てんぷくトリオのコント 公演情報 こまつ座「てんぷくトリオのコント」の観てきた!クチコミとコメント

  • 「ステージ」が窮屈なコントたち
    「希代のコント師」我が家を迎え、“放送作家”井上ひさし氏と「てんぷくトリオ」の活躍したテレビ黄金期を偲ぶ。


    我が家(及び役者)による「てんぷくコント」は時系列的にいえば60年代後期から70年代前期に該当し、80年代『花王名人劇場』に端を発した「漫才ブーム」の笑いとは ギャップがある。「紙芝居」のような簡略化と予定調和だ。それを、2010年世代のコント師が原作どおり舞台化するだけならカラー版の再現映像だろう。
    この消費税率10%時代の「空気感」に どう対処し、笑いを獲得していくのか。
    井上ひさし氏亡き後の「台本」が色褪せても その「字」は変化しない。同氏と「絆」がある『こまつ座』、それにコント監修を担当したラサール石井にしても頭を抱えたことだろう。
    しかし、我が家が披露したコント集は あくまで「2014年のコント」だった。


    「ブーゥムゥ〜ブ、チン!!」

    我が家、役者勢のコントが「オチ」を決めた度、軽快なラッパと鈍い金属音が鳴り響く。いわゆる「ピンスポ」がコント師たちを照らし、おどけた「変顔」を静止画のように披露。そこで拍手喝采という一連の流れがある。

    「ピンスポ」の調光は神宮球場の「ナイト・ゲーム」である。そのため、芝居の劇場空間を否定する「イリュージョン」でもあり、同時に観客は その「変顔」に何とも恥じらいの感情を味わう。


    「おおらかな70年代」ー「マクドナルド化する社会」も、「スターバックス資本主義」も、「ユニクロ・ワン・ワールド」も、この頃の日本人は知らない。
    経済学者・ピーター・ドラッカーが、1969年に発表した著書『断絶の時代』の中で「今日のグローバル企業は、経営陣も技術陣もグローバルである」と指摘していた世界経済の潮流下、日本は ちょうどコンピュータ・管理システムが導入される分岐点にあった。


    NHK『お笑いオンステージ』コーナー「てんぷく笑劇場」放送作家だった井上ひさし氏は この「分岐点」を テレビ局で過ごす。

    週20本連載の多忙ぶり。

    「身内が亡くなった」井上氏の嘘をテレビ局スタッフが間に受け お見送りしてくれた逸話、果ては「備品」の管理体制に至るまで、「おおらかな70年代」と それが崩れていく「外堀」を描く。


    こうして「てんぷくトリオ」のコント集と井上ひさし氏の「自伝」を交互に観ると、「切り替え」のテレビ的な編集作業である。
    また、幼稚的な題材にも今のテレビ番組で けっして放映できないだろ「死」がある。
    オチにしか この「シュールな笑い」は登場しない。

    『クレイジーキャッツ』『コント55号』『小松正夫』『ドリフターズ』にはなかった、井上ひさし氏の書く「笑い」。
    「死」そのものが「笑い」だから 不謹慎だともいえる。


    この「世代間ギャップ」が「てんぷくトリオのコント」の限界である一方、2010年世代の我が家が それを披露することで新旧折衷の「次世代コント」へバージョン・アップしてくれるのだ。

    ネタバレBOX

    もっとも、市川しんぺー を筆頭に役者勢もテレビ黄金期の動き回るコント師だった。芝居で 押したり捻ったりしたら「進行」が滞るだろう。しかし、コントは それすらも「笑い」であり、『てんぷくトリオのコント』をオマージュする その猛演に改めて敬意を表したい。

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    2014/07/02 01:46

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