しろたへの春 契りきな 公演情報 演劇集団 Ring-Bong「しろたへの春 契りきな」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ショパン 革命
     大好きな曲がオープニングで演奏された。この曲、ショパンの才能を惜しみ、ポーランドに居ては、反体制運動をして死地に赴くと心配した友人たちが、彼を国外に逃した後に、ショパンが祖国の運命に思いを馳せて作曲したとの話を聞いたことがある。非常に激しい、断腸の思いの籠った名曲だ。(追記2014.1.23更に付けたし予定)

    ネタバレBOX

    ソウルが未だ京城と呼ばれ、朝鮮半島が大日本帝国の植民地下に在って、系譜を非常に重んずる朝鮮族に対して創氏改名が為された1940年代初頭から現代までを、当時、京城で堀写真館を開いていた一家の家族史と、此処に出入りしていた朝鮮族の人々と末裔の歴史を通して描いた歴史物。直球勝負の佳作である。
     堀 賢治は、京城で写真館を営む。十数年前結核で妻を失くした後、妻に瓜二つのキム ソルを女中として雇い、家族同然に暮らしている。その関係で弟のチュンセンも書生として此処にいる。長女の蕗子は、朝鮮総督府の経営する病院の医師と結婚し、近いうちに満州へ行くことになっていた。妹の芽は、母に似たのか歌が上手く、以前、この家で書生をし、現在はラジオの放送局に勤めるチュンセンの兄の番組で合唱を歌うことになっており、練習に余念が無い。曲は“野薔薇”。日本語とドイツ語で歌うようである。きちんと歌う為には、無論、ピアノのレッスンも必要とあって、賢治の古い友人でジャズ好きのピアニスト、パク ウヨンが先生である。
     明るく、豊かで、フランクな家庭であったが、ここにも戦争の影は忍び込む。ラジオ局に勤めるチュンセンの兄が、特高にパクられたのだ。在米の朝鮮族が母国の運命を憂い、戦争の実体をアメリカから短波放送を使って流していたが、その放送を聞いていたことが、罪に問われたのである。ミッドウェー海戦で日本が大敗を喫した後、大本営の嘘とは裏腹に日本は負け続けていたので、その事実を報道されることも、受信することも、軍部は固く禁じていたからである。捕まった後も彼はジャーナリズムに携わる人間として節を曲げなかったので、連日拷問を受け続け、終に命を奪われた。
     戦争が劣勢になるや、日本は、朝鮮人、台湾人等も皇民として徴兵、チュンセンも心を寄せた芽の為、世話になった堀家の為に応召に応じるが、幸い生き残って日本に復員、その後、結婚して子を設け、日本へ戻って写真館を開いたと聞いた堀写真館を訪ね、親子の写真を芽に撮影して貰っていた。民族の言葉を喋れなかったチュンセンは、ハングルを学び、1971年に韓国へ行くが、反共独裁朴 正熙政権下の韓国でスパイ容疑を掛けられ逮捕されてしまう。兄と同じように、毎日拷問を受けたが、監守の隙をついて焼身自殺を図った。然し、耳も眉も炎で焼かれて跡かたも無くなり、口も殆ど開かない程の大やけどを負ったものの、火を消し止められ、目的は果たせなかった。傷が癒えるとまた獄に戻されたが節を曲げなかったが故に獄殺された。
      記号化
     囚人番号をつけられることの本質は何か? それは、人間性の剥奪、生きて、同胞として、尊厳を持った個人として当たり前に生活することの否定である。だから、総ての権力は、個人に圧力を掛け、その精神を挫く為に、必ず一切の例外なく記号化を行うのだ。
     権力側が、記号化するのに対して、面会者は、囚人、収容者の個人名を呼び、個人の尊厳を持った者として接する。ここには、決定的な差がある。ニュース報道などで、死者何人などとして報道されることは、本質的な意味を為さない。それは、誰でも無いからだ。数字即ち記号にされた者は、ただ、忘れられる為に、記号化されるからである。人の死とは、そんなものか? そうであってはなるまい。だから、報道にあっても、本質的な報道であろうとすれば、本来は、亡くなった方々の個人名と個人史を掲載した上で、亡くなったことを報じるべきなのである。著名人であれば、そのように報じられることも稀ではないが、本来は、総ての人に対して、個人情報保護上問題が無ければ、そのように報じられるべきであろう。

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    2014/01/22 15:02

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