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たかさき@福岡
あのー、一部に追加説明したいこと等はございますが、今回ここまでお書きいただければ、私から特に申し上げることはないという思いになっています。 その他の京さんの考えやご主張の少なくない部分に同意できます。 京さんから、当初の文章への追加の説明をいただいており、前回コメントしたとおり、このレベルであれば批判できなかっただろうと思います。 他にもまったく同感な部分、敬意を表すべき意思表明があります。 あらためて、京さんがここまでの立場をご表明いただいたことについて、敬意を表します。 ・ 当初の文章を修正いただいたこと、 ・ 精進すると表明いただいたこと、 ・ その表明の上で、今後も書く意図を表明されていること、 ・ 好き嫌いや主観客観のとらえ方で、ほぼ合意できたこと、 により、今回私が批評の批評を行った目的は、これまでと今回の京さんのコメントを拝見して、大部分が達成されました。 ほかにも追加説明したい部分がありますが、私が当初の文章に対し取り上げたかったことはほぼ解決しております。 ひとまず、ここで一部を完結とできればと思います。 その他の論点については、ご満足いく回答ができるか自信がありませんが、しばらく期間をおいてあらためてコメントいたします。 共通理解が目的とし難いこと、言葉の定義の問題、立場の問題が解決しておらず、どのように続けるのがよいのか考えたいと思います。
2010/11/03 12:29
たかさき@福岡
コメントありがとうございます。 「京さんにとってありえない。」というだけで、独自の見解になっているように思えます。 「わかりました、一観客同士で議論しましょう。」ということは京さんにとってありえないとしても、私はそういう議論を行ったことがあります。 この一事で、多くの挙証、そこから派生するご主張を相対化していると思います。 しかし、京さんにとって、一観客同士として議論することができない。ということは理解しました。 >議論を続けるという事は、あなたは、これに「諾」と答えたということになるです。 >「そう思われても構わない」と答えたのと同じことになるのですよ? >あなた自身にそのつもりがなくても、これを読んだ多くの人がそう取ると思います。 上記3点はいずれも、私の意志とは異なりますし、認められません。 京さんが、そのように考えていることは理解しました。 多くの人がどううけとるかは、多くの人の判断でいいのではないでしょうか?それは私の意思と違うこともあるでしょうし、京さんの意思と違うこともあるでしょう。 ひきつづき一観客の立場からの私見を述べさせていただきます。 (議論を続けることが、「>「そう思われても構わない」と答えたのと同じことになるのですよ?」などのご主張については、認められません。と回答いたします。) これが、京さんの議論を続ける条件に合わないのであれば、ご回答頂く必要はありませんし、そのことについて問題にもしません。 京さんが共通理解は無理だとおっしゃっておりますが、今回のことについて、共通理解は、断念しました。 よって以下は、共通理解を求めるものではありません。私の私見です。 スルーされても不誠実だとは思いません。 また、質問への回答をしていない部分があります。共通理解を目標にしなければ不毛だと私は思いますが、改めてご質問されればできる限り回答します。 言葉の定義や、議論のルールの共有を行って、議論をしたいと思っておりましたが、その部分でさらに争点が拡がっているため、共通理解を目的にしたものはあきらめ、芝居の感想についての私の私見を述べることを目的とさせて頂きたいと思います。 —— 好き嫌いを超えた感想というためには、作者・演出家がやりたいこと(狙い)から出発する必要があると私は考えています。 作者・演出家がやりたいことを理解しないままの意見は、好き嫌いの範疇を超えないと私は考えています。 作者・演出家が狙いとしたことを、まずは、なんとか理解する。 その上で、 ・そこを狙うならば、ここに矛盾があるのではないか? ・そこを狙うならば、こうやった方がいいのではないか? であれば、好き嫌いを超えた批評になると私は思います。 今回、京さんの文章を読むと、前半部は、作家・演出が狙いとしたことへの理解なしに、進んでいるように私には思えました。 (その先がみたいのだのあたり) 作者はその手前までの人間を書く事を、狙いとしていると私は考え、ここを理解し、前提とした上で、ここから出発しないと、好き嫌いの範疇を超えないと、私は考えます。 