ヘナレイデー 公演情報 AnK「ヘナレイデー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     賞 納言ちゃん
     枕草子が現代で言うとブログだというのは、納得のゆく発想で自然な感じで拝見することができた。

    ネタバレBOX

      普通のOLのたゆたいを劇化した今作。矢張り女性の感覚でしか描けない表現、センスが息づいていて素敵な時空間を味わった。大体、枕草紙がブログだ、と言っておきながら、取るに足りない話ができる相手を失った者がするのが、ブログだ、と言い出す。色々、コンセプトをいじりまわしてから発言する男の発想とは根本が違うのだが、それが新鮮である。
     基本的には、女性の感じる連れの無い孤独という状態は、親友に恋人を寝取られて、恋人と親友を同時に失ってしまったり、親、兄弟など、空気のように当たり前に居るハズの者が居なくなってしまって気付く寂謬に落ち込んで、もがくうちに、かつて空気のように当たり前に居た、恋人、親友、親、兄弟などかけがえの無い存在を幻想と狂気と夢の狭間に立ち上げて、自らの心を漂わせる、といったイメージだろうか。そこに便利なツールとして入り込んでくるのが、インターネットだ。ヴァーチャルな世界と幻想・狂気・夢は相性が良い。そこで、ネットを通じて、人間関係の快復のようなものが図られる。上手くゆけば、それは現実の人間関係に発展可能であり、失敗すれば泡が弾けたように跡かたも無く消え去り、後には、前より少しだけ厚みを増した虚しさが残る。今作では、上手くいきそうである。相手は引き籠りの酪農家の娘だが、ちょっとボーイッシュ。
     今迄の経緯と新たな出会いが、あった27歳から28歳への丁度1年を、時に音楽を背景に態といっしょくたに演じてみせたりする為、科白が聞き取れなかったり、全部の状況を瞬時に捉えるおとが出来なかったりという作りにした部分もあるのだが、寺山修司の舞台のように、一つ一つのシーンが田を排斥するようにして成立しているわけではなく、そこにあるからある。という形で演じられているのが、矢張り女性的である。
     また、恋人を取った嘗ての親友が、仕事が出来る為に過重な労働を押しつけられ、更には、下らないストレス迄背負いこまされて、終に酒で憂さを晴らそうとした時に現れる、狐の神、彼らの舞いの美しいこと、殊に中心になって踊ったダンサーの踊りは見事であった。
     27歳から28歳への丁度、1年間を描いているので、ラストシーンは彼女の誕 生日、友人らが集まって祝ってくれるシーンであるが、蝋燭になぞらえられたフィラメント球をそっと吹くと、呼応して一つ、また一つと光が消えて行く演出も美しい。

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    2014/05/24 22:53

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