リンクス東京 感謝!! 来年も東京で!! 公演情報 演劇ソリッドアトラクションLINX’S「リンクス東京 感謝!! 来年も東京で!!」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    競演
    各劇団20分と持ち時間は、やや少ないが、全般的に実りの多い公演であった。

    ネタバレBOX

    オパンポン創造舎 「王様大脱走」
    シナリオ、役者の技量、本質を捉える確かな目、社会階層の差異に因る人格形成を様式化する能力の高さ、哲学的内容を演劇に仕立て上げる腕の確かさ。見事である。
    ネタばれ:島国の王が、獄舎に囚われている。罪状は、密入国。強制送還は受け入れ拒否にあって、帰ることすらできなかったのである。然し、王は、民は、自らの子であり、王自ら民を守らねばならぬ、というかたい信念の故に何度も脱走を試み、そのたびに失敗して刑を加算されて、今では刑期も260年に延びている。それでも脱走を諦めない王の獄舎に新たな囚人が送り込まれた。新入りは、当初、先に獄入りしていた者は何者か探りに掛かる。然るにその権威の齎す物腰に圧倒されてしまう。彼は王だと言う。島国の王なのである。で、民を守る為に自分は帰らねばならぬと主張するのだ。だが、王は強制送還すら受け入れ拒否にあっており、彼の主張にも拘わらず帰れる見込みは薄いのだ。それでも、他人を信じようとする王に対して、新入りは、親近感を抱き始める。そして柄にもなくサジェスチョンをしたりするのだ。曰く、何でも他人を信じて喋ってしまっては良くない。弱みを握られ付け込まれるからだ、と諭す。
    王は生まれて初めて、世の中の無常・無情に気付き、今度は、多くの国民が他人を信じてしまう者が多い為、ヒトの在り様を知らせる為に、どうしても脱獄しなければならぬと主張する。王は新入りを誘うが、脱獄に失敗し続けている王の情報を看守から得ている新入りは、脱獄成功の確率は非常に低いというより間違いなく失敗すると信じ、親近感を覚えている王にも脱獄を諦めることを勧めるが、王応えて曰く、「パラグライダーが救援に来る」。新入りにも息子がおり、王が脱獄すれば、新入りは自らの刑を、脱獄を権力側に知らせることで軽くなる道を選ぶ、と主張。どちらも自説を曲げずに脱獄の時を迎えるが。
    強制送還の受け入れさえ拒否された王は、脱獄後どうなるかも定かでは無い乍ら、脱獄にチャレンジし、新入りは、脱獄だと叫ぶ。警戒のサイレンがけたたましい叫びを挙げる。その緊迫の中で新入りが、鉄格子の向こうを眺めると、悠々と飛ぶパラグライダー、パラグライダーには、王の姿も。

    超人予備校
     絶滅動物や危惧種を題材に、その動物に纏わる知識を羅列したような舞台でユニークではあるが、演劇的には如何か。

    犬と串 科白を敢えてナンセンスに置き換えた。分からせるものか、との意思さえ感じる劇団。熱狂的なファンがいる可能性を感じる。

    テノヒラサイズ シナリオ、役者のレベルで勝負。情況設定の上手さとオリジナルのシナリオの中に仕掛けられたアドリブ部分を実に自由闊達に演じて見せる。実力の確かな手ごたえを役者の技量とシナリオのマッチングに結晶させて見せ秀逸。
     航空機事故で命を落としたクイズ研究会の面々5人は、エースの奮闘で終に最終問題に辿りつく。これまで、破れた者は、皆、地獄へ落ちていった。最後の問いは、人間性に纏わる問いである。五人のうち四人しか天国への門は開かれていない。20分の間に誰を地獄に送るか決めろ、というものであった。
     能力も高く優しいエースが、初め地獄落ちの候補として選ばれてしまう。皆に
    見限られた侘しさから、エースは様々な抗議をして抗う。そうこうしているうち、エースの代わりに地獄落ちを選んでも良いという者、が現れる。回答期限の時刻が容赦なく訪れ、最終的に、皆目をつぶって地獄落ちの候補者を指さすことになるが、結果は全員一致であった。神の啓示は正解。
     
    劇団ZTON 
     殺陣を中心にした京都の劇団である。上野ストアハウスの狭い舞台上でも、舞台一杯に拡がった殺陣のシーンで互いにぶつかり合うことも無く流麗な剣舞を見せた。無論、ストーリーテリングな要素もある。土方に憧れ、京に上ってきた六番隊隊長の甥が、五稜郭まで随行する中で、京都に入って直ぐの頃のことを中心に描いている。初仕事は、新撰組に長州の間者として入り込んでいた隊士を斬るというものだ。初陣とは言え、彼は、刀の道に掛けては殆ど素人だが、運よく難局を切り抜ける。然し、彼が五稜郭へ辿りつく迄に、彼に関わりのあった叔父を含め、名のみ登場する土方を除く総てが、討ち死に、切腹などで果てている。凄まじい話だが、若く弱い剣士の念が伝わる仕組みになっている。

    空想組曲 「深海のカンパネルラ」
     宮澤 賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにした作品だが、賢治作品の本質を見事に捉え、その哀しみのトーンを舞台化して居ながら、内容的には、現代の物になっている。それも、現実と夢幻の間に焦点を当てているのである。
     舞台では、カンパネルラの死を悼むジョバンニの通説な念が「、精神の危機に陥った少女の1年後の姿に重ねて描かれる。彼女は自らの友人の死をカンパネルラの死に重ね、幻想を繰り返すことで辛うじて、この世に命を繋ぎとめている。それは、「永決の朝」でとしに別れを告げた賢治自身の痛烈な痛みにも通じよう。
     然し彼女もこの幻想への逃避を断ちきらねばならない。兄が、精神科医が、彼女の再生を願って様々な支援を試みるが。最終的には、彼女自身が、この試練に立ち向かわねばならない。彼女は、友の死とその思い出に真正面から向き合うことでこの障害を乗り越えてゆく。



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    2012/11/07 02:15

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