京さんの主張は、この作品がやりたいことを理解せずに、作品が目指すものと違うものを観たいという主張と私は理解しました。(現に成立していると私は考える。) これは、好き嫌いの範疇と私は考えました。 京さんの当初の文章が「私は」という表記であれば、主観意見なので、突っ込みようがありません。しかし「我々は」という客観表記だったので、そこには少なくない誤りがあると私は考えました。 今回、一番いいたかったのは、「好き嫌いを超えていると言うためには、作品の狙いの理解から出発すべき」ということなのですが、裾野から理解を積み上げて、この共通理解に達することはできませんでした。残念です。 共通理解に至れば、この意見は客観性を帯びますが、今の段階では私の主観的な考えに過ぎません。 ご覧いただいている方に委ねたいと思います。 京さんの当初の文章については、私には以下の誤りがあると感じました。 1 作品の狙いを十分理解せず、不十分な検証で、自分の好き嫌いを我々と客観意見のようにかいた。 2(好き嫌いではないという前提で)十分な検討なしに「感情が高ぶったところでは大声を出す」の表面上の批判にとどまり、その不十分な例示一つを一般化して、ありきたりで浅すぎると飛躍的な断定の根拠とした (京さんの脳内には、十分な理論構築がされている可能性まで否定していません。) (また、個人の主観、好き嫌いで書いたということで、その外形があるならば、ツッコミようはありません(ここは今回私が主張したいもうひとつの大きな部分です。)) これは、私が感じるだけですので、他の部分も含め反論はもちろんお受けするとして、ご覧いただいている方に委ねたいと思います。 >恫喝・言論統制を行う、 行っていません。 ご自分は芝居の厳しい批評をするのに、ご自分の批評に対して批評されると、京さんはそれを恫喝・言論統制とおっしゃっています。 また、私は「謝罪を検討するレベル」という表現しています。これは謝罪要求ではないです。 謝罪に値する表現をされていると私は考えますが、一歩引いたところから「謝罪を検討するレベル」と表現しています。 ここまで書かれる人が、一般観客と自己定義されるのも私には違和感があります。自分は一般観客だから、ひどいことをいわれる筋合いはない。といっているように私が思える部分も一部ありました。 (基本姿勢は批判ウェルカムだと理解しています。) 言葉の定義次第ですが、私の定義では「一般観客」にはなりません。 京さんが一般観客か否か、これはご覧頂いた方に委ねたいと思います。 >「福岡の演劇人は、酷評を出すような気に食わない観客を恫喝してでも排除する」です。これが望みですか? 望みません。恫喝も排除もしていません。 好き嫌いで酷評していると私が思える人が、やってる側に伝わる言葉で書けるようになってほしい。または十分な検証に基づいて書いて欲しいと望んでいました。 批評されたら、排除しようとしている。というのはちょっとひどいと私は思います。 ご自分も同じ経験をされていると思いますが。 伝わるように書く努力をされるか、相当な根拠・十分な思考・それを伝える筆力を備えたものを書くように努められるならば、どんどん書いて欲しいと私は思います。 今回のような、私には雑駁な中傷と思えるようなものは、私は書いてほしくない。せめてブログで書いて欲しいと私は思います。 これは、個人的な希望に過ぎず、どうされるかは京さんの主体的な選択です。いうまでもなく、京さんの言論を統制するものではありません。 それを読んで、苦々しく思うのも、批評の批評をするのも、私の主体的な選択となります。 ----- 京さんの文章で多いのは、後付けでの自分の都合のいい説明です。 一つの単語は、たいてい複数の概念を含みます。 京さんが、よく使う手は、複数の概念のうちの最も自分に都合のいい部分を後付けで取り上げ、これが真意だった。それは普通の読解力で辿りつける。という主張です。 いくつか、例示します。 >考えがなさ過ぎる。とは「安易」との意味にも取れますが、文字通り「考えが足りない・浅い」とも読めませんか? >これは暗喩といって、「その演出ではこんな風に見えてしまいますよ」という意味です。 >私は、「感情が昂ぶったら大声を出すことは有り得ない」と言っているのではなく、正にたかさき様の仰る通り、「脚本上・演技上、適切」ではない。ということを問題にしている >この「先」というのは単純な「ストーリーの先」という意味だけでしか取れないようなら分りにくいでしょうが、「一歩先」「一段上」読みかえれば分ると思います。