線路は続くよどこまでも 公演情報 劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)「線路は続くよどこまでも」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    かつて朝鮮総督府鉄道という、日本が建設した鉄道があった。
    その朝鮮鉄道に、小宮さんのお父上が勤めていたことがあった、という事実からできた芝居だと言う。

    ネタバレBOX

    前説から小宮さんが務める。
    前説で、父親の話と、自分の話、そして、朝鮮鉄道とはどのようなものであったのかを、簡単に説明してくれる。
    日露戦争の翌年からわずか2年間で半島の南北を貫く鉄道建設したという事実に驚く。
    その距離は、東京・神戸間に等しいらしい。

    現在の北朝鮮にあった、新安州駅に勤める駅長が主人公。
    てっきり小宮さんのお父上が主人公かと思っていたが、そうではなかった(舞台の中では同駅の助役として出てくる)。

    駅長が主人公で、終戦の翌日から1年後、半島を縦断して釜山までたどり着く様子を描く。

    植民地でありながら、駅長の奥さんは、故郷と思っている土地であるし、駅長もとても好きな土地でもあった。
    しかし、終戦のため、職を辞し、その地を離れることになる。

    駅長は、駅長であるということの責任とプライドで、最後の日本人引き揚げ者がいなくなるまでその地に留まると決意し、実際に最後の引き揚げ者たちと、地獄の半島縦断を体験するのだ。

    終戦翌日の、韓国の人々との関係の変化や、日本人たちの混乱ぶりが描かれ、創氏改名についても触れていく。
    鉄道員という仕事に誇りを持つ者としての役割と、土地への愛着、しかし、そこは他国であり、植民地であるということの露呈が、終戦によって初めてなされる。

    そして、引き上げ行の辛さは、(こういう言い方はあまり適切ではないかもしれないが)今までいろいろな本などで見聞きしたものであり、紋切り型とも言えるのだが、歴史的なこういう事実を知らない世代もあろうから、それは、きちんと伝えなければならないことなのだろう。

    小宮さんのひとり芝居なので、その状況を、ちょっとしたユーモアを交えながら、淡々と、ときには熱く語っていく。

    ひとり芝居なのだが、ある人物ひとりを演じていくという形式ではなく、何十人もの役をひとりで演じるという、いわば、落語的なひとり芝居であった。

    そのため、会話をする場面では、会話ごとに場所を移動してその役の台詞を言う、ということになるので、やや会話のつながりに「間」ができてしまう。
    この「間」というものが問題である。つまり、「笑わせるシーン」では、笑わせるためるの「間」として、適切ではなくなってしまい、観客が先にオチを想像してしまうことになってしまう。
    だから、「間」が大切なシーンではあまり笑うことはできなかった。それは、後々にかかわってくることだけに残念である。
    通常の芝居とは違う「間」や台詞の構成にすべきであったように思う。

    ただ、そういうところにスマートさはないものの、熱演が伝わり、それが心を打つ。
    ぐっときてしまうシーンもあった。

    今回、この舞台を観る前に、『ソウル市民』5部作の上演を観ていただけに、なんとも気持ちに深く入ってくる。
    植民地と一般市民の関係だ。
    『ソウル市民』では、ある意味呑気な市民たちであったが、こちらは、鉄道という仕事と、終戦後ということもあり、当然感覚的には異なるのだが、新たに見えてくる日韓関係というものがあるのかもしれないと感じた。
    韓流ブームが定着して、韓国に感じる想いが違う世代にとっての関係性、それは、加害者・被害者という単純な2軸だけで見るのではない、新たな関係が見えてくるのかもしれないと思ったのだ。

    この作品の戯曲は、鄭義信さんが書いている。鄭さんにとってこの作品には複雑な思いがあったのではないかと思う。つまり、日本人の駅長からの視線で描かれているので、逆から見るとどうだったのか、という視線のあり方についてなどだ。

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    2011/11/26 06:40

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