tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~

ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~

Bunkamura

世田谷パブリックシアター(東京都)

2023/09/10 (日) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

<はえぎわ>は主宰が出世してあまり観れなかった一つ(開店休業?)。10年近く前あたりに観て、次は丸の内あたりの変わった場所で観た。ノゾエ作品は下北沢でもう一つの作品との二本立てで観たが奇妙な取り合わせだった。ノゾエ演出舞台は新国立でピーターパンのスピンオフ的な翻訳劇の他どこかで見た記憶が。
という事であまり縁の濃いとは言えないはえぎわだが、当時の作品を選りすぐった俳優で上演という事で「やっぱ観ておくか」と観る事にした。のだが観ていく内に、段々と、最初に観たはえぎわ作品だと気づいた。(ピエロと老女、という梗概を読んでいても思い出さなかった。)題名は耳に覚えがあったが、これだったっけ・・。後で調べると、初演がアゴラ(2010)、再演が星のホール(2012)、前者ははえぎわ団員のみ、後者はままごとの柴幸男を俳優として迎えた異色公演、とまで見てもまだ思い出せない。間近で観た感覚があるのでアゴラか、しかし劇場の雰囲気は三鷹だったような。で柴氏の立ち姿を自分はどこかで観ており、解説には「最初で最後の出演」と、書いてあるのが本当なら星のホール。震災後だ。構成や舞台がゴチャゴチャしていて中々ついて行けないながら、老女(と言っても若い劇団員が扮した役では複雑な全体の一部としてナンチャッテな感覚で見ていた可能性あり)に拘泥する青年の姿はドラマの中心で感情の波動を送っていた。そして明瞭な記憶は最後を飾るボレロ。一曲全て使い切り、列を為したりムーブしながら「演出的に芝居を締めた」後味を残した。芝居を成立させた、「うまいな」と思ったというのがその時の観劇だった。

今回の舞台では周囲がぐるりと黒い壁で取り囲まれ、シャッターを開閉して出入りする倉庫のような箱が、唯一の人の逃げ場所になっており、一々ガラガラ、ガラガラと鳴る。序盤のうるささが後半は減り、終盤は皆出ずっぱりになり、壁際に気配をけして佇んだりして青年の空間が社会に取り囲まれて行く感じもある。訪れるべくして訪れる老女監禁(実質)生活の終結は、老女が青年の部屋からふっと居なくなる事で到来するのだが、その直前、それまでは赤子のような喚き声で青年を困らせていた老女(髙橋恵子)が、異様に覚醒した様子で静かに、ゆっくりと青年に向かって台詞を吐く。この場面を折り返し点として観客は演劇の時間・・多数の人力で動かしていた時間が下り坂を下り始めた事に気付く。
序盤で若者のコンビに騒しく喋らせていた「進化」の蘊蓄を伏線として終盤現れるのが、青年の周囲の有象無象が集団となり進化のマイムで遊ぶ風景。猿、猿人、原人、道具を持ち、やがてキーボードを打ち・・という動き。既に「ボレロ」が薄く鳴り始めており(実は一度観た芝居だとちゃんと確信したのはこの時)、スローな一歩一歩の行進が始まる。これが示唆的である。周囲が動き回る中、主人公の男は一人、打って変った様子でスーツに着替え始める。異なる空間、次元が混在する舞台の各所には、所狭しと書き加えられた二次元のチョークの文字が思考の世界へと誘う宇宙のよう。そこへ三次元の肉体が、よどみなき原始の本能か自動機械のように足を踏み鳴らしている。青年の最後の台詞は「自首する」。だが犯罪というもの全般をあるいは包摂できるのかも知れないのは、全ては必然であるという事。人は必然の導きによりその相を変えて行く。一人の中に蛇行しながらの進化があり、人類も同じくそうである。進化のマイムから行進が始まった時、私たちが来たった進化の先へと歩み出す歩みと見える。誰も知らない進化の形が待つこの先へ。価値は一つではなく、倫理とて然り。たまさか、人はその時代に生まれ、死に行く有限な存在だが、確実な事なんて何もないのに何をもって絶望できるのか、あるいは断罪できるのか・・。
部屋を出て行った老女が何事もなかったように施設に戻ったそうだ、と面倒見の良い兄が知らせて来た時、自分は「ああ。大事にならずに済んだ」と思う。だが老女が青年に引導を渡し、彼を赦したという二人の見えない関係性を他者は知り得ない。青年は社会に出て行く決意を契機に「自首」を選ぶが、それは悪事への償いであるよりは社会の門をくぐる手続きに等しい。善悪が彼岸へ退いた世界観、と言ってみると、ノゾエ氏を言い当てた言葉な気がしてくる。