「そんな事は書いてない」とは言えません。そういう読み取りは充分普通に行われることです。 >言葉の裏の裏まで読む必要はないですが、その言葉に含まれる意味も考えて下さい。 >書いているそのままのことしか読み取れないようではどうかと思います。特に演劇に関わる人間は。 >たかさき様のあまりに表面しか読まない文章読解能力の方に問題があると思います。 >今までたかさき様が、言葉を表面だけでしかご理解されていない事、言葉に含まれる意味をご理解されていない事、そしてなにより、その表面上の言葉を自分流に曲解することだけで理論を進められてきた事で証明されると思います。 これは、私とは、議論のルールにおいて、立場の違いが相当にあります。 私の言葉の定義では、こういうのが「言葉遊びです」 京さんの立場からすれば、私の読解力がないことが問題だそうです。 自分流の曲解がどちらに多いのかもあわせて、ご覧いただいている方に判断を委ねたいと思います。 当初の文章に、事後説明による修正を加えた文章をつくってみました。この内容であれば、おそらく私も突っ込むことはなかったと思います。当初とは読む側の印象は大きく変わっていると私は思いました。 (許可いただければコメントに載せます) 演劇を見るときは、当然、裏の裏までみます。こういうサイトの投稿では、ストレートに読みます。 言葉には複数の意味があるので、そのすべての言葉をいろいろに読み替えて、理解するという作業を要求されたと私は受け止めていますが、これが正当な要求なのかは、ご覧いただいている方に委ねたいと思います。 >出来の悪かった舞台は貶します。 たとえば、貶すは「よい点は無視し、わざわざ悪い点ばかりとりあげて非難する。くさす。」(日本国語大辞典)とあります。 貶すは、そこまでひどくない意味で使われるケースがあり、非難する程度の意味に捉えています。 >私は特殊な言葉遣いは一切しておりません。 この京さんのご主張は、ご覧いただいている方に判断を委ねたいと思います。 >個人の好みで感想・劇評を書くものではない。という事を覚えておいて下さい。 京さんが、個人の好みで乾燥・劇評を書いているかどうかは、ご覧いただいている方に判断を委ねたいと思います。 >演劇作品に対しもっと誠実に感想を書くべきだ 誠実、というのは私の独自の定義で言うならば、相手に伝わるように努力する。になります。または十分な根拠を示す。です。 京さんが、京さんの独自の定義において誠実であることはわかります。 京さんの書き方が一般的に誠実なものかどうかは、ご覧いただいている方に判断を委ねたいと思います。 >好評価の意見に対しては的外れでも、歓迎・(または)スルーであるのに対し これ、気持ちはわかります。 けど、演劇を娯楽としてみて、楽しんで観て、楽しい気分になっている思いを、阻害する面もあるかと私は思います。 (今回の件については、私にも同様の罪があることを自覚しています。) こういうサイトでは、見ている人に不快を与えないような筆力を備えて書くなどの配慮が、良識ある人に求められると私は考えます。 (ご自分のブログであれば、条件は違います。) (私の個人的希望であり、どうされるかは、京さんの主体的判断です。) ----- 私の文章で、京さんに対し、もっとも乱暴な言葉づかいをしたのは >いさぎ悪い。 だと私は考えています。 しかし、これには根拠を示していると私は思いますし、読んでいる方に共感が得られると私は考えています。 一方、京さんの言葉で同じくらい乱暴なのが >自覚していないのならあなたは愚か者です。 >自覚しようとしていないならあなたは卑劣漢です。 の部分だと私は考えています。 私には十分な根拠の提示を見つけることができません。読んだ方の判断に委ねたいと思います。 また、京さんの >「そんな事をするのは子供か本当に考えのない人間くらい」 >関係者が一般観客を恫喝するというのは如何なものかと思います。 これについては、乱暴を超えたレベルにいっていると私は思いました。なので、取り消すか謝罪を検討すべきレベルと考えます。と意見表明しました。 前者については、<実は、暗喩です。>と説明されていますが、これは、ご自分でも言い過ぎを自覚され、発言を修正いただいたのだと私は考えています。 これは、今回の成果の一つだと私は思います。 >「誰に対する謝罪なのか」などはっきり仰らず これは、普通にいけば、対象はすぐに分かると思いますが・・・ 謝罪要求をしたみたいにいわれると不本意ですので、これ以上は申しません。