アザゼルの山羊 公演情報 チャリカルキ「アザゼルの山羊」の観てきた!クチコミとコメント

  • 何が「キー」か、ラスト5分間まで解らない…
    私は当初、日本の「教育崩壊」に対する、あるいはメディアに対するアンチテーゼに則り構成された脚本だと思った。

    しかし、むしろ本作は、社会派サスペンスというよりは、卓越した事件物のミステリー•サスペンスである。


    冒頭、中華圏やアラブ圏等の外国人に扮する日本語学校生徒達が その後のサスペンスとは似つかない「ほんわか」したリレーを繰り返すわけだが、唯一、「愛おしい」というキーワードは放たれた。

    ネタバレBOX

    「小学6年生 児童の事故死ー担任教師の有罪判決」(13年前)


    中盤にいたるまで思ったのは、今、問題視される学校現場の内側を中国の留学生が取材して、「断片」を浮かび上がらす構図である。しかし一転、「事故死」の小学6年生男子児童こそを元同級生の証言など で浮き彫りにした構図が進む。


    たとえば、映画化を果たした『桐島、部活やめるって』(朝井 リョウ著)も、バレー部キャプテンの本人は 一切 出演せず、周囲の抱く気持ち、証言のみに基づいて成り立つ。

    地方高校バレー部のキャプテンでありながら、ある日、部活を辞めた情報が校内中に知れ渡った。
    周りの反応、対立をとおし「桐島」なる青年の人物像を掘って行く、その作業自体が小説だ。

    本作『アザゼルの山羊』では針金で造った小さな人形のみ生徒の身体を表現したが、それは落語を聴きに行った時のような「膨らむ感覚」としかいいようがない。
    全会一致の「いい奴」でも、どこか「脆さ」は存在しており、証言ごとで浮き彫りになる屋上のプール•サイドの光景は全く別物…。


    これは、社会派の舞台ではなく、「親とは何なのか?」「教育者とは何なのか?」を含めた、ヒューマン•サスペンスかもしれない。

    コロンビア産コーヒー豆の深さ薫る脚本が、ほのかな「愛おしさ」を与えてくれる、そんな作品である。

    0

    2013/10/12 23:34

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大