HAMLET|TOILET

HAMLET|TOILET

開幕ペナントレース

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/09/06 (水) ~ 2023/09/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

同タイトルはKPRの代表作と思しいのであるが、今作は「新作」と謳ってあった。KPRは私の知ったトラム上演(客席を撤去して高いステージを組んだ大胆な演出)以降は一度下北沢の小さなハコで観たのみ。(その後一度浅草のカフェだかで翻訳物をやったのは現地へ行くも観劇能わず。)
という事で個人的にはお預け期間を経ての久々のお目見えであった。
ハムレット、トイレットのモチーフはそのままに、確かに新作と言ってよいパフォーマンスである。ギャグを重ねて「ハムレット」の(KPRなりの)要諦に迫る。排泄系の下ネタは罪がない。これを梃にハムレットを解体・構築する営みが、何を打ち出すために、何を目的に為されているのか、についてはうまく言葉に出来ない。
今思い付く言葉と言えば、これまで見た事のない新しい風景に心踊った事、役者の愚直に「事を遂行する」アスリート的エネルギーが爽快な波動を送って来る事。

オール・アバウト・Z

オール・アバウト・Z

日本大学芸術学部演劇学科 令和5年度 総合実習A1(演劇)

日本大学藝術学部 江古田校舎北棟中ホール(東京都)

2023/09/14 (木) ~ 2023/09/16 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

日藝を初めて訪れる。学生演劇も(常連である桜美林鐘下Opalを除き)久々だ。本舞台は川村毅氏自身の演出による近作上演。出演者は8名。川村氏得意の?アンドロイド物、近未来(いや遠未来か)を舞台にしながら現在とどこかで錯綜するような誌的な作品であった。終盤に至る映像、ムーブ、装置移動によるダイナミックな演出は視覚から「現代を生きる私たち」を俯瞰させ、情動を呼び起こすもの。会場の拍手は熱かった。

星をかすめる風

星をかすめる風

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2023/09/08 (金) ~ 2023/09/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

再演。戦時中福岡で獄死した詩人・尹東柱の舞台は観ておかねば、と足を運んだ。彼を巡る逸話が多彩であった事を見ながら思い出す。話は九大医学部の人体実験にも及んで、背景にあった「戦争」が局部的な異形として徐に眼前に現れた。医学者の口から何の躊躇もなく実験を正当化する「他の多くの人間のため」との言葉が飛び出すが、マイケル・サンデルのトロッコの譬えそのものだ。
彼の詩は、取り上げられ焼かれてしまうので、刑務所内で許された凧揚げの際、詩を書いた紙を付けて糸を切る。獄外から凧を上げる「少女」(なぜかそうだと分る)の存在が彼の心の慰めであり、彼の詩を読んでくれた人である事が確信されている。医学部が来て以来、衰弱して行く尹東柱。凧揚げを許した看守長。その彼は容赦なく囚人を殴る蹴る男として憎まれる。彼が殺された場面が冒頭であり、ミステリー構造を持つ芝居でもある。そして彼のその相矛盾した行動(尹に見せた優しさと囚人への暴力)の真相も明かされる。語り部となるのは殺人事件捜査の主導を要請された新任職員。彼の目で真相を探って行く。読み物としても面白い作品。

人体実験の事は忘れていた。遠藤周作「海と毒薬」を読んだのに。。医学者の唱える「正義」に対し、「なぜその考えは否定されねばならないか」(あるいは許容されて良いのか)、戦争を経験した日本人である私らはこれに答えねばならない。