自らお考えいただき、言うまでもありませんが、謝罪を検討するしないは京さんのご選択です。 その他、今回、いくつかの成果はあったと考えています。 ひとつには「蛇足ではありますが、たかさき様は私に筆力がないと仰いました。 それを否定する気はありません。」と表記していただくに至ったこと。 京さんの説明をきく中で、当初の文章が修正され、根拠が明確になり、批評が強化されたこと。 また、以下の点で合意に至れたことは、私はたいへん大きいと思っています。 (反論忘れでなければですが) 「十分な事実の提示と分析があり思考の過程が明確なものは、好き嫌いを超えた価値をもつ。というところもおそらく同じ考えではないかと推測しています。」 私の批評で不快な思いをさせたことと思いますが、同様に、ご自分の書かれるものが劇団にどのような思いをさせるのか、一度立ち止まって考えていただければ幸いです。 面白いことが期待できない芝居は観に行かなければすみます。ブログの批評もみなければすみます。CoRichは福岡の演劇ポータルサイトとして機能しており、みなければすむサイトではありません。CoRichには書かれずにブログのみで書かれるのも見識だと思います。無論、どうされるかは京さんの選択です。
2010/10/31 19:44
たかさき@福岡
>公に誰もが見れるものであること(プライバシーなどの問題を除き、密室会議は好みません)。 問題ありません。 >FPAPのたかさきが、その立場で書いている。と世間に認識されても構わない。 関係者なのにうんぬんという言い方をされないのであれば、立場はどちらでもかまいません。 関係者であることで、発言に制約が求められるならば、そこまでのハンデ戦は難しいですね・・・ 形式性の強い関係者で状況は大して知らないのですが、すべてをパーフェクトに知っている内部関係者として、発言を受け取られると、迷惑をかける先もありますので。 一観客でもあるFPAPのたかさきが、なら、問題ありません。 「共通理解」だけ。 共通理解は、「合意できる点を明らかにし、最終的に意見が異なる場合も相手の意見を自分とは違うけれども、理解はできる。」 という意味であれば、大丈夫でしょうか?
2010/10/27 22:24
たかさき@福岡
京様 お返事ありがとうございます。 さて、論点がだいぶ増えてきました。どう議論を組み立てていくか考えております。基本に立ち返ります。(争点、質問にはちゃんと回答します。) まず、前提となる、 ・ 議論を深め、できるならば共通理解に達したい。 ・ 演劇というメディアにとってできるならばプラスになることをしたい。 ということは、おおむね共有できていると思っていいですよね。 それと、言葉に対する感覚が、異なるので、ここである程度の共通のルールを確認する必要があるかと思います。言葉の定義も詰める必要がありそうです。 これは、改めて確認します。 >これには、もちろん「私」も含んではいますが、複数の意味です。 我々のやりとりを俯瞰していて、ここ、なんか、議論がかみ合ってないなーとおもっていたのですが、この部分の行き違いの理由がわかったような気がします。 ここ精緻につめたいと思います。 「登場人物の「この先の話」を知りたいと、我々(=私および多くの人)が考えている」 という表現には、 1 京さんがそう考えている 2 (京さんをのぞく)多くの人がそう考えている の二つが同時に含まれますよね。 私は以下のように考えて、書きました。 我々がそう考えている以上、我々の中に京さんが含まれる。よって、「京さんはそう考えている」と言いうる(必要条件を満たしている)。 京さんが言っている主張は 「私はそのように考えているし、私以外の多くの人も考えていると言いうるだろう。私だけが考えているのではない。」ということですよね。 京さんの主張は、そうだろうと思っています。 (おそらく、ここまでは、大丈夫だと思います。) ここから先で、行き違いが起こっていると推測するのですが、 私は、京さんが「私(京さん)は、実はそう考えていなかったのだ。我々には、多くの人が含まれ、私は含まれないのだと主張しようとしている」。と受け止めていました。 京さんは、高崎が「私(京さん)だけがそう考えているのであり、多くの人は考えていないと主張しようとしている」と受け止めていたのではないかと推測しました。 じゃないですかね。 で、あれば、この件は、お互い未熟だった。くらいで解決にできればと思います。 