
青の凶器、青の暴力、手と手。この先、
キ上の空論
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2017/08/31 (木) ~ 2017/09/03 (日)公演終了
満足度★★★
学校の風景。
彼女ら・彼らの交わす言葉の奥に繊細な想いが行き交う。いくつもの短い場面が、乾いた音で切り替わり積み重ねられていく。その中でしだいに見えてくる過去は深い青に彩られて切ない。
劇中で交わされる会話の柔らかい方言の響きが、重なっていく場面にもうひとつの色を加えていく。
あの子の言葉に、土地の訛りがなかったのはそういう訳だったか、と後から思ったりもする。
現在向き合っている大切な人の死と過去の悲劇とを抱えて、ぶっきらぼうにしか振る舞えなかった少女の自責の念が痛々しい。
あの子もあいつもキミのことを大切に思っていたんだよ、と耳もとで言ってやれたらいいのに。
大きな悲劇を物語の背景に置いたことは、そのことに対する創り手も思い入れや必然性が問われなくてはならないだろう。切実さとかすかな違和感の双方を感じたりもした。
それでも、劇中で交わされた会話やそこに込められた彼女ら・彼らの細やかな心の動きは、観終わった後も確かに心に残った。

小竹物語
ホエイ
アトリエ春風舎(東京都)
2017/08/24 (木) ~ 2017/09/04 (月)公演終了
満足度★★★★
「怪談師」という方々は実際に存在するらしい。集まって怪談を語る催しもあちこちで開催されているようだ。
ここでいう怪談は、『四谷怪談』とか『牡丹灯籠』とかではなく実体験に基づく怪異体験談あるいは実話怪談と呼ぶべきもののようだ。
劇中である人物が「私たくさん怪談持ってますから」と言ったり、『遠野物語』の中の挿話を語った人物が非難されたりするのはそれゆえであろう。
もちろん自らの体験には限らない。「これは友人のAさんが体験した話です」みたいなものであったり、あるいは人が体験した話を蒐集し、整理して語ってりするようだ。ま、考えてみれば先の『遠野物語』を編纂した柳田國男がやってたことだって基本は同じなのかもしれない。
蒐集するだけでなく語って聞かせる訳なので、それぞれパフォーマーとしてのキャラクター付けも抜かりない。それゆえ登場人物も濃い面々の集まりとなっている。
この日の集まりは観客を前にしての語りでなくネット中継。技術を担当するのは主宰の友人である人物。
怪談を語る者たちの立場もそれぞれで、主宰であったり常連であったり初参加であったりゲストであったりする。
キャラの濃い怪談師たちがつかの間の集まる中で見え隠れする人間関係。
加えて、劇中で語られる怪談ももちろん見どころである。
怪談師としてならミロくんのクールそうでいてややウエットな語り口が好き。
怪談アイドルの手馴れた風情には安定感があったし。
憑依型というか、結子のはとにかくインパクトがあったし。
主宰の語った、海で死んだ妻と出会う話は、あ、遠野物語、と想うか思わないかでも印象が変わるだろう。
もうひとつ軸になるのは主宰の友人で、この日のネット配信の技術を担当する高橋だ。
開演前の客席とのやり取り。集まりのはじめに雑談として語られたつぶつぶの話(量子力学?)。その中の関わるということについての話。そしてラストのこちら側からあちら側への越境(?)。
後半はそこにまたさまざまな要素が加わってくる。
怒鳴り込んできた男。聞こえるはずのない階段の音。目玉焼きにかけるもの。
実際に現れた幽霊(?)より、人間の方が(いろんな意味で)怖いよ、という話かもしれない。
いろいろ考えるとより面白くなってくるタイプの作品で、一度しか観られないのが残念だ。
ちなみに、目玉焼きには塩コショーで醤油もソースも雨水もかけない派だ。

