富士幻談 公演情報 声を出すと気持ちいいの会「富士幻談」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ぼんやりと、富士山が見えたような気がした
    確かに戯曲は意欲的で、なるほどと思ったし、役者も熱演。
    うまい人もいる。
    いいシーンもあった。
    しかし、舞台の上が熱くなればなるほど冷めるというか…。
    単に、舞台のリズムが合わなかっただけなのかもしれないが。

    ネタバレBOX

    富士山の角度の考察なんて面白い。
    だけど、それが当パンでは説明されているのだが、舞台の上ではすっきりとしてこない。リズムに乗せて、なのだが、「チーン」が可笑しくて。足踏みか台詞のリズム感のみで見せるべきだったのではないか。

    舞台では「富士山」はそれぞれの登場人物たちにとって、「どのような意味があったのか」「心の中の位置づけはどうだったのか」が描かれていたようだ。

    しかし、ムリして3つのストーリーにしなくてもよかったように思う。
    神話の時代(岡本かのこ「富士」)、太宰(「富岳百景」)、現代、それぞれの交錯の仕方がもっと、鮮やかであればよかったのだが、そうでもない。

    つまり、演劇としてもタイプの異なる3つのストーリーが、ぶつかり合い、のたうち回りながら渾然となっていくのであれば、面白かったと思うのだが、ラストは無理矢理まとめた感が否めなかったのが残念。

    例えば、富士山の写真を巡る父子の「父」が、神話の時代の父娘の「父」と、そして、神話の時代の「娘」が、太宰のお見合い相手の「娘」と、イメージ的にリンクしていくような印象なのだが、実はそうでもない。
    役者を同じにすればよい、ということではなく、それがダイナミックにリンクしていけば、こう、なんか、観ていてもどかしい気持ちが一掃されたに違いない。

    当パンに書いてあることから言うと「最も美しい富士は、想像の中にある」のならば、形にして見せるべきではないように思えた。たとえ、扇子であったとしても。
    あるいは、それぞれの手に持つ、それぞれの富士(扇子)を見せて、それぞれの富士山を感じさせてほしかった。

    富士山のイメージを重ねていくというのは、お見合いのシーンなどとても効果的だとは思ったのだが、特にラストは、何もないところに、それぞれの、登場人物の数だけの富士山が見える(あるいは見せない)ほうがよかったのではないかと思うのだ。

    あと、気になったのは、台本らしきものを手に熱演する男。大柄で翁と同じようにオーバーな振りなので、翁に被ってしまい、翁が消えてしまうように感じる場面が多かった。あのサイズの舞台なのだから、一歩引いて舞台後方にいてもよかったのでは。

    また、冒頭のダンス的なもの、靴音がボコボコとして、カッコ悪い。音が重要なシーンも後に出てくるのだから、そこはきちんと音が出るようにコントロールすべき。冒頭のシーンであれば、裸足でもよかったのでないか。

    さらに靴を履いて座敷(部屋の設定の場所)に入るのは、とても気持ちが悪い。正座までするのに。ましてや、先生と呼ぶ相手の部屋に靴のまま上がるのはないんじゃないだろうか。靴を脱ぐタイミングぐらい観客は待つし。

    とは言え、月見草のシーンは好きだ。翁が娘に会うシーンもいいと思った。
    全体的に「お芝居」がうまい、という印象が多い役者の中で、茶屋の娘が印象に残る。とてもよかった。

    岡本かのこの「富士」を読むと、ラストの台詞が鮮やかなのだが、それが感じられなかったのも残念だな。

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    2012/06/18 05:29

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