするのだが、その時、マイクをプロレスラーが投げ捨てるようにメモ帳を投げるのが癖である。
     これら、やや濃い目のキャラクターと西巣鴨ボマーとの関係や如何に? ボマーの狙いは? はたまた、矢部坂の恋の結末は? そして彼らは無事公演を終えることが出来るのか? それらの謎解きは劇場で。
     ところで、矢張り何となく内向きである。演劇は社会を映す鏡でもあるはず。外界を、殊に、この国の歪みが、各々のキャラにもっと反映するような作りを目指して欲しい。同じ楽屋物でも、清水 邦夫の「楽屋」が優れているのは、そこに、役者のエゴやプライド、自意識の深刻さが、本質として描かれ、普遍性を獲得していると、観る者、読む者総てに感じさせるからだ。個別的でありながら、普遍的であるような作品を目指すことが、表現する者の心がけの要の一つだと言うことを肝に銘じて欲しい。

    7

    2014/08/03 14:31

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  • ハンダラさま

    返事遅れてしまい申し訳ありません。

    数々の古典、教えていただき、ありがとうございます。
    三国志は、『正史』、『演義』どちらも読みましたが、歴史書としての認識が強く、文学、物語として見ていませんでした。
    改めて読んでみたいと思います。

    ご教授いただき、ありがたく思います。


    2014/08/23 16:43

    さんぞーさま
     少し、具体的に古典のご案内をしておきましょう、
    ギリシャ古典からは、
    「オイディプス王」「アンティゴネ-」「イーリアス」「オデュセイアー」「変身物語」など

    民俗学的な資料ではフレイザーの名著「金枝篇」

    ドイツではゲーテの「ファウスト」翻訳は、手塚 富雄さんのものが最良でしょう。
    古典とは言い難いかも知れませんが、F.カフカの「田舎医者」「流刑地にて」など
    フランスでは、F.ヴィヨンの「遺言詩集」ボードレールの「悪の華」「散文詩」ただ、
    ボードレールはフランス語で読まないと余り面白さは分からないかも知れません。
    ユゴーの「レミゼラブル」など

    無論、シェイクスピアは、全部 小田島 雄志さん訳のものが良いでしょう。

    日本の古典は、風姿花伝以外にも、「梁塵秘抄」や「源氏物語」「平家物語」
    「枕草紙」「方丈記」橋本 治の現代訳が自分は好きなので、彼の訳のあるものは、それで読んでいます。
     これも古典とは言い難いかも知れませんが、夏目漱石は必読書。
    中国古典では
    「三国志」「西遊記」「水滸伝」などは、無論、自分はまだ読んでいないのですが、「史記」も読んでおいた方が良いでしょう。
    日本の現代作家では、開高健の「オーパ」関連のものがお勧め。
    では、また。
                                             ハンダラ

    2014/08/12 20:57

    ハンダラさま

    お返事ありがとうございます。
    教えていただいた作品は必ず見ます。
    自分にとっての「大切なもの」を、見つけ伸ばして行きます。
    頑張ります。

    2014/08/08 07:12

    さんぞーさま
     返事が遅くなってごめんなさい。
     少し、先に生きた者として、ご参考までに。
     ギリシャ、ローマ、中国、日本の古典は、たくさん読んで下さいね。
    他のエリアでは、ペルシャ、アラビアなども是非。ペルシャ文学では
    オマル・カイヤームの「ルバイヤート」アラビア古典では無論「千一夜物語」と
    現代の詩人に属しますが亡くなっているマフムード・ダルウィッシュ。
     それから、近代劇作家では、日本で良く上演されるチェーホフは無論のこと、
    イプセン、ゴーリキーなどは、当然読んでおくべきでしょう。唯この際、気をつけるべきは、
    筋の通った読み方をすることです。自分なりに、大切なものを延ばすよう努めて下さい。
    健闘を期待します。
                                                ハンダラ 拝

    2014/08/07 02:51

    ハンダラさま

    お返事ありがとうございます。

    僕も表現者として、正直でありたいと思っています。
    金にならなくとも、選んだ道はそれ以上の価値あるものと信じています。
    日々、感性と精神の研磨に努めていく所存です。

    2014/08/05 17:35

    さんぞーさま
     コメントありがとうございます。
    謙虚な姿勢が作り物でないならば
    とても良いことです。回りに居る人間関係だけに
    気を使って本質を見逃せば、それは、表現する者、
    知識人として罪。まあ、そんなに固く考えなくても、
    表現する者としての自分には、マイナスでしょう。
    表現する者として生きるならば、徹底的に率直に
    ”もの・こと”を見る必要があると考えています。
    それを為した結果、回りの馬鹿共と対立するような
    事になった時にこそ、自分の真価が問われるでしょう。
    表現という言葉に値するのはそのように強い何かです。
    それを掴みとって下さい。金にもならず、苦労ばかりが多い
    かも知れません。然し、ナルシシズムでは無いレベルで、自分自身が
    表現する者の一人であることは、実感できるハズ。かく言う自分自身も
    海外の多くの表現者とこのようなレベルで繋がってきました。
                                          ハンダラ 拝

    2014/08/05 02:55

    ご来場、誠にありがとうございます。

    ご指摘いただいた、作品としての主張について、非常に感銘をうけました。
    「個別的でありながら、普遍的である」
    僕自身、未熟であるため、言葉を理解出来ても、体現するには相応の時間と対価が必要と思われます。
    しかし、精進なしに良い作品は作れません。
    いただいた、お言葉を道標に、精進の道を辿りたいと思います。
    またの、ご来場お待ちしております。

    2014/08/04 14:11

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