純惑ノ詩―じゅんわくのうた―
野生児童
小劇場B1(東京都)
2017/08/23 (水) ~ 2017/08/27 (日)公演終了
満足度★★★★
『四谷怪談』をベースに、現代劇として再構築されたある姉妹と男たちの悲劇。
それは自分の中の『四谷怪談』のイメージとはずいぶん異なっていた。伊右衛門といえば歌舞伎では色悪の代名詞のようなキャラクターだ。だが、この作品で描かれた伊右衛門いや伊左雄は、ただひたすらに石珂を愛していた。彼女とともに生き、そしてともに死ぬことだけを望んでいた。
冒頭で彼女にプロポーズし、承諾の言葉を得た彼自身がそう言ったのではなかったか。
ひとつの愛の成就から始まった物語なのに、なぜだかずっと不幸の予感が漂っていた。原作があるからというだけでない、ああもう、どうしたって悲劇になってしまうんじゃないか、と思わせる不穏な空気が物語を覆っている。
伊左雄をはじめとする登場人物たちの、恋というより執着と呼びたくなるような強過ぎる想いゆえだろうか。
ザワザワと背筋を震わすような悪い予感がしだいに現実のものとなっていくのが、いっそ小気味好いくらいであった。
終盤になって続けざまに悲劇が起きてしまうくだりは、呼吸をするのも忘れそうなくらいの緊迫感であった。
主演のお2人の切実かつ壮絶な愛情が、観終わった後も胸に残った。

15 Minutes Made Anniversary
Mrs.fictions
吉祥寺シアター(東京都)
2017/08/23 (水) ~ 2017/08/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
公演チラシの裏面や公式サイトに記載された上記の文章中に「予告でも試食でもない15分の可能性」というフレーズがある。
Mrs.fictionsが継続して主催してきた15分の短編で綴るショーケースイベント『15 minutes made』。観に行けば、まさに『予告でも試食でもない』独立した作品としての15分を堪能できるだろう。
加えて今回は10周年の記念公演とのこと。それにふさわしい素敵な団体が集まっている。
ね、もう、この顔ぶれだもの、どうしたって楽しいよね。15分の作品1つ観て帰っても満足できるヤツなのに、それを6本。キラッキラの約2時間。
美術やその他さまざまなスタッフワークも含め、アニバーサリーにふさわしい素敵な公演だった。

【本日最終日!27日(日)13時と17時】我飯
劇団鹿殺し6年生企画
Geki地下Liberty(東京都)
2017/08/23 (水) ~ 2017/08/27 (日)公演終了
満足度★★★
ややドタバタ気味のゆるいコメディ、と途中までは思った。登場する人物が片っ端から一癖も二癖もあって、その奇妙な言動に笑っているうちに、事態は常軌を逸していく。
そうしているうちに、タイトルに込められた(複数の)意味がわかってきて、ニヤッとしたりもする。
危うい情熱と人間関係のバランス。アクションや外連味も加えつつ走り抜ける熱量が、なんとなく母体である鹿殺しを思わせる。
やや温かい印象のラスト……にたどり着きそうになったそのとき、ブラックな仕掛けが施されていたりもして、最後まで油断ならない物語であった。

ナイゲン(2017年版)
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2017/08/11 (金) ~ 2017/08/21 (月)公演終了
満足度★★★★
『ナイゲン』については、2015年にアガリスクエンターテイメントによる最終公演を観た。
だから作品冒頭ではついそのバージョンのキャストや雰囲気が脳裏に浮かんだりした。しかし観ているうちに、目の前で進んでいく会議に没頭していった。
戯曲の完成度による部分もあるし、以前のイメージを裏切ろうとする演出の効果でもあろうし、今回のキャストの熱演による部分も大きいだろう。
内容は知ってるはずなのに、何度も笑った。
特に、海のYeah!!の破壊力や元気一杯の監査が印象的だった。
そして、最後に議長が「僕はこれがナイゲンだと思います」というのを聞いてグッときた。時代が変わりオトナが変わっても、彼らはきっと大丈夫、となんとなく思った。
そんなふうに思ってしまうくらい劇中の高校生に感情移入し、議論にのめり込んだのだろう。
また機会があれば観たい作品である。