いつぞやは【8月27日公演中止】

いつぞやは【8月27日公演中止】

シス・カンパニー

シアタートラム(東京都)

2023/08/26 (土) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

加藤拓也なという存在をあの時注目して良かった・・あれも観れたしこれも観れた。素直に喜んでる自分がいるのは確か。
KAAT、トラム、KAAT、トラムと観て、同じシスカンパニーの翻訳劇、芸劇のやつも観たが、トラムでの(前回と同じく平仮名だけのタイトルの)今作は、(同じく平原テツ氏が主役で同じく「病気になった人」を演じた)岸田賞受賞した「ドードー」と重なり、この作品のこの役には徐々に、徐々に見えて来たという事はあった。
「平気そうに振る舞う」様子が、前やった役(その時は統合失調症)の風情に通じ、本人もその役から離れようと意識しているように終始見えていた(観客の勝手な想像だが)。そう見えながらも芝居は目に嬉しく飲み込みやすく、見事に演じられたと言えるが、窪田正孝氏降板と当日知った(窪田氏がキャストだった事も..)事でどうしても「もしも・・だったら」は付きまとった。
さてよく作られた芝居である。ストーリーだけを取り出せばごくシンプルである。直球のメッセージを、独特な演出で抑制し、(過去作のような)淡泊さ精密さを印象づけるが、一人の人の「病~死」に直面する人間の感情は否応なくエッジが立つ。
彼らの関係性の中に作者は反目や利益相反といった複雑な要素を入れていない。演劇をやるために集まっていた仲である。どなたかが「実話という話も?」と書かれていたが、それもあり得る。死者に献げているかのような物語である。
死に直面した旧知の者との対面の仕方に戸惑う姿に、ドラマの片鱗がある。ある場面、その心情を(表情の見えない最後列からも)体全体でありありと伝えて来て唸った夏帆の存在感。また終盤、次に何を言ったかが分かる残影の鈴木杏(脚本のうまさも)。最後の日を共に送る事になったらしい鈴木からの電話を取り、むせび泣く煩い男友達(今井隆文)の嘘の無さ。

ああこれは窪田氏を想定した選曲だなと思ったのは、平原が二度歌う、たまの「今日人類が初めて...」だ。窪田氏の声が脳内に甦り、ああこのギャップ感は美味しかったろう、本人に歌わせたかっただろうなと想像された。

リビング・ダイニング・キッチン

リビング・ダイニング・キッチン

ウンゲツィーファ

アトリエ春風舎(東京都)

2023/09/14 (木) ~ 2023/09/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

栗★兎ズというよくわからない名前の時代に一度観て、細ペンで手描きのチラシから予想される現代口語演劇でも、構造のしっかりした動的なドラマを書くな、という印象だった。
6,7年は経ったか、これもよくわからないユニット名となっての本作も中々演劇的な<中味>は豊富で、アトリエ春風舎を活用した舞台美術(作り込み系)と隠喩的な小道具を媒介しつつの風通しの良いテンポ感ある劇展開。身に詰まされる家族の風景がなぞられている。
短い上演時間だが濃い時間であった。

