範宙遊泳展 公演情報 範宙遊泳「範宙遊泳展」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    役者レベルの表現は2 実験性は大
     頗る実験的な作品だ。どう評価するか、或いは、この作品が演劇と呼べるのか、という意見も出てきそうだ。というのも、言葉、身体、空間、時間其々が、互いにある焦点を目指して統合されてゆくのではなく、その反対に競合してゆくからだ。

    ネタバレBOX

     先ず、唯でさえ狭い新宿眼科画廊の狭い空間が、設けられた壁によって分断されている。パート1で描かれるのは、2038年3月1日午前5時6分を回ったところ。雨が降っており、外出警戒令が出されている。主人公はそのせいで飼い殺し状態だ。当然のことながら、ここには、3.12以降大量に漏れたセシウムなど放射性核種の影響を見てとることが出来よう。というのも、この日、主人公は結婚式を挙げるはずだったのであり、それが雨でおじゃんになったからである。
     劇場内で渡された説明書にはこうある。外出警戒令が出された時、どうしても外出しなければならない時には、専用スーツを着る。然し、リスキーである、と。それでも若者の中には閉塞感に耐えきれず、普段着のまま外出する者があり雨歩(あまふ)と呼ばれている。今、雨歩が主人公の窓の外を通り過ぎた。
     このような飼い殺し状態の中でもしなければならないことはたくさんあり、各人は、各々の部屋に閉じこもったまま、それらを為すのであるが、その閉塞感の中で、楽しいことを見付けだすのは至難の業になっている。
     パート1は、主人公が楽しい時間を観客から公演開始前に募ったアンケートを引用しながら模造紙に書き出し、楽しみを模索する途中でトイレに立つことにより終了する。
     パート2は、5分間の休憩の後、主人公がトイレへ抜けて行った膝まで位の穴を通って、観客が壁の向こうへ移動することから始まる。
     こちらは、奥の壁にプロジェクターで映像を投影する中に役者が時折入り込んでパフォーマンスを行うという形なのだが、役者の身体の3次元性が、プロジェクターの投影する2次元世界には入り込めないという事実を用いて空間の使用法を変更している。分かりやすい例が壁に投影されたテーブルで食事をするシーンで、役者は壁に直行する床に体の側面をつけ、横向きに身体を横たえるのである。つまり、役者は頭を観客の側に、観客の座った足に直角に横たわっているのである。パート2を演ずる役者は2名。然し、プロジェクターで投影されるのは、何も風景やシチュエイションばかりではない。言葉も投影されるのだが、未だ若い役者陣のパフォーマンスや存在感の薄弱が、映像や言葉の力に勝てない、ということもあって、表現としては、言葉や映像に軍配が上がる。と同時に、生の存在の危機が、観客に戦慄を齎す。このことが、若い表現を彼らのイメージへのめり込ませる。浅田 彰の言うスキゾに近いか。即ち、他世代と共通の分母を失う実験に走らせるのである。ラストの部分で、役者の一人は、TVの中継している場面へ入って行き奇妙な自殺を遂げるが、その血は、溢れて、比喩では無い血の海を作りだすのである。これが、スキゾでなくて何だろうか?

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    2013/02/21 02:25

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