瞬間光年
FUKAIPRODUCE羽衣
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/08/18 (金) ~ 2017/09/05 (火)公演終了
満足度★★★★
ささやかな日常から飛翔し宇宙に向かう人の想い。積み重ねられる6つのエピソードがそれぞれ少し可笑しく少し切ない。
それぞれの暮らしの中のありふれた、あるいは本人にとっては深刻な出来事。すべてこの地上で起こってるはずなのに、何万光年の彼方へと想いは駆け巡る。
2人の宇宙飛行士の繰り返される会話が、それぞれのエピソードをつなぐ。
最後には、飛翔した想いが宇宙の果てまで行くようなダンス。
長い旅を終えたような物語の終わりに、客席でひとつ深く息を吐いた。

髑髏城の七人 Season鳥
TBS/ヴィレッヂ/劇団☆新感線
IHIステージアラウンド東京(東京都)
2017/06/27 (火) ~ 2017/09/01 (金)公演終了
満足度★★★★
捨之介を阿部サダヲさんが演じる。
役の設定も衣装等もこれまでとは変えて、元忍びの捨之介として生き生きと走り回る姿はいかにもハマり役であった。
天魔王の森山未來さんと蘭の介の早乙女太一さんの華麗な殺陣や極楽太夫 松雪泰子さんの妖艶できっぷのいい極楽太夫も素敵だった。
個人的には粟根まことさんが演じた計算高い渡京と池田成志さん演じる贋鉄斎がお気に入りであった。
ふだん行き交う街から少し離れた劇場で毎日繰り広げられる物語は、ある種の祝祭めいて高揚感を誘う。
新機軸の箱に鉄板の物語を詰め込み、観客をたっぷり楽しませようとする気概が感じられる舞台だったと思う。

ルート64
ハツビロコウ
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2017/08/05 (土) ~ 2017/08/11 (金)公演終了
満足度★★★★★
あの宗教組織による弁護士一家殺害事件をモチーフに、一見ロードムービーのようでいて、実はある種の閉塞感を描いていたように思える。
とにかく鐘下辰男氏による戯曲が面白い。4人それぞれが語る過去。教団での位置付け。修行。互いへ向ける感情の動き。
ヒリヒリする緊張感と行きつ戻りつする時間軸。4人の感情の動きに合わせて観客も揺さぶられ続ける。
舞台上で音響や照明を操作する演出も面白かった。
約2時間の芝居が終わって劇場を出る。濃密な空間から解き放たれて、思わず伸びをして深呼吸する。
駅までの道を急ぎながらも、ヒリヒリするような緊張感が心地よく肩のあたりに残っているような気がした。

ヨークシャーたちの空飛ぶ会議
公益社団法人日本劇団協議会
ザムザ阿佐谷(東京都)
2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了
満足度★★★★
劇団扉座主宰 横内謙介氏の初期の戯曲を、同じく扉座の鈴木里沙さんが演出する舞台。
14時開演というのに、受付開始の13時にはすでに観客が列を作っていたらしい。演出の里沙さんが劇場前で人々を案内している。受付にも前説にも扉座の役者さんたちの姿が見える。
千秋楽ということもあって、ぎゅうぎゅう詰めの満席である。狭い空間にビッシリと詰め込まれて、90分ほどの舞台を観た。
「テーマ」を喰らい「無意味」さえ飲み込んで走り出した物語は、約30年前の戯曲の寓意を生かしつつ、時代に合わせたテンポのよさで疾走し続けた。
我々は自分自身を閉じ込める檻に気づかず生きているのか。ラストで飛び立った鳥はどこへ向かうのか。
込められたメッセージは、観る者によってさまざまなことを考えさせるだろう。若々しさと同時にある種の郷愁を感じさせる舞台であった。
3度目のカーテンコールに少し困ったような笑顔を見せた犬飼さんと、受付の横で帰っていく観客一人ひとりに頭を下げる里沙さんの生真面目な表情が印象に残った。