ネタバレBOX

子育て初期の夫婦の「あるある」が描かれる。夫婦のガチな不満のぶつけ合いが「赤子を大切に思うゆえだなあ」なんて感慨を通り越して修羅場を作っている。そのディテイルがその経験の無い自分には面白い。不眠で朦朧とした夫ないし妻の脳内を再現した奇妙なシーンも挟まる。夫婦二人に、夫の兄が加わる三人芝居。「演劇やってる」ヤクザな兄貴との設定だが(最後は和解っぽくなる)、乳児を頂点とした三角形の濃密空間に現れた「異物」感が際立つのは、既に夫婦だけの濃密な居住空間に自分が漬かっているから。
演劇をやってる、という彼の現在地は殆ど語られないが、暫く姿を見せなかった不肖の家族である事、病院に居る父に会いに来たらしい事(それに付き合ってくれと言われる)は見えていて、彼にとって節目を迎えたのが演劇の道が順調だからなのか、どうなのか、本当はそこは重要では、と思う所でもあるが、詳らかにはしていない。
彼は弟の赤子誕生の祝いだと、しわになった祝儀袋で渡す、それを頑なにやんわり拒み、祝儀袋だけ(気持ちだけ)弟は受け取り、3万程入れて後で妻に渡すくだりもある。小さい頃から兄は何でもできる優秀な人で、親からも将来を嘱望されてたのに演劇と出会ってしまった・・厳格な父との家を飛び出す直前のやり取りが回想式に挟まれる。
ただその兄が夫婦を訪問してややバツが悪い中、ちょっと煙草吸っていい?と言ってベランダに出る。中から恨めし気にそれを見る妻、肉親として兄に慮ってる弟は自分を「何もできない」と自認し、組織に入って身を固めるしかないと考えている風。根底にある謙虚さが子育てでの夫婦のやり取りにも表れているが、真面目さから、またコンプレックスから「働いてる自分」を認めても欲しく、妻の立場を慮り切れない限界を見せる。
さて兄であるが、赤子を育てている家庭にやってきてわざわざ煙草を吸う所など無神経な人?というレッテルが最初に貼られてしまうのが傷であった。後でイメージを挽回していく逆の伏線かもだが、元々エリートな兄のキャラからは少し離れていた。例えば「これ無害煙草」とかあっても良かった。
律儀で気の回る弟は、明日は一日中赤子を見る(妻を一日解放してあげる)と妻に約束した直後にも関わらず、兄の事情に寄り添い、妻にも「明日親父の病院に一緒に行かないか」と誘って鎮火した火が再びミシミシ燃え始める、という展開もあり。「兄貴から(もらった)」と祝儀袋を渡された妻は、しばし会話をしてから、「これ貴方が入れたでしょ」と図星を突く。「私これ渡されたよ」と皺になった一万円札一枚を見せる。そんなこんなを経て、外界を持ち込む兄に対し、妻は何をきっかけにか融解し、「だってお兄さんも家族でしょ」と言われる。芝居は泣く赤子に三人がよしよしば~をやるカットで終わるが、自分としては「繋がっている」証を何か残し、最後は夫婦二人だけで終わってほしかったな、と思った。
『会議』『街角の事件』交互公演

『会議』『街角の事件』交互公演

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2023/09/06 (水) ~ 2023/09/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

別役づくしシリーズ最後のvol.4にして漸く観劇。「会議」「街角の事件」両作とも観ることができた。
別役戯曲の中でも陰影の深い部類の作品で、ナンセンスが滑稽さにも怖ろしげな感覚にも近接する。「会議」は新国立研修所の発表を面白く観ていて、周囲が暗闇に飲まれる劇場の作りが味方していたと記憶。今回は空間的に限界あるシアターグリーンであったが、黒をうまく用いていた。
以前P-Farmという新人育成公演で別役作品(二人芝居×2作品)を観た時の磯貝誠氏(別役作品の特異な雰囲気を体現したような)が「会議」の問題の人物に扮した。(その時の新人の一人は今回出演もしていたが、もう一人は退団した模様である。)
Pカンパニーも、別役作品の上演主体として一目おくべし。

オペラ『浮かれのひょう六機織唄』新演出

オペラ『浮かれのひょう六機織唄』新演出

オペラシアターこんにゃく座

俳優座劇場(東京都)

2023/09/07 (木) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

こんにゃく座の<古老>と言える大石氏演出なる本作は、林光作曲の古い作品のリバイバル。さてどんなものか、恐る恐る見始めたが、実のところ冒頭から暫くは「役柄」の演技に厳しいものがあり、これが二時間続くのか・・と重い気分になりかけたのだったが、やがて物語の筋が見え始める。休憩挟んだ後半、機織娘のお糸、その商家で働く娘お縫、特に前者の風情に胸を突かれるものがある。絵に描いたような展開だが、シンプルな民話の力強さ。歌が昇華するこんにゃく座オペラらしいラストには久々に制御しがたい涙が流れた。

ワーニャ伯父さん

ワーニャ伯父さん

ハツビロコウ

シアター711(東京都)

