期待度♪♪♪
賢治
彼は日本近代以降最高の詩人であろう。無論、朔太郎や白秋、中也、光晴、隆一、吉郎、春夫、俊太郎ら以上の存在だと思っている。おまけに詩人としては素人なのである。上に挙げた錚々たるプロ詩人を凌ぐのは当にそのアマチュアリズムによってだろう。文壇のしがらみからも固定観念からも自由であったのは、上記詩人たちの中では光晴くらいではないか? 吉郎もどちらかと言えばヒトを避けたが。
ところで、その賢治と恋愛というのは、どう結びつくのか? 余りに大衆化しすぎると賢治の世界ではなくなってしまおう。彼を同時代に於いて深く理解したのは妹のとし子だっただろう。”永訣の朝”の凄まじいばかりの嘆きは到底余人の及ぶ所では無い。また”春と修羅”の一行、”ほんたうにおれが見えるのか”からも賢治が見ていた世界は、凡夫の及ぶ所ではないことも明らかだ。分かったつもりで手垢をつけることのできない世界なのである。
この点が理解できていれば、作品化は良いものになろうし、出来ていなければ賢治作品の作品化とは言えないだろう。