女子大生100年日記 公演情報 学習院女子大学 pafe.GWC実行委員会「女子大生100年日記」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    女子力
     設定がユニークである。先ず、作品を演じる会場が、学内の普段は教室として使われている部屋だったり、カフェテリアのような空間だったり、大学構内の特定エリアだったり、と各作品毎に、観客は移動して劇を観るのだ。各作品に対して、演出家が1人就く。作・演出が同一の場合と異なる場合がある。本日1作目は、作・演出が、双葉姉妹の小池 竹見。上演場所は、教室である。(2作目追加、3作目については2013.12.4)

    ネタバレBOX

     「こうしてワタシは完全になる」では、机等を四方に積み重ねて築いたバリケードの中にカツコが1人。時代設定は1969年で原作は高野悦子の「二十歳の原点」。学生運動の盛んな頃、立命館大学に入学し、自殺した少女の書いた日記がもとになった本だ。原作は、当時多くの若者に読まれ、支持された。今作で、主人公・カツコは、学習院女子短大の学生とダブらせて描かれているととって良かろうが、限定する必要はない。余り、学生運動とは縁の無かった女子短大と一般化した方が良いかも知れない。まあ、そんなに重要なことではないが、読者の好きに選んで欲しい。
     何れにせよ、既存の価値観、常識と新たな価値観や性と恋愛の関係の中で自分のスタンスを決め兼ねて悩む思春期の若い女性を描いて鮮烈さをみせる。主張自体は、いつの時代も新旧の鬩ぎ合いとしてあることながら、新しいのは、その方法、提示の仕方である。その点を強調する為もあるだろう。当時、寺山 修司等が盛んに言っていた。演劇の成立条件に観客を含める、という考え方を推し進めるように、会場に入る時に、観客には、男1、女1、女2等と各々の役割の下にアンダーラインが引かれたテキストが渡され、カツコに科白に対するダイアローグは観客が科白を発して当に演劇に参加して行く、という形になっている。テキストが渡されてから上演が開始される迄の間は、そんなに時間がある訳ではないので、テキストを全部読んで対応するのは若干難しいだろうから、通常の観劇のように観ることに集中しようとするには、負担かもしれないが、新鮮な体験を楽しみ乍ら観劇して頂きたい。

    「放課後 女子学生 1920」チョコレートケーキの古川 健作、 演出は、倉迫 康史優等生のふみこ、新しい女に憧れるちよ、詩を書いているしずこ、華族の先輩に憧れるすずら四人は、文芸同好会の仲良し四人組。
     描かれている1920年(大正9年)には、質素、正直を旨とする女学校の生徒である。如何に大正リベラリズムとはいえ、女子の進路は、親の決定で一生を左右される時代、嫁に行くことも当たり前であった。そんな時代を、青鞜の女性達のように自立した女性に憧れ、彼女らのファッションを真似たり、華族の優雅に憧れて立ち居振る舞いを真似るのも様にならず、手紙を認めて、下駄箱に忍びこませたり、文面や、憧れの先輩へのアプローチに悩んだりしながら、胸ときめかせ、勉強やおしゃべりにうち興じ、泣き笑いしつつ大人への階段を上がってゆく少女たちの、放課後を描いた秀作。
     卒業後、最も早く結婚したすずは、夫と息子を戦争に取られ失くした後、東京を離れた。ふみこは女子教育の最高峰、東京女子高等師範に入学したが、関東大震災で絶命、ちよは東京大空襲で子供と共に亡くなった。関東大震災、満州事変、太平洋戦争、敗戦を経て生き残ったのは、しずこ1人。彼女が語る思い出として劇は構築されている。時代と少女たちの心の動きなどを通して瑞々しい感性と時代の重さを見事に捉えている。謎の物体として登場してくるラジオが、少女たちの感性の瑞々しさと不如意を表す象徴として機能しているのだが、薔薇の形をしているのが、如何にもお洒落だ。

    「40歳の女子大生-女子学生2020-」作・演出はタテヨコ企画の横田 修
     舞台は2020年、東京オリンピック開催の近未来、という設定だ。サークルメンバーなどが溜れるような学生会館の一角、40歳で大学に入学した市橋が腰かけている。彼女から、初の授業の時、蜜柑を貰った森下は、それを大事にロッカーに仕舞ったのだが、数か月経った今、それは黴た後干からびている。そんな話をする森下は失踪中だ。ルームシェアをしている、かなが、心配しているのだが、またふけてしまった。4年の疋田は就職活動中だが、厳しい状況である。それでもチャレンジし続けており、もう発表がある頃なのだ。居たたまれずに、ここに来ている。里子の趣味は合コン。君島という彼氏とは別れたばかりだ。というのも、実家を離れた寂しさを紛らわす為に、宗教に嵌って、幸福を数値化し分かったような事を言う彼とちょっと付き合った程度だったので、別れたと言っても大して精神的ダメージは無い。ただ、矢張り寂しさを紛らわしたくて合コンが好きなのである。かなたちは、森下が現れた後、またしてもフケてしまったというので、彼女を探しにキャンパス内を探しまわる。漸く、森下を捕まえるが、彼女は大学を止めると言う。彼女の母は現在の父と再婚した間柄である。それでも父は、森下を可愛がり、決して裕福ではないのに大学迄やってくれたのだし大変感謝してはいる。だが、彼女は、3.11、3.12の被災地出身者なのであった。その彼女の目にはオリンピックが、原発人災後、子供達の内部被曝の犠牲の上に立った、大人の儲け話・祭りとして開催されていると映る。そこで、彼女は、世界と対峙する道を選ぶことにしたのだ。大学生というモラトリアム期間に甘んじることを投げ捨てて。森下は、このように自分の道を自分の意思で選んだ。さはさりながら、他のメンバーは、他のメンバーの想いがある。様々な念を抱えた女子大生達が、その思いを抱えたまま行き交うことのできる空間で交差し、出会い、別れてゆく。疋田は、合格した。里子は合コン、市橋の望みも合コンである。かなも森下の態度が決まり、兎に角、目途はついた。そうこうしているうちにも、ヒトは誰かと繋がりたいのか? という痛烈な問いと共に、女子大生達は、会館からキャンパスへ出て行く。
     外では、男には絶対真似のできない、キャーキャーのどよめき。急に走りだしたり、笑ったり。兎に角、女子大生の“らしさ”を思いっきり見せられ、和みと笑いがいっしょくたになって襲ってきたのには、のけぞってしまった。楽しめる。

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    2013/11/27 13:35

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