次に、合意できる点を書きます >私は文章の中で演劇の楽しみは一元的なものである。などとは書いておりません。 同意です。最初からそういう立場だと理解しています。 >芝居の感想・コメントの返信に於いては誠実に対応しております。 今回の私のコメントにおいて、全体として、まったく同感です。敬意を払います。 ここまで掘り下げた中で、議論をかみ合わせることを指向し、かつ、乱暴ではない言葉遣いで対応ができる方は極めて限られており、誠実に対応していただいていると考えています。 また、好き嫌いとそれ以外をわける。ということを念頭におかれて書かれる方も、限られており、この点も敬意を払っております。 十分な事実の提示と分析があり思考の過程が明確なものは、好き嫌いを超えた価値をもつ。というところもおそらく同じ考えではないかと推測しています。 >たかさき様が確信なさっている根拠については、薄弱すぎて根拠にもなっていないと考えます 今の段階では、その通りです。 >好評価の意見に対しては的外れでも、歓迎・(または)スルーである おっしゃるとおりの事実だと思います。 的はずれな根拠による好評価にはツッコミを入れたくなる思いは理解できます。 >これは「完全とはもちろん言えないが、ある程度は読み取っているつもりだ」という意味です。 主張の内容、了解いたしました。 >ルールを外れたものになっているとは思っておりません。 同感です。 >たかさき様は(どの程度係わっておられるかは知りませんが)この芝居の関係者ですよね? これは、うかつでした。 私個人は、今回のリーディング公演にほとんど関わっておらず、一観客として書いています。が、共催団体に名を連ねている団体のメンバーである以上、そこは事前に立場を明確にするべきでした。 失礼いたしました。 改めて、確認いたします。 京さんも自分の書いたものが絶対とは思ってませんよね?私もそうです。書いたものに対する批判は、基本的にウェルカムであり、立場を超えて(匿名とかは除く)、内容で判断したいというお考えかと思いますが、いかがでしょうか? (確かにここは、事前に確認が必要な部分でした。) 私としては、関係者ではない立場とご理解いただき、同じ観客としての立場で議論を続けたいと思いますが、いかがでしょうか? (けっして無理強いするものではありません。) (ちなみに関係者でもセーフの範囲だと思っていますが、ご指摘により、立場を明確にしたいと思います。)
2010/10/27 18:45
たかさき@福岡
京様 ていねいにご説明いただきありがとうございます。最終的には、共通の認識に至れるような気がしています。あまり細かすぎる言葉のニュアンスを問題にすると、議論そのものが成立しないので、適度なところにとどめるようにします。 >、「登場人物の「この先の話」を知りたいと、私が考えている」とお考えなら そう考えています。 現に「我々観客が見たい」「我々はその先を知りたい」とお書きになっていますので。 妥当な文章の理解だと思っています。私に間違いがあるとは思えません。あるとすれば京さんの文章の方でしょう。 (見せるべき、見せてこそ演劇、話ではなく生き様あたりの表現のバリエーションも含有します。) しかしこの説明を聞いて、「そう考えていない。」ということを、了解します。 >>想定される多くの客層の好き嫌いを提示 >しているわけでもありません。 していると思います。(根拠は上に同じ) しかしこの説明を聞いて、「しているわけではない」ということを、了解します。 >演劇の楽しみとは(中略)にあるのではないかと思うのです。 このご主張を興味深く読みました。演劇の楽しみとしてたいへん有力なモノだと思います。 しかし、やはり多分に個人の好き嫌いの範囲でしかありません。 現代演劇が見せようとするモノ(=演劇の楽しみ)は、たいへん多様です。その理解が不足していると思います。 今回の作品は、京さんの言う「スタート地点に至るまでの登場人物たちの動き」に着目したモノで、それが作家の書きたいモノの核です。作品の構成からそれは堅いでしょう。 そして、それには、どうにもこうにもケチのつけようがありません。 その作品内部でとどまる限り、好きか嫌いかしか言えません。 枠を広げて、社会へのアプローチとして有効か無効かは言えるかもしれません。 好き嫌いでおっしゃっていると思います。 >たかさき様の後半部分の論旨ですが、「そうであるかもしれないが、こうかもしれない」との発言ばかりで何も仰っていないも同然 後半部分はどこからどこまでを指していますか? 