新宿コントレックスVol.17
アガリスクエンターテイメント
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2017/07/28 (金) ~ 2017/07/29 (土)公演終了

青ひげ公の城
非シス人-Narcissist-
サンモールスタジオ(東京都)
2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了
満足度★★★★
2013年度に今回と同じ非シス人が上演した『青ひげ公の城』を観た後、図書館で借りて読んだ。
重層的な幻想と不条理めいた人物造形、そして何より印象に残るのは、詩的な言葉の連なりであった。
不条理演劇、魔術的リアリズム、などいくつかのキーワードが脳裏をよぎるけれど、たぶんそんなふうに名付けることにあまり意味はないのだろう。
以前観たとき、舞台監督と青ひげが表裏の関係なのではないか、と思ったが、今回はまた違うことを思った。
横井さん演じる衣装係の印象が強まって、幻想的な物語の向こうに、名前のない女優でも、七番目の妻でもユディットでもない、山本百合子の物語が確固たる輪郭を表す。
狭いアパートで兄と交わした言葉。街を行き交う人々に、それぞれの物語。
青ひげの城で繰り広げられる妖しく美しい人々の行いは、いなくなった照明係を探す少女の物語として再構築される。
第二の妻を演じた 葛たか喜代さんの凛々しく儚い中性的な佇まいが、物語の色合いをいっそう鮮やかに見せた。
物語がいつ始まりいつ終わるのか。どこまでが客席でどこからがステージなのか。虚構が現実を侵食するような仕掛けがふんだんに施された、観る者を安寧のうちから引き摺り出そうとするような、甘美な悪夢のような、そういう舞台。
もう一度、戯曲を読み返してみたくなった。

penalty killing
風琴工房
シアタートラム(東京都)
2017/07/14 (金) ~ 2017/07/23 (日)公演終了
満足度★★★★
2015年2月に上演された『PENALTY KILLING』の再演……というより、文字通りリミックス版といった方がいいだろう。
初演のザ・スズナリからシアタートラムに場所を移し、キャストも何人か入れ替えた……だけでなく、構成や台詞などもあちこち変わっていた。
舞台は、北関東の山中にある屋内アイスホッケー場。シアタートラムがアイスホッケーのリンクになる。ザ・スズナリのときの驚きと凝縮された空間も印象的だったが、今回は周囲の雰囲気も含めいっそうリアルなリンクが劇場中央に立ち現れていた。
そのステージの上で、実在する日本唯一のプロアイスホッケーチーム「日光アイスバックス」をモデルに、経営難による廃部の危機や地元のファンとの交流を交えつつ、プレーヤー一人ひとりの抱える想いを描き出していく。
スター選手の引退試合と、そこへ至るまでの日々を描きながら、試合の場面で一人ひとりにスポットライトをあて、その日、氷上立つまでの彼らの人生をモノローグを中心に見せる構成がまず面白い。
熱い舞台と書いたが、熱いのは勝ち敗けを競う熱狂だけじゃない。
その一瞬、その一打に込められた彼らの人生が、静かに熱い。
客席にもリピーターが多く、スポーツ観戦のように応援するチームのカラーを身につけたり、試合前の選手入場では拍手や鳴り物が観客席から響きわたったりもする。
構成の巧みさと敵チームも含めた多彩なキャストの持ち味が生きた魅力的な舞台だった。
一人ひとりの人生だけでなく、チームメイトに向けるライバル心も信頼も、もどかしさや照れ臭さも繊細に描かれて物語に深みを与える。
他の舞台で何度も拝見している役者さんたちが、いつもとは違うアスリートの顔で、ステージ……いや氷上に立つ。
その姿がいっそうスポーツ観戦に似た熱狂をもたらしていた。

