期待度♪♪♪
賢治
彼は日本近代以降最高の詩人であろう。無論、朔太郎や白秋、中也、光晴、隆一、吉郎、春夫、俊太郎ら以上の存在だと思っている。おまけに詩人としては素人なのである。上に挙げた錚々たるプロ詩人を凌ぐのは当にそのアマチュアリズムによってだろう。文壇のしがらみからも固定観念からも自由であったのは、上記詩人たちの中では光晴くらいではないか? 吉郎もどちらかと言えばヒトを避けたが。
ところで、その賢治と恋愛というのは、どう結びつくのか? 余りに大衆化しすぎると賢治の世界ではなくなってしまおう。彼を同時代に於いて深く理解したのは妹のとし子だっただろう。”永訣の朝”の凄まじいばかりの嘆きは到底余人の及ぶ所では無い。また”春と修羅”の一行、”ほんたうにおれが見えるのか”からも賢治が見ていた世界は、凡夫の及ぶ所ではないことも明らかだ。分かったつもりで手垢をつけることのできない世界なのである。
この点が理解できていれば、作品化は良いものになろうし、出来ていなければ賢治作品の作品化とは言えないだろう。
2012/09/25 23:57
丁寧なコメント、ありがとうございます。
宮沢賢治の言葉を戯曲に書き換えたくない、と言う思いから始めた語り芝居です。
私は、宮沢賢治について、思いと行動がどこか一致しない、愛すべき、ちょっと困った人、そんな印象を持っております。だからこそ、その言葉が愛おしい。
学校で教えられたイメージを抱いている人が、あれ?何か違う?もう一遍読んでみようか。そんな風に感じてもらえたら、と思っております。、