「何も仰っていないも同然」には、今回のコメントでもっとも大きな誤りが含まれているように思います。 >私は、「感情が昂ぶったら大声を出すことは有り得ない」と言っているのではなく、正にたかさき様の仰る通り、「脚本上・演技上、適切」ではない。ということを問題にしている この主張はいくらなんでも無理があると思います。後付にすぎます。 当初の記述に、それをうかがえる記述は全くないですよ。 「「感情が高ぶったところでは大声を出す」などという演出は考えがなさ過ぎる。」は、だれがどう読んでも、「大声出すのが安易でよくない」としか読めません。 好意的立場で、京さんの真意や実際にとらえていたということは理解します。ですが、とうていそのようなことは書いていないのに、後付的に書き、真意はこうだったというような言い方が通用するのでしょうか? 「私の文章力がないせいで分りにくく」というレベルでもありません。一般に意図的な議論のすり替えといいます。そこは自分が書いたものの責任をちゃんと認めませんか? 大声演技の件については、まずここをクリアにしてもらいたいと思います。 >「演出はまだ充分に仕事をしていない。もっと考えることがたくさんあった。」ということを言いたかったからです。 そうならば、そういえばいいと思います。その表現ならば、共存できるご主張です。 私は7-3でそうは思いませんが、7-3程度なので、京さんの考えを否定するには足りません。 しかし「しっかり背景が読み取れていない」中、公の場で、「そんな事をするのは子供か本当に考えのない人間くらい」と書くのは、京さんの知的誠実・文章への誠意に照らしてアリなのですか? 必要以上に過激な言葉を使うのは、真意が伝わらないし、それ以上に事実と異なった印象を見ている人に与えます。 感情的になって書いたのでは無いと思いますがそのように見られます。 相当な根拠、十分な思考、それを伝える筆力なしでやっていい範囲を超えていると考えます。 取り消し、謝罪を検討すべきレベルだと思います。 >失礼ながら、たかさき様から今回提案いただいたような事は、観劇中、観劇後に、充分とまでは言えまなくとも既に検証済みのことです。 短時間でここまでの分析が出てきていることからして、そうだと確信します。 しかし、いさぎ悪い姿勢です。 勇気を持っておっしゃったことは多とします。京さんも苦しいことを言っている自覚があると思います。しかし当初に書いた文章があまりに雑駁にすぎる。公表したモノにちゃんと責任をもってほしい。 ここは劇作家も演出家も劇評家等も等価であるべきです。 そのような雑駁な当初の文章で、そこまでの酷評が許されるのか、理解に苦しみます。 >もうひとつは私の憶測ですが、たかさき様は、私が好き嫌いで感想を書いているとお思いではないでしょうか。 一応確認しますが、動機ではなく、内容のことですよね? 京さんは好き嫌いで感想を書いていると確信しています。 というより、当初にかかれた文章はそうとしかなっていません。 好き嫌いで感想を書かないことを目標とし意識していることは了解しました。これだけでも福岡に限られた存在だと思います。しかしながら、今回だけでいえば、目標を実現する力量をお持ちではないと思います。 大声の件ですが、あそこまで分析されれば、(好き嫌いの度合いを完璧には廃せないまでも)好き嫌いを超えた力に至ると考えます。 私はそうは思いませんし反論もありますが、一つの考え方として否定しがたく成立すると思います。
2010/10/25 21:12
たかさき@福岡
>しかし、我々観客が見たいドラマはその先にあるものだ。 これって、人によるかなと思ったのですがどうでしょうか。 もちろんテレビドラマなれした、多くの人達は、そこに興味のある方が多いというのはよくわかります。同感です。 この指摘は作品の問題点への指摘というよりは、想定される多くの客層の好き嫌いを提示していると理解しています。 >また、演出もありきたりで浅すぎる。 企画趣旨、稽古期間(料金に反映)から、一定の程度には演出家が考えた結果と推測しており、最短距離に進んだのは正解だと思います。 たしかに「感情が高ぶったところでは大声を出す」はステレオタイプで、その警戒が先立つのは私も同じくです。しかし、芝居を見慣れた人が陥りやすいポイントだと思います。「感情が高ぶったときに大声を出す」という現象は、実際にありえます。 問題にすべきは、その大声を出す演技は前提として受け入れた上で、脚本上・演技上、適切かどうかを検証すべきだとおもいます。(その思考の過程を経た上で、ありきたりで浅すぎるという結論に至る可能性はあるかもしれません。) ある程度演出家が考えた結果の可能性は十分にあり、その背景を読み取ることができずに、「そんな事をするのは子供か本当に考えのない人間くらい」と言ってしまうのは結果として誤りを犯していると思います。 もちろん、演出家が無警戒にその選択をした可能性も外目には否定できないことも補足します。私も推測しているだけです。
