新美南吉の日記 公演情報 オクムラ宅「新美南吉の日記」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    童話『ごんぎつね』の作家・新美南吉の物語の向こうに、10代〜20代前半の青年が醸し出すハズカシさを感じた
    世田谷・下馬の住宅地にポツンとある、古い民家・土間の家での上演。
    夜は冷えるので暖かくして行ったほうがよい。
    上演時間90分・前売1200円(!)

    ネタバレBOX

    日記は恥ずかしい。

    書くのも、もちろん読むのも。

    『ごんぎつね』などの童話作家として有名な新美南吉の日記をもとに構成された舞台。
    新美南吉の17歳〜22歳ぐらいまでの日記から内容を選び、「私」というこの作品の作家の視点や、新美南吉の恋人M子からの視点も加わり、フィクションが、新美南吉のノンフィクションを削り出していく。

    自意識過剰で、自虐的なところがストレートに見えて来る新美南吉。これだから日記は恥ずかしいなと思って観ていると、どうやらそれだけのせいではなさそうだ。
    作品自体は新美南吉の物語だと思っていたのだが、中盤から「新美南吉」という人物を通して、10代〜20代前半の若い青年が持つ、ハズカシさが溢れてくるのだ。
    たぶんそうした年齢を過ごした多くの人が感じるであろう「あの頃は私はバカだった」というような「ハズカシさ」がそこにある。
    日記という赤裸々なものだから、そのときの感情が露わになっているので、さらにその「ハズカシさ」は輪を掛けていく。

    小学校の教員であるにもかかわらず、貧乏の子どもを避け、「やっぱり顔がいいと良い点数を付けてしまう」「みすぼらしい服装の子どもと一緒にいるところを知っている人に見られたくない」などとまで言ってしまうのは、本音であったとしても、かなり恥ずかしい言動だろう。

    日記は誰に書いているわけだもないのだけど、それがすべて事実であるとは言い切れないが、本音であることは確かであろう。
    「本音」と言っても、ストレートにそれを記しているかどうかはわからない。ただし、事実であろうがなかろうが、ストレートな本音であろうがなかろうが、実のところ、書いていることの矛先は、どうやら新美南吉自身に向けているようだ。

    自分のことを、貧乏だとか継母に虐められたとか、ありもしない想像までも書き連ね、自虐的になっていく。

    自虐的なところと自意識過剰なところは表裏一体であり、あとからその行動や言動を自ら振り返るとかなり「イタイ」。だから、とても「ハズカシイ」。

    新美南吉がのちのち日記を読み返したら、そう感じたのではなかったのだろうか。
    彼は、29歳の若さで夭折してしまうのだから、あとから日記を読み振り返り「ハズカシイ」と思うことがあったのだろうか、なんてことも思ってしまう。
    しかし、この作品で、われわれ観客が彼の「ハズカシさ」を見、そしてわがこととして振り返ることで彼の日記は生きてくるのかもしれない。
    新美南吉にとってそれは本望でないにせよ、「青年期のハズカシさ」の「供養」にはなるだろう。

    私たちもそうした「供養」を経て少しだけ大人になるのかもしれない。

    「ハズカシイ」にはやはり「恋愛話」は外せない。

    新美南吉の日記に出てくるM子という女性との恋愛話は、とても心にグサリとくる。もちろんまったく同じ体験をしたわけではないのだが、若いときの恋愛とは、ともすれば身勝手で自意識過剰の嵐の中にあるわけで、新美南吉にしてもM子との関係では、自分の身勝手な妄想や自虐的な感覚の裏返しから発せられた言葉で、破綻してしまう。
    このあたりの様子は、自分の、それぐらいの幼さを思い出したりして、泣きそうになるぐらいグッときてしまうのだ。

    自分にもあった、若さ故の「ハズカシさ」だが、自分と遙かに違うのは、新美南吉は、そうした中で作品に昇華していったことだ。
    ここがクリエイターと、凡人の違いなのかもしれない(笑)。

    そして、ラスト。
    『ごんぎつね』の最初の原稿にあり、カットされてしまった「ごんぎつねは、うれしくなりました」の言葉にまたグッときてしまうのだ。
    彼の詩『貝殻』にも。

    窓を開けると、外には新美南吉とM子が恋人のように楽しそうに歩いている姿が、下馬の車道に見えてくる。
    これは、誰もが眠れぬ夜に布団の中で「あのときこうしていれば…」と、取り返しのつかない過去をくよくよと妄想する、誰もがご存じの「あのシーン」なのではないだろうか。
    新美南吉がそうしたかどうかはわからないが、「こういう姿もあったかもしれない」と思ってしまう、選択しなかった未来の1シーンだったのではないかと思う。

    奥村拓さんという人は、(たぶん)もの凄く生真面目で、(たぶん)そんなに器用な人ではないような気がする。
    そんな人柄が表れているような、彼の作品(演出)が好きだ。
    これからも観ていきたいと思わせる。

    役者は寒かったのか、特に前半呂律の問題や台詞の問題があったが、いい雰囲気であったと思う。

    前半、波を作るためか、少しオーバー気味な演技や声を張るシーンがあったのだが、これは少し違和感を感じた。無理にそんなにしなくても、そのままのテンションでいいのではないか、と個人的には思った(後半は別)。
    それと、素人考えではあるが、『ごんぎつね』のラストが作品のラストと重なるところがあるのだが(詩『貝殻』との関係を整理しなくてはならないが)、そうであれば伏線として、この作品の内容と絡めつつ、『ごんぎつね』を劇中劇として(ラストでけでも)入れてあったらよかったのではないか、とも思った。

    …これぐらいのキャパで(私が観たときは8名。マックスでもそんなに多くは入れそうにない。20名は無理かな?)、こんなに安い料金で大丈夫なのかな、と思う。ずっと続けてほしいから、料金はもう少し上げてもいいんじゃないかと思ってしまう。

    余談だが、この公演を観た帰り、会場からわずか数十メートルの住宅地ででハクビシンに遭遇。キツネじゃないのが残念だけど、奇跡の出会いだ。
    寒かったから手袋を買いにいくのかな、兵十の家に行くのかな、なんてね。

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    2012/11/03 13:57

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