極東の地、西の果て 公演情報 TRASHMASTERS「極東の地、西の果て」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    時代の流れと対峙する意志!
    今の時代の流れに真正面から向き合い、格闘している芝居。
    時代の流れに対する憤りは、脚本・演出・演技など、舞台を形作るあらゆる部分に強烈な熱量となって転化されている。とにかく強い。

    ただ、ひっかる点も少しあった。

    (箇条書きなので、後で整えます。)

    ネタバレBOX

    基本的な設定は、ジョージ・オーウェルやハクスリーのような、起こり得るかもしれない近未来SF。

    芸術の思想を元に、「学校」という組織を作り、貧困者なども少しの入学金・学費を払うだけで誰でも最低限の生活が保障されるというシステムを作った<学長>。「学校」は芸術家を育成することが基本だが、農業にも従事させるなど、資本主義社会で、経済的に破綻しないような巧妙なシステムも作っている。そして、その「学校」から巣立った芸術家の世界的成功などによっても、その「学校」の経済力は莫大なものになる。

    九州に拠点を移した「学校」は、九州の県知事の誘いにより、共に独立国家「芸由宇州」を樹立することを宣言。ただ、多数の国の承認や支持を受けるものの、日本はそれを認めず自治区のような扱いになる。

    そのような設定のSF。中心テーマは、「芸術」とは何か、それは今日の支配的な価値観とどう違うか、それに基づいて何ができるかということ。
    今日の支配的な価値観や権力者の暴力の具体的な例として、TPPならびに、遺伝子組み換え食品の問題が大きく語られる。

    芸術とは、金銭などに還元できないものであり、「どう生きるか」ということと同義だということになる。それは岡本太郎の思想だ。実際に、この作品中で、岡本太郎の名前が語られる。

    TPPの問題は、アメリカが日本を今までもその属国としてきたし、これからもそれをよりあからさまな形で行うということを示す具体例としてあらわれる。

    まさに今日本が置かれている社会状況に、どう別の価値観、つまり「芸術」をもって対峙できるか、、、、という作品なのだ。

    時は流れて、「学校」は次第に力を失い、その関係者の子供たちは、隠れて、この時代の流れに抗おうとして生活している。
    それが外からは過激派だと思われている。
    もはや過激闘争をするような過激派など存在しないのに、そのようなレッテルを貼れば、権力者は、平和を望む一般市民を味方につけ、容易に反権力者を疎外し、時に管理する口実となる。これは、現在の政治運動の直喩である。反原発デモなどで、過激な行為などしていないのに逮捕者が出るなどの事態は、これとまったく同じ構図だ。

    この物語において、過激派は世間から「サムライオオカミ」と呼ばれている。
    実はこの名前は、本人も知らずに育てられた、「学校」の学長の息子:トラの名前からきている。トラの本名は侍狼(じろう)だからだ。ちなみに、侍狼(じろう)は岡本太郎に対して、その志を受け継ぐ者として「じろう」という意味があるようだ。

    「サムライオオカミ」は、権力者やその一般的なメディアが流布した情報を信じた者が勝手に思い描いている像であり、実際には、遺伝子組み換えではない植物を育て、家畜も自分達で育てるという、ただそれだけを全うしている人々でしかなかった。「過激派が家畜の肉に毒を入れてテロ行為をしている」と噂さているものの実態は、実は遺伝子組み換え飼料を食べた家畜が原因不明の毒に冒されているということに過ぎなかった。それなのに、権力者はそのイメージ付けを利用し、過激派の抹消をしてくる。

    ここには、日本のメディアのいびつさと、メディアリテラシーに対する強い批評性がある。

    そして、最後、そのグループは壊滅させられるのだが、学長の息子トラ(侍狼)と彼が恋した女:伊武沢凪(グル―プの滝内龍ノ介の異母兄妹であり、仇村晃吉の異父兄妹であり、さらに権力のスパイでもあった女)だけは、唯一あった筏で逃亡して未来に希望を繋げる。

    トラと伊武沢凪が去った後、残った者たちは、最後に自分達の血で死を書こうと言って、暗転。機関銃の音が響く。再び灯りがつくと、そこには「我らの芸術 これで終わる 明日の芸術 お前が始める」と壁に書かれている。


    この時代への批評性も、そして、芝居としての熱量の強さも申し分のない傑作だと思うが、3点気になる部分があった。

    1つは、後半はメッセージに寄り過ぎているのではないかと言う点。具体的には、特に、遺伝子組み換え食品について。確かに、遺伝子組み換え食品は危ないのではないかという意見は理解できる。だが、それはどう具体的に危ないかということまでは、現状でははっきりしていない。とんでもない事態を招くかもしれないし、実はたいした害は起こらないかもしれない。勿論、安全側で考えるべきだという考えに私も賛成だが、遺伝子組み換え植物を作ることによって、生産量が増え、今日の食糧危機を乗り越えるきっかけになったり、農薬を減らして栽培できるようになるなどの利点もあるという意見もある。勿論、それも権力側に情報操作された見解だという可能性もある。だが、逆に、遺伝子組み換えは絶対悪だと言い切ることも、反体制側のメディア・バイアスがかかったものの可能性もある。メディア・リテラシーの問題は難しく、権力側のバイアスだけではなく、反権力側のバイアスも正しいとは限らないという視点も必要なのではないか。

    ただし、この作品は近未来SFなので、ある部分を拡大解釈してフィクション化したという考えが成り立つので、演劇的には、この意見は批判ではない。フィクションとはそういうものであり、それはフィクションの強みでもあるので。

    もう一点は、女性の描かれ方。未来の話なのに、女性の扱われ方が、どうも古い。トラと一緒に旅立つ女に「トラの子供を産め」と言ってしまったり、雅姫は娼婦だったり。古いというのは、新しい古いの問題ではなく、男性中心的な見方によって、世界が構築されているのではないかということだ。

    更にもう一点。最後、トラは旅立つ決めゼリフとして「日本人は農耕民族だから、農業をやるよ」というような台詞が出てくる。それまで「血」の問題などを扱っていて、そこでは明示されてはいないが、部落の問題や在日の問題も意識して書かれているのではないかという深読みもあったが、最後に作品の決めゼリフとして「日本人」という主語が出てきたのには少し興が冷めてしまった。

    と、3点ほど厳しいことも書いたが、基本的には素晴らしい作品だった。

    役者さん達の演技も素晴らしかった。
    全員素晴らしい演技だったが、特に龍坐さんの存在感は圧倒的だし、
    カゴシマジローさんと、川崎初夏さんの演技は印象的だった。
    また、林田麻里さんは、前半と後半で別の人を演じているのだが、同じ役者が演じているようには全く見えなかった。素晴らしい。

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    2013/07/29 16:56

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