目で聴いた、あの夏 公演情報 大橋ひろえ「目で聴いた、あの夏」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    不覚
     何故、子供が誕生したことにこれ程感動したのか? 不覚にも! これが偽らざる心情であった。確かに、舞台上で繰り広げられる登場人物の語り所作と、同じ立場の、被爆聾唖者のドキュメンタリーを交互に舞台上に上げて、演出の入ったものを所作と共に、編集の入ったドキュメントを証言音声として同一地平である舞台上に載せたというシンプルだが、靭い演出を褒めるべきかも知れない。然し、自分が得た感覚はそれとも違う。

    ネタバレBOX

     ラストシーンは出産のそれだが、出て来た赤ん坊は、真っ赤な毬の形をしている。それは、1945年8月9日11時2分、長崎上空で爆発したプルトニウム型原爆ファットマンの作り出した鮮血の大陽、その回りを白い雲が竜の如く渦巻いていたあの人工太陽そのものに似ているのではないか、との疑念からだった。母は知っている。祖父、祖母の代から、3代続いて聾唖の家系であり、それが遺伝子の作用であろうことも、また被曝者の末裔であり、被曝が遺伝に悪影響を及ぼしかねない可能性についても、健常者の彼との関係のみならず、彼女が妊娠に気付いて以来、ずっと悩んで来た問題、それが、母になる自分が抱えているこの2つの条件だった。
     だが、彼女は、迷った挙句、生命の持つ未来への力を信じることができ、産むことを決意し、実際に出産したのである。それは、彼女の抱える不安が的中したにせよ、彼女がそれを負って生き続けるという選択でもあった。その決意の凄まじさ、その潔さ、そして未来を選びとった彼女の勇気に、不覚にも感動したのである。

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    2013/08/10 12:36

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