2023/09/05 (火) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「かもめ」そして本作とチェーホフ作品も見事に噛み砕いて舞台化させた。イプセン作品も然りだがこのユニットが描くと「どういう話か」がよく判る。ハツビロコウの解釈による作品の要諦が明確なのだろう。ワーニャの「苛立ち」と「絶望」は犬も食わない男やもめの愚痴と捨て置かれるようなものだ。現代にだって履いて捨てる程ある。
だが彼はその情熱を妹の旦那の学問的成功へ、遠方(地方)から家計(モスクワに住む教授夫妻)を支える事を通じて注いだ。その若き日の情熱が純粋であったゆえに?今の絶望がある、とすれば彼にはまだ誇れるものがあると私達には見えたりもするのであるが・・。
再出発するには遅いワーニャの窮地に、彼の姪である教授夫妻の娘は自分の実らぬ恋を重ね合わせ、生きて行くしかない、我慢して生きるしかないと慰める。天国に行けば神様が褒めて下さる・・と。彼は何を苛立ち、何故自分を嘆いているのか、もっと広い問いとして考えると、突き詰めた所に世の理不尽、現世的な成功と没落がある。劇の中に救いは、ない。

七曲り喫茶紫苑

七曲り喫茶紫苑

劇団芝居屋

劇場MOMO(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像にて鑑賞。だいぶ間が空いたが以前劇場で目にした時も変わらぬ市井の中の庶民のドラマを、人の行き交う商店街のとある店を舞台に描く。前回観た作品は「過去」(史実)から現在を見通す視線がアイテムとして仕込まれていたが、今作では商店街を含む地域の再開発で立ち退き期日が迫る中、振り返らざるを得ない「過去」を語り、断絶の後の未来を見通そうとする人々を描いている。
ノスタルジックに寄ったドラマではあるが、多様な登場人物が絡む市井の風景がナチュラルで、「覗く」演劇の愉しみをディテールの豊かな会話が支えていた。筆致の確かさ。

地上の骨

地上の骨

劇団アンパサンド

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2023/09/01 (金) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

観劇は二作目か(この所記憶力が..)。
事務所が舞台、が常套のよう。いかにも「職場」な会話の中に微妙に人間関係、位置関係が浮かぶ機微な台詞が「出来事」を機に徐々に狂騒へと突っ走る。質感は違うがやはり「ほりぶん」に通じるものを(私が勝手にだが)見た。
(ほりぶんの)川上友里子らの絶叫芝居のポテンシャルは、今作では黒田大輔が主に担う(何で?という位に唾液を噴き涎を垂らす)。予測を裏切るまさかな展開が作風と言って良いかも。前回観たのもそうであったが当該事件により、人が次々と死ぬ。破滅が局所的に訪れるの図である。
一方ほりぶんやナカゴーでは、人は絶対に死なない。どんな危機も心意気で跳ねのける、という方である。一旦倒れたのがむっくり起きてガーガー言い続けるタフさの方である。両者のに感じた質の違いはここか。。
そんな風に反芻してると頗る懐かしさに見舞われるが、若いアンパサンド固有の世界の進化も見て行きたい、と思わせる舞台だった。

台所のエレクトラ

台所のエレクトラ

清流劇場

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/08/31 (木) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

前知識ゼロだったが「観て正解」、とつい自分を褒めた。
関西らしい人情劇な場面が、この題材にして出現するというのも趣きである。
生演奏で歌もあり、笑いも勿論あり、剣呑な緊迫シーンもあって、充実した舞台である。古典の翻案というカテゴリーからは予想のつかない、大樹に依存しない自立した(オリジナルに匹敵する)作品になっている。