2010/10/24 13:13
KAE
京様 レビュー、興味深く拝読致しました。 ドリームシートだったんですね。 私も、そうでした。 でも、妖精の粉は、私の目前で落下して行ったので、浴びてはいません。 ちょっぴり痛いなんて、意外でした。(笑) そうなんですよね。子供達が、えらく反応してくれるんですよね。 おっしゃるように、最後のウェンディの台詞は、その子供達の熱狂にかき消されがちでしたが、でも、こんなにも、必死に、ウェンディに、ピーターが来ていることを知らせようとしているなんて、今時の子供達にも、豊かな心が育っているんだと、私は、あの場面、何だか無性に嬉しくなりました。こんなにも、子ども達をまだ舞台に惹きつけられる可能性があるのだという事実に、気持ちが穏やかになってしまいました。確かに、必死で、大声上げるウェンディは、ちょっとお気の毒でしたけれど…。
2010/08/20 20:35
KAE
「東京月光魔曲」は、まあ、これでもかってくらい、雑多な人間が出てきて、ちょっと話があちらことら行き過ぎて、収集がつかない感じがありました。 よく考えると、辻褄が合わない箇所もありそうでしたし…。 でも、昭和のカフェとかの雰囲気はとても良く出ていて、視覚的にワクワクするところの多い舞台でした。 瑛太さんも、松雪さんも、とても魅力的でしたしね。 確か、wowwowだったかで、テレビ中継があったように思いますので、その内DVDが販売されるのではと思います。
2010/08/05 03:54
KAE
京様 確かに、狙いはどこにあるの?とは、私もよく考えてしまいます。 「東京月光魔曲」なんて、まさにその典型でした。一応、観ている時は、楽しんでいたのですが、帰宅する頃、「で、何?」って気にはちょっとなりました。(笑) まあ、あの作品は、役者さん達が、それぞれ大活躍で、それだけで、かなり満足してしまったのですが…。
2010/08/04 03:00
KAE
京様 その同行者の方も、センス抜群!!確かに、屋根の上の~のラストシーンのようでしたね。そう言われてみれば…。(笑)
2010/08/02 23:08
KAE
京様 そうですね。確かに、「どん底」とチェーホフが、入り混じって、ミキサーに掛けられたような印象がありました。 私は、人間が、鼻をそがれて血まみれになった情況よりも、あの謎の生物の息絶えた時に、不思議な哀切感がありました。 私も、大倉さんは、今回は、誰よりも、舞台で生きていると思いました。
2010/08/02 00:00
KAE
京様 地元では評判の劇団なら、風当たりが強いのは、ある意味わかるような気もしますが、私が、京さんのコメントに、決して悪意がないことがわかるように、きっと地元でも、京さんのご感想に賛同されていらっしゃる方も、実は、結構いそうに思います。 そういう方達は、きっと、そっと京さんに同感されているのではないでしょうか? ナイロン100℃は、私は今回かなり好感度高かったのですが、京さんは如何だったのか? 大変、興味深くてなりません。 たぶん、私よりは、評価低いかなと予想しているところです。(笑)
2010/08/01 02:12
KAE
京様 この劇団のことは全く知らないのですが、京さんのシビアな御感想を拝読したくてウズウズしていたので、すぐにこのレビュー、拝読させて頂きました。 全く、未知な劇団ですが、京さんの御感想、とても共感してしまいました。 きっと自分も、観ていたら、似たような感想になりそうな気がしました。 本当に、京さんの御感想は、常に、愛情故の苦言という感じがして、いつも、読んでいて、清々しい気持ちになれます。 また、私も観た芝居の御感想も楽しみにしています。
2010/07/31 23:58
KAE
