アトミック☆ストーム 公演情報 流山児★事務所「アトミック☆ストーム」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    あと一歩上に
    舞台セット、生演奏の音楽、俳優の歌と演技など、総じて水準の高い舞台だったと思う。小ネタやパロディの切れ味もよい。が、もう一段階上のレベルにいけたはずだという思いがぬぐえない。

    大勢のキャストをダイナミックに動かす中屋敷演出は、円熟の閾に達している。エネルギー全開のまま駆け抜けるのが彼のスタイルなのだと思うが、今回は前半でそのエネルギーに慣れてきてしまって、後半に、それを受け止める観客の方が無感動になってしまった感が否めない。特に後半はプロットが錯綜するのに伴って歌も重ねあわされるので、パワーがシンプルに前に出てこなくなったという面もあるのかもしれない。

    ネタバレBOX

    原発問題を単に時事ネタとしてではなく、神話的なスケールで捉えようとするのは、渡辺源四郎商店「翔べ!原子力ロボむつ」にも通じるスタンスだろう。ただ、神話的な演劇には、単純で強力な構造が必要だと思う。

    勝手に具体的なアイディアをいえば、全キャストを一人二役か三役にして、それぞれ月と地上と地下の世界の存在に対応させるといったやり方が、効果的だったと思う。たとえば地下の子どもたちは、月においては一人一人が暴走へのエネルギーを蓄えた地下の核廃棄物の化身である、というふうに。彼らは現実の存在ではなさそうだし、津波を身体表現する場面もあったわけだから、「地下にひそみ、地上=地球に憧れ、押し寄せるなにか」というふうに、多重的にキャラクター設定することができたはずだ。

    役を兼ねると、役者の総数が少なくなって数の生み出すエネルギーは減衰するかもしれないが、今回感じたのは、どちらかというと、一つ一つのキャラクターに内包されるエネルギーが足りないという不満だった。キャラクターが多すぎて一つ一つが薄まったともいえる。大勢のキャラクターを動かすことでしか描けないものはあるだろうが、ひとりの俳優に現実的次元と神話的次元のキャラクターを重ね合わせるという手法で、その俳優が演じるどちらのキャラクターにも厚みを持たせることが可能だったのではないか。野田秀樹がよくやる手法だが、神話的な物語には非常に有効だし、今回はそれが必要だったと思う。

    技術的な面では、音響設計に不満がある。マイクを通した歌声が、上のスピーカーから聞こえてくるのだ。せっかくの大勢のキャストの迫力ある歌声が、舞台から聞こえてこないのだ。マイクを使うことはかまわないが、声が舞台上から前に向かって聞こえてくるように設計しないと、まるで壮大な口パクのような印象を与える。ぜひ工夫を望みたい。あと、シャム双生児は出すべきじゃなかった。

    上から目線となじられても仕方のない要望を書き連ねてしまった。3.11の演劇的表現は、どうしたって難しい。岡田利規だって柴幸男だってうまくいかなかったと思う。今回のは「正面突破」だが、これが正解に近いのではないか。ポテンシャルを感じればこそ、会場アンケートには書ききれない歯がゆい思いのたけを、こちらに書かせてもらった。

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    2013/06/09 23:44

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