モリー・スウィーニー 公演情報 世田谷パブリックシアター「モリー・スウィーニー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    抜け出すことのできない流刑地
    盟友谷賢一氏がシアタートラムにて南果歩さん、小林顕作さん, 相島一之さんという商業ベースで活躍する役者陣と芝居を作ると言うので早くから注目していたし、当然、初日に観に行かせてもらった。

    ネタバレBOX

    あらすじを見たときに、僕がすぐに連想したのは、谷くんがちょうど3年前の2008年の6月に作・演出した舞台DULL-COLORED POP第6回公演「小部屋の中のマリー」の物語との類似性だった。

    「小部屋の中のマリー」という芝居の物語を大雑把に言うと、「父親によって色のない小部屋に閉じ込められて育ったために白黒の世界しか知らなかったマリーという女の子が、父親から救出されて、部屋の外に出て色のある世界に触れることによって引き起こることごと」というものであったと記憶する。

    これは、谷くん本人が明らかにしているし、またタイトルからも明らかなように、「マリーの部屋」という哲学的思考実験から着想を得た話しだ。

    この「マリーの部屋」という元話で重要なのは、白黒の部屋から色彩のある場所に移った時にマリーは何かを得るのだろうか?という話であった。もしマリーがsomething newを得るならば、そこにこそ「クオリア」が存在する。というわけである。

    これを谷賢一はひっくり返した。

    何かを得るのか?という質問自体がおかしい。むしろ、「得る」どころではなく何かを「失う」ことの可能性の方が大きいのだ。というわけである。

    さてさて、あんまり突っ込むと「モリー・スウィーニー」のネタバレにもなってくる。

    が、見た人なら分かるが、物語の構造はマリーもモリーも僕的には全く同じだ。

    だから、見ながら僕は戦慄した。

    谷賢一は一貫している、と。

    一貫していることは天才にだけ許された永遠の遊び場であり、また抜け出すことのできない流刑地である。

    「見る」「触れる」「世界に出会う」ということに関する徹底した生理学的精神医学的演劇的な興味。

    人間の存在に関するこれまた徹底した絶望と、しかしそれでも絶望の果てに残るかすかな光。

    3年前のすでに舞台にあったモノがそこにある。

    そして、それが3年間の数々の演劇的なあるいは人生的な修羅場で鍛えられた谷賢一氏の演劇的な力によって鮮やかに塗り替えられ、確実も何歩も前に進み、まるで別物のような姿をみせながら、しかし変わらずにそこにあった。

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    2011/06/12 05:43

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