京様 そうでしたか!京さんも、お知り合いの舞台の御感想、苦慮されていらしたのですね。(笑) 私は、どんな知り合いの役者さんや劇作家、演出家、制作人の関わる舞台でも、必ず、真実の劇評を書き続けた、プロの劇評家の娘に生まれたため、どうしても、身贔屓のコメントを書くのが、本意に背き、その私の習性を御存知ない、若い演劇人に、「観に来て下さい」と言われた時が本当に困ります。 私が、これはあまり良くなさそうと予期できるものは、ですから、何か理由をつけて、お断りしています。観さえしなければ、酷評せずに済みますものね。 京さんのレビューは、初めて拝見した時から、あーこの方は、包まず本心でコメントを書かれる方だと直感しました。案の定、私の目に狂いはなく、本当に信頼できるレビューを常に書かれる方で、敬服致しました。 一度もお目に掛かったことはなくても、コリッチのユーザーの方の本質や人間性は、その方の文章で、容易に判断がつくので、他のネット上のやり取りとは本質的に違うので、本当に、京さんのレビューを、拝見するのは、私にとっては、一日の終わりのささやかな楽しみの一つです。 これからも、どうぞ、本音のレビューを是非、よろしくお願い致します。
2010/07/18 14:48
KAE
京様 京さんが、流山児さんに、特に思い入れがなさそうなので、余計、信頼がおけるのです。(笑) 私の場合は、逆に、思い入れのある劇団が多すぎて、コメントを書く時は、実に気を遣います。 知り合いが関係している舞台が、とても良ければ問題ないのですが、そうでなかった時、知り合いには、書き方を慎重にしないとならないのですが、どうも、根が正直で、思ったことしか書けないので…。 だから、東京でない、京さんの嘘偽りのない御感想は、いつも本当に、拝読する度、スカッとします。かなり、愛読者なんですよ。(笑)
2010/07/17 02:06
KAE
京様 あー、なるほど。方言がおかしいのは地元の方には、大変気になってしまうところでしょうね。 私自身は、東京生まれの東京育ちですが、主人が九州出身なので、観たら、気になってしまったかもしれません。 殺陣も、あんまり迫真の演技過ぎると、それはそれで、余計な心配の種にもなりそうで、頃合が難しいのでしょうね。 詳しく、教えて頂いて、ありがとうございました。 見逃して、ガッカリせずに済みそうです。(笑)
2010/07/14 21:08
KAE
京様 そうでしたか! この芝居、またしても行きたくて行けなかった公演でした。 すごく良かったのなら、大変悔やんだところですが、京さんの御感想を見て、ちょっと安心してしまいました。(笑) 役者のとちりと、殺陣が決まらないのは、どうも苦手なので。
2010/07/13 00:09
KAE
「ガチャピン大奥カステラ」の御説明、ありがとうございました。 また、京さんのコメント読んで、一人で、噴出してしまいました。面白過ぎです。(笑) 「大草原の小さな家」ね?ありましたね。私、前にもお話したように、西村さん御出演だと、よっぽど他に観たい役者さんがいない限り、外してしまうので、それも、観ていません。 安達さんは、きっと、和モノの方が似合うかもしれませんね。
2010/07/08 23:25
KAE
「ガチャピン大奥」??? 何でしょう?全然どんなカステラなのか、想像できません。(笑) いくら、どちらもフジテレビの看板とは言え、何だか、センスないネーミングで、思わず笑っちゃいました。お味は如何だったのですか? 安達さん、そうですね!確かに、顔もですが、声と体型は、特徴ありすぎますものね。 子役で活躍された方は、大人になってから、役者さんとして、伸び悩みをする方が多く、一度、大人気の経験があるだけに、そういう時期って辛いだろうなと思う時があります。 本当に、いい役に巡り会われるといいですね。
2010/07/08 03:16
KAE
京様 これ、ご覧になったのですね。 東京で観た友人も、衣装が良かったと盛んに言っていました。 安達さん、私も、「レ・ミゼラブル」の時は、止してよと思ったのですが、以前、大河ドラマで、お軽を演じた時に、哀切な演技表現が素敵で、見直したことがありました。 合う役を得ると、力を発揮される女優さんなのでしょうね。 博多座は、私が以前行った時も、開演1時間前から、ロビー入場させて、お客さんがゆっくり売店を見たりできるし、係りの方の対応も気持ち良くて、好きな劇場の一つになりました。 以前も今も、知り合いの方が支配人をしているので、機会があったら、京さんの劇場に対する御感想、伝えておきますね。 東京から、出演者が行く諸経費も加味されて、チケット代が高くなってしまうのでしょうが、もう少し、低料金に設定してくれるといいですよね?
2010/07/07 18:02
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