カルネ・ウァレ 公演情報 朋澤精肉店「カルネ・ウァレ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    カーニバルの本義
     カルネ・ウァレの原初的な形態の持つ始原の人間の持つカオスを舞台化して見せた。その表象の形に衝撃的なシーンを含む、興味深い公演であった。(追記2014.1.1)

    ネタバレBOX

     先ずは祭壇のように設えられた舞台に先生と名付けられた者が目隠しをされ後ろ手に縛られた姿で導かれ、その内包を知る由もない女性徒達の前で己の哲学を述べた後、犠牲の羊よろしく寄って集って刺され死ぬ。ここで重要なことは死と哲学が接していることである。また、意味する所が未だ分からないにせよ生徒達は哲学の産まれてくる場所即ち死を臨む場所に居たことだ。彼女達の過ちは、見ていた者総てが殺戮に参加してしまったことだ。この間違いが後の総ての錯誤・錯乱に通じて行く。結果、異相の者を呼び込み終には、安定層に在った己の世界を混沌層に投げ込んでしまうのだ。以降、この混沌層が世界を呑む。その「形」は奇妙で各々は混沌の中に定規を置こうともがく。もがけばもがくほど深みに嵌ってゆく。丁度、蟻地獄に落ちた蟻そのものだ。そして深みに嵌れば嵌る程、彼女らは、定規によって自らをも他者をも縛ろうとするのである。そして自らの欠点より他者のアラの方がよく目につくものだ。状況は混沌そのものであるのに、状況を無視して各自が其々他人のアラを見付けることによって他者を否定してゆく。一方の極にあるのは無限の自己保存本能である。従って理屈は以下のようになる。自己保存本能によって生きようとする自分は正しく、他者には悪いことしか見ない。こうなれば後はもう狩る者だけが存在する。こうして人々は一人一人が他者を血祭りにあげる存在として機能してゆく、一切の状況を顧慮することもなく何故他者を狩るのかも問わず。
     興味深いのは、世の中が乱れるとファシズムの温床になり、ファシズムが蔓延すると規制が強くなる。その規制によって人々は、理性の保ってきた安定や平和を自ら壊して、喜々として戦いに赴くという歴史的事実である。カルネ ウァレの原初の形が生まれたのは遥かな昔だが、ヒトに進歩はあったのだろうか? 人類等という総称を簡単に用い得るほど、人々は互いに手を繋いでいるのだろうか? このように問い掛けた時、この作品が持つ黝いユーモアが働きだす。

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    2013/12/20 02:41

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