スロウハイツの神様
演劇集団キャラメルボックス
サンシャイン劇場(東京都)
2017/07/05 (水) ~ 2017/07/16 (日)公演終了
満足度★★★★
人気作家に突然襲いかかったある出来事が、彼の人生に重くのしかかる。彼の愛読者が殺人ゲームを実行し多くの人を死なせてしまったという事件と、それに対しての彼のコメントが非難を呼んでしまったこと。
そんな彼が再びペンを手にすることができたのは、ある少女のおかげだった……。
10年後、物語の舞台はスロウハイツと名付けられたアパートに移る。
脚本家 赤羽環が所有することとなった建物をアパートに改築して、アーティストの卵たちに破格の条件で部屋を提供しているのだ。
スロウハイツで暮らす個性的な人々の少し不器用な優しさと、人と人との温かい繋がり。そして彼らの表現への情熱とこだわり。
ここに住む若いアーティストたちがそれぞれ魅力的だが、上下二巻の小説を約2時間の舞台にしたため、小説家 チヨダ・コーキと脚本家 赤羽環の関係を中心に描かれている。
環の人生も平穏なものではなかった。生きていくことは苦労も多いけれど、でも、素敵なことだってたくさんある。
たとえば、神様のように崇拝しているあの人が、人知れず彼女のことを見守っていてくれた。あの人にとっても、彼女は大切な人だった。
長年秘めてきた互いへの思い。
環の妹が語った姉妹のかつての出来事を、コーキの側から繰り返す場面が好きだ。さっき見えていたいくつもの景色が鮮やかに色を変えていく。
新たに塗り重ねられるのは、愛情という名の色合いだ。自分の作品を信じることで、自分を支えてくれた少女への。
互いに相手を幸せにしたいと、ただ純粋に思う。そういう関係が丁寧に描かれていて胸がキュンとなる。
ここで描かれる細やかな優しさはとてもこの劇団らしいという気がした。
スロウハイツの個性的な住人たちが織り成すじんわりと温かい物語。

プールサイドの砂とうた
くちびるの会
調布市せんがわ劇場(東京都)
2017/07/16 (日) ~ 2017/07/16 (日)公演終了
満足度★★★★
ある夏の日の出来事が少年の心に残した影。
男子高校生2人の会話から始まった物語は、過去の事件を巡って記憶と会話を重ね、時間を遡りつつ進んでいく。
小学校のプールで起きた事故。欺瞞。そして小さな真実。
家族、教師、友人、それぞれの立場や想いをかいくぐり、あの日何があったか思い出すことで少女のことを自分の中にとどめようとする。
少女の歌声が鮮やかによみがえる。
繊細に積み上げられた場面を彩る郷愁。夏の匂いの記憶が、この物語を自分にとってもどこか懐かしいものに感じさせた。

そでふりあうも
ブラシュカ
シアターブラッツ(東京都)
2017/07/12 (水) ~ 2017/07/17 (月)公演終了
満足度★★★★
舞台上には、白一色の美術や小物たち。
東京に憧れつつ、家族や恋人との制約の中、地元で働き事故で亡くなった姉と、東京で姉の夢だったパティシエの修業をする妹。
繊細な会話と緻密な構成による短い場面の積み重ねが時間の経過と人の想いを浮き上がらせる。
姉の同級生だった青年はシェフとしての腕を上げ、ミュージシャンを目指す若者は着実にヒットを生み出していき、映像作家のタマゴは作品が賞を取ったりもする。若者たちが夢に向かってもがく様子もやや甘やかに描かれていく。
それぞれの暮らしの中で繰り返される出逢いと別れ。
取り戻せない想いを割り切れないまま抱えていく人々の姿が胸にしみた。

