三月十一日の夜のはなし / わたしのお父さん 公演情報 趣向「三月十一日の夜のはなし / わたしのお父さん」の観てきた!クチコミとコメント

  • 無題338(12-081)
    11:00の回(曇り)。10:40受付開場。受付前、テーブルに照明の飾りつけ。3/20(火)に「ご多分にもれず、ふつう」で来ているので、遠い横浜としては珍しい。今回は舞台を横に使ってのお芝居。上手奥(廊下側)に音響、照明。最前列はクッション、うしろは椅子席。舞台には木工細工のような...木片をいくつか集めたオブジェ(?)。薄地のカーテンが数本。ひとつだけはっきりと「椅子」だとわかります。ピアノ曲が静かにながれ、オノマリコさんご自身が場内の案内、右胸に花。

    11:04前説、1作目~11:35、2作目~12:19終演。ひとつめ、一人芝居(3.11)。ふたつめ3人。「解体されゆく」「The Girls next door」とオノマさん関連も含め3作目。
    (いままでオノさん...だと思っていました)

    ネタバレBOX

    1作目をみながら、全体の色調が木片に合わせているのかなと思う。照明もやや落とし気味。役者さんの衣裳も同系色で落ち着いたもの。「3.11」を採りあげたお芝居をどうみるのか、なかなか難しい。地震発生前~発生~同日夜の様子。

    年が明けてから「3.11」を扱った作品を何作かみました。千切れとんだ感情の「断片、カケラ」、1年後の「今」…、絶れたこと、喪ったこと…いろいろあり、触れればまだカラダがココロが切れそう、それらが砂浜の一粒一粒のように小さく丸くカタチを変えるには長い月日が必要だと思い、本作は、ひとりの女性の体験、当日、直接(地震/津波)の被害がなかった多くの方が経験したこととあまり違いはないのだろうと思い、それをみてどうする…と思い、日常に入りかけてきたものは去ってしまったのか、恐ろしいものは自然なのか、科学なのか、生そのものなのか…と思い。
    観劇中、そんな距離感がつきまとい、お芝居の中ではなく、別の所に「何か」を探そうとする自分を感じ続けるのでした。

    2作目、3人… 母、姉、弟、(でてこないが父)、こちらもよくわからないのでした、聖地チベット展(上野 )に行ったのは2年前、ヤン・リーピンの「クラナゾ」を観たのは昨年、鳥葬についてはインドに関する本を読んだ時、少し書いてあった、ダライ・ラマのことはニュースで見聞きするくらい…それだけ。高層ビルのオフィス(が示すもの)とチベット(が示すもの)との間にあるもの、姉と家族との間にあるもの、姉のなかにあるもの、何かを見落としているのだろうか、でも、劇的な展開ではなく、特別なものでもないと思う、自分のなか、どの引き出しに収めるのか…少し、待つ。

    ちいさな話というのは、どんどん「私」的になるか、「距離」が増すものなのだろうか、そうだとすると接点が見つからないことがあるのではないかと考える。

    「男の子じゃないでしょう」(首を振る)…「男の子なの。そう思って」というセリフがあり、首を振ったのは、①はい、男の子ではなく、女の子である、でも、これからは思ってほしい②いいえ、「私は」女の子ではなく、男の子である。後に続くセリフと合わせると②のように思うけど、あっているのだろうか…GID…でいいのだろうか、なんだかずっとわからないままのような気がする。

    横浜、70階はランドマークタワーだろうと

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    2012/03/25 10:07

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