親の顔が見たい

親の顔が見たい

劇団昴

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

色んな「親の顔」を観て来るとついその比較を語りたくなるが、まずは封印して...。
畑澤氏が書き下ろした昴の初演は15年前、狭小な小屋で上演されたとの事。私が観たTV放映はNHKの特設ステージなので幾分広く(演る方も観る方も)新劇モードに?(録画画像観賞を最後まで完遂できなかった理由の一つと記憶するので..)今回は芸劇イーストで十分な広さでの「親顔」である。これが私立中学の一室らしさに十分で、冒頭から来訪者が席を選んで着座する動きからしてナチュラルなのは強みである。芝居はリアリズムに寄っているが、「中学生の自殺」ではあっても余裕を醸す序盤から、証言により示される自殺者といじめたグループの実態を「飲ませる」人物らの演技が、秀逸で、地味に迫力があった。
終盤、私の記憶にある台詞でないものが混じっていた。省略気味な台詞に判りやすい説明が補足され、台詞の語尾の言葉も会話の流れのニュアンスを変える変更がなされていた、というのが私の印象である。(記憶の新しい内にテキストを見てみたいが・・) 
その結果、最後に「改心する」「厳粛になる」ものの、保護者それぞれのトーンは異なり、必ずしも態度を明確にせずにおいた(作り手に委ねた)畑澤氏のテキストが、整理されたのでは?と思える所があった。特に最後に残るいじめっ子グループの中心人物の両親が、「生きていかなきゃ」と、「反省」以上に大事な事のために未来を探って行く表明をして、幕を閉じる。すなわち決定的にシニシズムに振り切ったラストである。
この戯曲で難しいのは、序盤の緩い認識=「事実」を問題視しない・あるいは事実とは認めない態度が、なにゆえ取れているのか、そしてそこから「決定的に認めざるを得ない」瞬間をどこで迎えるのか・・微妙~に選択の余地があることだ。
ら「本当の事だとは思わなかった」という顔で、最後はしおらしくなる同窓会会長の夫婦は、「偽善」の要素が(過去見たどのバージョンでも)残ってしまう。うまく逃げ切ったな、と思える。「本当だとは思わなかった」事実が、この夫婦の態度の全てをエクスキューズしきれないにも関わらず、いかにもイノセントな顔で出て行く。その齟齬の遠因は、夫人が序盤で読まれる自殺生徒の「遺書」に目の色を変え、焼いたり食べたりしている事。真実を確認する姿勢とは対極にあったにも関わらず、覆さなくなった局面で、「ええ?じゃ、これって本当だったの?」と言う。(ポストトークでこれを演じた女優と夫役の俳優の話を聞くとどうやらこの夫婦をイノセントで通しているらしい。無論演じる側はその主観に立って演じる訳だろうが、その人物の主観に偽善が滲む事を批評的に演じる事もできる所、イノセントさを見せると前のことを覚えてられない観客は「感動」に心が傾くが、僅かながらであれどこか釈然としないものも残るはずだ。「知らない」事は強みと言われるが「知らなかった」事も同じく強みになる。鋭い嗅覚で有利な立ち位置に立つための振る舞いができる人間、それがあの夫人である、とすると真実スッキリする。)
そんの態度にいい気なもんだ、と思う一方、社会的には「下」に属する、自殺した側の、人生と社会の敗者たる位置からは脱し得ないだろう母親の事も、重く残る。
「いい話」にして終えてはならない戯曲だと、毎度思う。

新・ワーグナー家の女

新・ワーグナー家の女

Brave Step 

アトリエ第Q藝術(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

福田善之戯曲の上演。宮本研等が物する歴史劇の範疇で、歴史上の事実が「今」を照射するその事の意味が戯曲の中で言語化される部分が、「時代」を微かに感じさせたが、微かに、であった。ワーグナーを父に持つ女、その娘に当る女が主たる登場人物で、証言と、対話が舞台上の事象として現出し、入り込んだ。
苦労しながらも一人語りの台詞を繰り出す年配女性の目(を中心とする表情)に、非常な既視感を覚えたが、「そういえば出演者は・・」と思い当たったのは観世栄夫であった。(顔が似ている事を特に記す事はないが、あの目の力は中々である。以前一度だけ篠本氏演出の読み芝居で目にしたが真正面では見られなかった。)
芝居は丁寧に作られ、タッチが良い。一つ一つの場面、出番を丁寧に作る。

