満足度★★★★
ジョウキゲンは,どうしてあんなに無邪気だったんだろう。
日暮里d倉庫で,『ビョードロ:月色の森で抱きよせて』を観た。ここは,少しわかりにくい場所だった。座席についても,すべてが,オンボロだ。でも,そこでくり拡げられる世界は,実に純粋で,美しい。登場人物は,さほどいるわけではないが,ひとりひとりが個性的である。
物語を,あれこれ説明することは,しにくい作品であって,ストーリーはあるにはあるが,それより,くり拡げられ会話の美しさ,もろさ,はかなさを感じ取るべきだと思う。ジョウキゲンがひとり女性であるが,それ以外はイケメンの男性ばかりであったからか,観客はほとんど若い女性だったようだ。そういえば,イケメンにロック・グループのような化粧もして,チラシからして,きわめて妖しげであり,印象的だ。
ジョウキゲンは,表面的なものでなく,なにか奥深いところで,人間の心を描いているような気もする。ジョウキゲンが,生まれ,ジョウキゲンが最終的に死んでいく場面に進むにつれて,最初漠然としていた観劇意識が急にはっきりとして来る。すると,それと,ともに,涙がこみ上げて来て,理由もよくわからない感動にいたる。何か,わかる。でも,うまく説明はできない。心で感じ取るしかない。ジョウキゲンは,何だったのだろう。ジョウキゲンは,どうしてあんなに無邪気だったんだろう。
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高萩によれば,演劇に感動するとき三つのリアクションがあるという。まず,「ぜひ,もう一度観たい!」と叫ぶ 人がいる。次に,役者をめざしていたりして,「この劇に自分が出てみたい!」 とつぶやくひとがいる。最後に,「この劇を広くひとりでも多くの人に 見てもらいたいものだ!」などと考える人がいる。
そこで,最後に,登場するタイプが,自分のような「制作」に向いている人であ ろうと,高萩は言うのだ。実際には,彼は,演出家になりたくて,演劇をやって 来たひとで,当初は,雑用のような「制作」に興味が持てなかった。野田秀樹 と組み,野田が演出の部分を一手に引き受けるうちに,仕方なく「制作」に向か っていったという感じもするのであるが。
高萩は,紀伊国屋書店の洋書部に一時いた。芸術で何かを生み出すのは「創造力」。制作などには,「調性力」が要求される。高萩自身に高い「調性力」=劇団マネジメント能力が,あったか,自分でも懐疑的ではあるが,野田秀樹 と組んだ『夢の 遊民社』が,快進撃を続けるうちに,お金の出入りが想像を越えるレベルに達する。小劇団時代は赤字覚悟,少し儲かったとしても,さほど拡大再生産など意図する組織ではなかったのだと思われる。
劇団四季というのは,日本一有名なミュージカル劇団である。 ここに,浅利慶太という人がいる。宮島恵一は,長くこの団体で「経営」を担当し,多くの成果を収めてきた。宮島は,やがて劇団四季を離れ,PSDという会社をやるようになる。劇団四季に入る道も考えたことがあった高萩は,懐かしい再会をする。そこで,拡大再生産に向かう『夢の 遊民社』の経営部分を,彼に全面的にまかせる決断をする。
再確認すれば「野田が,演出!高萩が,制作!」という役割分担でずっと,『夢の遊民社』はやっ て来た。「駒場小劇場」から,二人を中心に劇団は進んで来た。本多劇場に移っ てから劇団は成長し,念願の紀伊国屋ホールにも出られたのだ。ただ,紀伊国屋ホールなどに出られるというポジションになると,巨大有名劇場ゆえに,予約金などが馬鹿にならない。会社組織でないと,お金が自由にまわっていかないのだ。
劇団四季でも抜群の経営戦略をもっていた宮島恵一のやり方は,まちがっていたわけではないだろう。しかし,『夢の遊民社』は,もともと小劇団からスタートし,おそらく採算をどがえししても,芸術性の高いものをめざしていたのではなかろうか。劇団四季は,名作を中心に安定したミュージカルを日本に普及させていたので,そこから学ぶべきこともあった。しかし,劇団四季的経営は,少なくとも,『夢の遊民社』には向いていなかったようだ。
気がつくと,高萩は,宮島に何もかも任せた自分を呪うようになっていく。ノイローゼになり退団を心に決めて動き出すが,まわりがそれを止める。他にも,『夢の遊民社』が,変質し,「これじゃあ劇団ではない!」と思うメンバーがいたのだ。ことここにいたって,PSDという会社への委託などは,すべて打ち切る。稽古場も移転。社長野田の新会社を設立し,高萩を中心とする幹事会での『夢の遊民社』運営を始める。
この後,段田安則や上杉祥三の故郷である関西で の公演をした。代々木体育館でも公演する(もはや小劇場とはとてもいえない)。つくば万博でのイベント がらみで,NTTやら,セゾンにスポンサーを要請(どこか,商業主義化する)。日本人としては,夢の海外公演にも進出するが,言葉の壁は厚かったという。海外有名新聞に,劇評が出た!というだけで,喜ぶも後で,十分に理解されているとはとても思えなく,失望したりしている。
『夢の遊民社』のスーパースターは,野田秀樹にほかならない。役者は,急病などで,舞台に出られないのは一番怖いことだ。野田が,舞台のハシゴから転落し,緊急入院したこともあり,「制作」者として,緊急事態の対応に苦労したことを述べている。また,映画に野田が魅せられて出ていくと,残された『夢の遊民社』は喪失感が大きかった。とはいえ,やがて,野田は演劇界に戻って来る。
・・・この本は,そのようなところで終わり になっている。
参考文献:『僕と演劇と夢の遊眠社』高萩宏(日本経済新聞社)2009