家族百景
七味の一味
ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)
2017/07/14 (金) ~ 2017/07/17 (月)公演終了
満足度★★★★
『かかづらふ』
最初は、母の介護をする娘として七味さんが登場する。どうやら痴呆症であるらしい母親を施設に送り出すまでの朝の風景だ。母を起こし、着替えさせ、食事をさせ……。
気がつくとまた同じこと光景が繰り広げられる。繰り返される会話と行動。しかしそれが少しずつ歪んでいく。困窮していく暮らし。母の病状。追い詰められていく彼女。
そして……。
悲劇的な結末のあと時間が巻き戻され、しかし今度は母親の側から同じ場面が綴られていく。もう一方のパートが描かれることで、娘が追い詰められていった訳も理解できてくる。
ときに自分自身を失い、ときに取り戻し、痴呆の進行とともに母親の苦しみが深まっていく。
身につまされる重い題材、印象的な構成、そしてそれを体当たりで演じる七味さんの気迫。
観終わってすぐには言葉も出ない、しばしただ余韻を噛みしめるような、そういう作品だった。
『家族百景』
こちらは打って変わって大人数の舞台だ。
家族の思い出が詰まった家が、明日取り壊される。すでに独立して別々に暮らしている子どもたち孫たちも、今夜はこの家に集まって名残を惜しんでいる。
そんな中、古い写真が出てきたのをきっかけに、思い出話が始まって……。
祖母と祖父の出会いから語られる家族の歴史は、破天荒なエピソードも挟みつつ、それぞれの想いを丁寧に綴っていく。場面によって演じる人変わりつつ、その役柄以外の時も皆が舞台を見守っている。
誇張された破天荒なエピソードもあれば、じんわりと優しい思い出もある。
現在の家族の形も絡めつつ、家族のそれぞれのお互いへの想いが細やかに描かれていた。
期待を裏切らないクォリティの2本立て。身につまされる重い題材を印象的な構成で描く『かかづらふ』と家族の歴史を破天荒な笑いと細やかな愛情で綴った『家族百景』。
どちらも家族の物語であったが、2本の印象がこんなに違うなんて予想外だった。どちらを先に観るかで印象も変わってくるだろう。
何より一方を演じ、もう一方を演出する七味さんのエネルギーに驚かされた。

子午線の祀り
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2017/07/01 (土) ~ 2017/07/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
開演時間。半円形のステージを取り囲む客席の間を通って、黒衣の人々がゆっくりと舞台に向かっていく。舞台に灯る小さな火を目指すように。
プロローグで語られる星の運行。『平家物語』に題材をとり、天の視点で観る叙事詩劇と言われる作品である。
一の谷の合戦で義経におわれた知盛は民部の船に助けられる。
船まで知盛を乗せてきた愛馬が、陸へ向かって泳いで行く。敵軍に渡すよりいっそ射殺してしまおうとする民部を知盛が止める。以前の自分なら、止めるどころか自ら弓を手にしていたはず、なのになぜ、と自問する知盛の胸の内。
源平合戦のダイナミックな展開は『平家物語』から引いた語りによるけれど、それについての心理描写はきわめて現代的だ。
登場人物の大半は『平家物語』に登場する人物だが、影身という舞姫はそうではない。主人公である知盛に従い、生と死を超えて彼を見守る。また、知盛以上に敵方である源義経についての場面も多く、それぞれの側からこの戦いの攻防が描かれていく。
この舞台の特徴としてよく言われるとおり、『平家物語』を下敷きにした「語り」や「群読」による日本語の響きの美しさを堪能する。同時に、語られる言葉には意味だけでなく身体性が加わっていくのも興味深い。
そうやって語る人びとの中には伝統芸能の担い手もいれば新劇系や小劇場出身の俳優さんもいて、それぞれの持ち味を生かしつつ、この世界観を支えていく。
シンプルでありながら場面によって姿を変える美術も印象的であった。
そうして描かれるのは、「運命」というより「天の運行」あるいは「歴史の流れ」のようなどうしようもないものに流されていく人びとの悲劇。それは単純な喜怒哀楽を超えて、名付けようのない透明な感情を引き起こしていく。
この上演をずっと楽しみにしていた。そして、その甲斐があったと思える舞台であった。