ロリコンとうさん

ロリコンとうさん

NICE STALKER

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

スズナリで観る事の多い(というか殆ど)NICE STALKERの最初の記憶は同じくロリコンをタイトルに付した作。作中おじさんが「ロリコン魂」に開眼する(自認する)その対象となる役であった白勢女史が、今回も出演というのが楽しみの一つ。同じネタを(非難の目も顧みず)またやるからには余程のこだわりが?というのも一つ。その期待と予測はある意味で裏切られつつも最終的に納得な内容である。

ネタバレBOX

プロトタイプとは未完成の意との事。
初日の客の感想・意見を踏まえて翌日からの本チャンに移行するとの由である。
同じ料金を払った客に「同じものを見せるべきだ」という面を強調する演出家と「芝居は日々進化する、千秋楽まで挑戦し続ける」面を強調するタイプといる。後者ならプロトタイプと敢えて銘打つ必要はないだろう。初日をゲネの回とし、料金設定を変えるパターンは割と一般的だが、今回は呼称をこう変えるだけで概念が変わる。
この「変化の余地」のある回、という観念は役者の「構え」にも影響し「探り」の余地を与えたかむ?と思わなくない。噛みが4箇所ほどあった(別々の俳優の台詞)のはそれかな、等と窺いながら割と冷静に観ていた。
芝居のテンポ自体は序盤から緩め、というかリアリズム演劇のそれになっていたので、噛みが仇してテンポに影響した訳ではないが、もっと折り重なるようなテンポ感が欲しい、という欲求が沸いたのは事実で、2日目以降どうなったかなと、細かい所に意識が行く自分である。

劇中でロリ、を口にするだけで芝居はイロモノチックになるのだが、語られている話は切実で、特殊であるよりむしろ普遍的で、私の中では早々に「ロリ」に限らず、勿論LGBTもだが性愛に限らず、レッテルやカテゴライズといった人がやりたがる知的遊び(シナプス結合)が持つ暴力性という事を思い始めていて、従って終盤で白勢演じる女房(ロリ父の冒頭の述懐によれば「こんな俺を全て受け入れ程よく距離も保ってあげるから結婚してくれと言ってくれたので同居してる妻がいる」という、ドラマのぐるりを構成する(都合の良い)人物と見えなくも無いが白勢氏だけに曰くありげには見えている存在)が、本人がひた隠していた「ロリである事実」をデリカシーなく暴露かつ侮蔑して恥じぬ義兄(持ち前の軽いノリでロリ界隈に顔も出していた本人でもある)に対し、張り手をかます瞬間が、私には頂点だったりした訳であった。
「無理解」「勘違い」の象徴でもある義兄は、金に明かして孤独を埋めがちな妻の気持ちも顧みず、好き放題風俗に通いづめという憎めないキャラながら、結局三下り半を渡される事で「裁き」は一応為される格好である。
「小さき存在を愛でる」気持ちと、小児を対象とする性的関心との間はグラデーションに思える。軍隊等の閉じた世界で同性同士の性的関係が多いのは「たまたま性的志向を同じくする人が集まった」のでない事は自明で、統計的事実、とすれば、何らかの「制約」が小児への性目線を育てる、あるいは早熟な小児との出会いで目覚める(今作で取り上げられていた)、等による変化が起きたと考えられ、その観点はLGBT(性的マイノリティ)を忌避する人たちが法的サポートや平等化を拒む論拠にもなっていそうだ。
だが、環境や体験によって不可逆に変化する、という事はあり得る、と考える。そして人間が子孫を残すためだけに存在する、との思想でも持たぬ限り「子を産めるカップル」である事だけが市民権の条件だなどと言えないだけでなく、ある形態のカップル(あるいはまたはグループ、共同体だったり)が、下等だとする認識にも瑕疵がある(矯正する必要もない)のであり、「人に迷惑を掛けること」以外全て自由との基本倫理が参照される。
(もっとも日本では、よくドラマにも出て来るが間違った事はしていないが世の趨勢が許さない場合にその態度が家族、とりわけ将来のある子供に〈迷惑をかけてしまう〉事で伴侶に泣きつかれ正義を諦めるというパターン、これは日本社会の断面そのものであり、あろう事か正義を貫こうとする父が無知、独善的と描かれる事が多いのである。敗北の美学を描くなら「負け」の自覚があるからまだしもだが、結局日本のドラマでこの局面を打開するのは当事者本人の意志ではなく外的な変化だったりする。こうして「抗う」美学は衰退の一途という訳である。)
この芝居では大きな葛藤と小さな抗いが描かれている。話が大仰になるが、ナチスドイツでは皆がさして問題ない、または不要につき排除も致し方なしと思われがちな存在の抹殺を許し、以後は抗う理由を失くした。日本は「汚染水」と呼んではならぬ、なんてどこかの独裁国家と見誤る言論統制がいとも簡単に成立してしまう国柄。国情が変化するスピードはドイツどころでないかもしれぬ。
愛について語るときは静かにしてくれ

