満足度★★★★★
シェークスピアと,イプセンと,メーテルリンクと,チェーホフと,そして,『ビョードロ』
シェークスピアと,イプセンと,メーテルリンクと,チェーホフと,そして,『ビョードロ』
シェークスピアは素晴らしい作家で多くの作品を残しましたが,全作品には,ヒントになる事件,逸話があって,現代でいうところの,創作的なものはひとつもありません。その点では,いまいちです。イプセンは,人形の家を書いた立派な作家ですが,シェークスピアの偉大さを,せせこましい居間におしこめた人といわれました。メーテルリンクは,青い鳥で,はしか・しょうこうねつなど病気を運命に持ちながら生まれくる未来を暗示する傑作を残しましたが,最初犬・猫がわんわん吠えてうるさいと,バカにされました。チェーホフのかもめは,モスクワ芸術座の紋章になった作品ですが,当初その奇抜さに誰も評価できませんでした。
『ビョードロ』は,おそらく,劇団おぼんろで『かもめ』のような代表作品となると良いと思います。何度も何度も演じて,日本中を感動の嵐に陥れてください。作品はどこにもムダがないので,そのままの形を維持すべきです。チェーホフの手を離れ,『かもめ』ほか代表作が,さまざまに演出をされたように,もはやこの作品は一人歩きしはじめています。いつの日か,世界中の多くの演出家によって,いろいろなアプローチがさらに作品の世界を拡げるかもしれません。今回の役者・観客の全員が,タネになり,死んでしまったあと100年後,われわれの子孫は,非常におもしろい傑作を残してくれたと,いずこの劇場・倉庫で涙するでしょう。
東日本の地震で,福島の方たちが苦労しているのに,何を言っているのか,と申し訳ないけど,次のような感想を私は,持ちます。演劇などを自由に体験できる良い日本に生まれたと。現在日本演劇の源流は,私の考えでは,ロシア文学系だったり,フランス文学系だったりすると思われます。
一方のモスクワ芸術座では,スタニスラフスキーと,メイエルホルドの話があります。スタニスラフスキーは,システムを作ってみようと考えたり,メイエルホルドは,逆に演劇は,「演劇性」をどこまでも残せばいいじゃないか,とくいちがいました。しかし,心の中での対立はなく,二人は,最後まで演劇を愛する友人でした。しかし,メイエルホルドはスターリンに睨まれ,演劇人として粛清(殺害)されていきます。
フランス文学系は,浅利慶太さんが大好きな世界で,むしろ,ロシア系をきらうのですが,こっちにもいろいろな話があります。サルトルの『汚れた手』を最近俳優座で観たりしたのですが,調べてみると,サルトル自身,このような話は,反共政策に利用されるだけであると,ずっと上演を認めなかったようです。つまり,随分あとになって,傑作を観られる時代になったのです。
『ビョードロ』を観られる時代,このような美しい演劇を自由に,観られる時代に生まれて,われわれは幸せです。ぜひ,一人でも多くの日本人にしあわせを与えてほしいものです。この作品は,二度楽しめます。ひとつは,形式美としての演劇です。何も深く思考しないで,劇場をあとにしても良い印象がずっと残ります。もうひとつは,象徴の言語・寓話の世界として,何かを感じとり,想像力の世界に遊ぶ見方ができます。その場合,「ジョウキゲン」を,原子力と感じる人もいたり,あるいは,演劇愛と感じる読み方も自由です。あとは,親子の情愛は,結構深いが,また,それが,難しい状況を生むものだ,という見方もできます。
私は,しろうとなので,みなさんの愛するこの傑作『ビョードロ』をどのようにほめても,ご不満がでることは承知ですが,二回観劇させていただいて,以上のような感想を抱くものです。私自身は,子どものミュージカルでも観ていた方がしあわせな人間なので,この劇団を今後応援するというより,見守ることに専念し,深く干渉はしないと思いますが,よろしくご発展されるように祈ります。以上,最後の感想とします。