その人を知らず
劇団東演
あうるすぽっと(東京都)
2017/06/29 (木) ~ 2017/07/10 (月)公演終了
満足度★★★★
観始めてから、途中でしまった!と思った。
友吉があんなことをした、と皆が言う。周囲から責められ家族までもが弾圧されるような、いったい何を彼がやったのか。それが途中までははっきりと語られない。何の予備知識も入れずに観ればよかった。彼が何をしたのか(いや、しなかったのか)を知らないまま、それを考えながら観られたらよかった。
だが、そんなことを思っていたのはわずかなあいだだった。
その時代の息苦しさそのものが、友吉への、そして友吉の家族への迫害となって具現化する。
新劇系の5つの劇団が協力しての上演とあって、キャストの層も厚い。多彩な登場人物をそれぞれ説得力のある演技で描き出していく。
共産主義者も右翼の国士も友吉に洗礼を施した牧師も、それぞれの迷いや矛盾が描かれる中で、友吉の頑ななまでの無垢が痛ましく輝いていた。
それはキリスト者としての行動だったのか。あるいは、彼の観ていたエス様は、彼だけのためのものであったのかもしれない。
戦争中から戦後にかけて揺れ動く人々の中で、彼の無垢だけが揺らがない。
……いや。そうとは言い切れない場面もあったか?
戦後の苦しい生活の中で、彼は自らの信念に疑問を抱くようにも見えたのだけれど。
タイトルは聖書の中のペテロの言葉から取られたもののようだ。
しかし、ラストで繰り返される「そんな奴は知らない」という言葉は、ペテロの場合とは異なり、彼をかばうため、彼が妹と大切な女性を無事に連れ帰るためにつかれたウソだったのに。
そんな時でさえ、バカ正直に応えることしかできない。
前半の、歯を喰いしばりながら観るような緊張感と、後半のある種の喪失感と。
殺すなかれ。
その戒律を守ることだけをどこまでも貫こうとした ある男の物語。
約70年前に書かれた戯曲が、もしかしたらこれからの我々にとってもっとも切実な課題を浮き上がらせているのかもしれない。

大帝の葬送
ロデオ★座★ヘヴン
インディペンデントシアターOji(東京都)
2017/06/28 (水) ~ 2017/07/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
会議劇であった。
いや、正確にはなんと呼ぶのかわからない。そういえば、先に引用した公式サイトの紹介文には「論争劇」と書かれている。要は、『十二人の怒れる男』や『ナイゲン』のような、ある議論や論争を物語の中心に置いた芝居の系譜に属するものなのだ、と終盤になってから気がついた。
昭和63年の秋から平成元年の早春にかけて、昭和天皇の崩御と現在の天皇陛下の即位にまつわる人々の葛藤を描く。
舞台中に散らばったたくさんの紙片と2つのテーブル、そしていくつかの椅子。部屋の片隅に置かれたテレビ。
三方を客席に囲まれた空間は、宮内庁の一室となって、そこに出入りする人々のやり取りがそのまま物語となる。
固有名詞や正式な役職名などをほとんど廃し、「事務の人」や「奥の方」などその人の属性を表すわかりやすい役名で呼び合う。
ある意味歴史の大きな転換期であるけれど、遠い昔というわけではなく現在と地続きと言ってもいい時代である。
劇中で使われる電話を見て(いくら宮内庁でも、オフィスではもう黒電話でなくビジネスフォンを使っていたのじゃないかしら?)などと思ったりしたのは、当時自分もすでに勤め人だったからだ。
葬送の様子をテレビで観て記憶している方も多いだろう。
しかも、形は違えど近くまた元号が変わる予定だったりもする。
そういう意味も含めて面白い題材であった。
だがそれ以上に、それぞれの役割で呼ばれる登場人物たちが、それぞれ輪郭のはっきりしたキャラクターと、シンパシーを感じさせる人間味を持って描かれていたことが印象的であった。
対立したり相手に苛立ったりもしながら、伝統も法律もないがしろにせず、そして何より人の心に沿うかたちで時代の転換となる式典を執り行うために妥協できる点を求め、解決法や抜け道を捜し、とことんまで話し合う。
その様子が、どんなエンターテイメントより面白くて、あまりにもありふれた言い方だが、人間がいる、と思った。