トキグルマ 公演情報 ThreeQuarter「トキグルマ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    生き様
     取り壊しが決まった藤田演芸場、最終公演は、この劇場に嘗て出演していた芸人を呼んでのお笑いライブ・“お笑いリレー”。5年ぶりに一堂に会した面々だったが、オープニングを担当した後、メインのお笑いコンビ「みぶるい」の相方が突然消えてしまった。楽屋、裏回り、倉庫等々八方手を尽くして探したが見つからない。

    ネタバレBOX

     丁度、その頃、京都。時は慶応二年。新撰組の山南 敬助は、局長、土方らと意見が合わず、隊を抜けたことを咎められ切腹。彼には想う女、明里があったが、彼女を残して逝った。明里は、かつて新撰組が壬生組と呼ばれていた頃から馴染みの旅籠、里屋に、新撰組の斉藤 一の計らいで匿われる。そこへ降って湧いたようにみぶるいの失踪した相方、毛利が出現した。毛利は切腹した山南と瓜二つ。明里や、土方すら見間違えるほどであった。
     一方幕府は、欧米の力を見せつけられ、それまでの方針を転換してゆく。だが、薩長を中心とする攘夷派は、なおもこれに抵抗。国論は真っ二つに割れ、新撰組内にも分裂の危機が訪れる。この中で、参謀格の伊藤が尊王攘夷本来の思想に殉ずべきことを解いて、隊内に同士を募ったことから、土方らに暗殺される。この後も隊内の急進派に対する襲撃は続き、隊内は幕府に就く者だけが残るようになっていった。
     ところで、江戸時代末期に来てしまった毛利は、里屋の番頭をしていた七三郎と共に新撰組に参加することとなるが、幕府の大政奉還で鎌倉以来続いて来た武士の世が公式には終わりを遂げたことで、それ迄幕府を支えてきた中心藩の一つであった会津藩は朝敵とされ、官軍となった薩長軍に逆賊として攻められることになった。会津城は落ちる。その後、戦の場所を函館、五稜郭に移し土方、七三郎、斉藤、毛利らは次々に討ち死に。毛利からは、藤田演芸場にいる彼女、明実へ死を覚悟したメールが届く。
     以上のように歴史が動く中で、藤田演芸場の最終公演、「お笑いリレー」がパラレルに進行している。この進行に小道具として使われているのが、糸車。単に糸を紡ぐという機能のみならず、時を紡ぎ以て空間を紡いで、時空の自在な転移を頗る自然な形でイメージさせており、効果抜群。見事な使い方の一例であろう。無論、実際に物語の中で、布を紡ぎ出す為の諸道具の象徴としても用いられており、具体・抽象の転移にも不足は無い。何より、この小道具の使い方が、舞台に安定感を齎していることに注意すべきであろう。
     「お笑いリレー」では“みぶるい”の穴埋めの為“さつまご飯”が持ちネタを総て出し切って演じたが、売れ始めてTV出演も果たしたとはいえ、未だ経験は浅い。自分達だけで、総てのコマを埋め尽くせるわけではない。そこで、制作やプロデューサー、アシスタントら総出で穴埋めしてゆくことになる。(因みに時間の推移は、現代の1分が江戸時代の何ヶ月にも当たるので、歴史的事象の展開と現在、観客の目の前で行われているタイムトラベルの物語が、観客にとって不自然とは感じられない仕組みになっている。また、これを読む諸子は、“みぶるい”は新撰組結成当時の名、壬生組を表しており、“さつまご飯”は敵対し勝者となった薩長を意味している洒落であることは、当然気付いているだろう。)
     これら2つの時代、2つの場所を繋ぐもう1つのアイテムが、モバイル通信機器である。まあ、本当に通信可能か? などと野暮なことは、問わないで欲しい。兎に角、スマホが時空を超えて機能することで、互いの時代の雰囲気が共有される。
     シリアスな幕末の酷い歴史の中で必死に生き死んでゆく者たちのドラマとアタフタと最終公演に取り組む面々の相似(毛利と山南、明実と明里、緒方と土方など)と史的状況の異相(血に塗れた激動の時代と平和呆けの時代)が糸車の助けを借りて自在に想像力の翼を広げさせるとすれば、スマホは、ドライで表層的で平和で非人間的な世界へ、血塗られ、人間的で宿命的な生き様を伝えて不思議な融合を果たしている。
     普段、社会人をしている人たちの劇団のようだが、生き様に共鳴する力があるのだろう。リーフレットの上演履歴では、つか こうへい作品が多い。なるほど、と思う。演ずるという行為より、寧ろ生き様を叩きつけるように舞台上で表現したのが、つか演劇の本質であり、特徴だと思うからである。その意味で、どの役を演じたどの役者もその生き方、生き様をぶつけているようで、とても好感した。

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    2013/10/16 16:17

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