愛について語るときは静かにしてくれ

コンプソンズ

OFF OFFシアター(東京都)

2023/08/02 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

配信で鑑賞。唸る。

現象グラデーション

現象グラデーション

Oi-SCALE

サイスタジオコモネAスタジオ(東京都)

2023/08/28 (月) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久々二度目のこの劇団。前回観た時から5年は経っていそうだがその時の芝居は独特な設えであった。本人にしか分からない、だが確かにそこにありそうな、いや感覚としてはここに間違いなくある甘く酸っぱい郷愁のような、時間の儚さ、言わばクオリアとしての景色を焼きつけたい「願望」だけは伝わって来るそんな感触で(芝居としては反則なのだがもうそうするしか手がない的な、悪く言えば傍若無人なそれであった)。
その内波間に消えゆくものか等と勝手な残酷な想像をしていたのだがしぶとく作り続けている模様で前回と同じ久々のコモネスタジオを懐かしく訪問した。
前の観劇でも感じた特徴、映像的なアプローチ、これは手法というより「焼き付けたい」願望の発露が言葉に、場面の切り取り方に、作品そのものに窺える作りである。ドラマというより詩の劇と名付けたくなる。全体で1時間20分、3編の短編は悪くなかった。が、断片なのには違いなく、詩集を読むと同じく2、3編読んでもまだ感性の腹がくちくなるまで、もう少し観たい気にさせる。

多彩な作品が拝めるならセット価格(2回セットと3回セットとある)はリーズナブルに思うが、短編6+中編1を3・3・1でコンプリートするものの、組合せはバラバラなので、これは全部乗せよりも幾つか乗せに誘導するプログラムになっている。(コンプリートを想定するなら、組合せを固定したA、B、Cプログラムとするのが常道かと。(配信があれば・・他作品を観たい人は多いのではないか。)

「真っ赤なお鼻」の放課後

「真っ赤なお鼻」の放課後

劇団銅鑼

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2023/08/23 (水) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

そう来たか・・うむ、まずまずである。具体的な「夢」を見つけた主人公。夢を見つけるために進学を目指す友人たち。明らかにラッキーな主人公のはずであるが、前途多難な夢である事も知る。だが彼女にとってそれ以上に「師匠」の助手見習いを通して出会った数々から、確かなものを手渡された事、そしてそれは「もらった」事のラッキーさに埋没するより先に、自分の中に変化を起こす本物の「体験」となっている。このリアルを描き出した事がこの作品の核であり魅力であり手柄である。
主人公は母が口を酸っぱく娘に押し付けて来る「安定」に反発していたが、最後は(自分の夢により現実的に近づくために)進学を選ぶというラスト。ジブリの「耳をすませば」の主人公・雫が己への挑戦(物語を書くこと)を終え、一受験生に戻る風景が重なるが、この舞台の少女は不確定な現実の中で、確かな手応えを掴みつつある、という感触を残す。立ち止まる事の大切さを教える。芝居はクラウンの芸披露も含めて軽妙な一編にまとまっていた。

ある転換で、鷲崎氏の照明が今回も何気に心憎い場面を作っていた。(これは照明家からの提案だろうか、それとも演出・・と気になる。)

アフタートークでは演劇教育界では知られたお人と演出大谷氏との対談が示唆深く面白かったが割愛。そこで冒頭「感想」として語った「自然な語り(声を張らない)がよかった」は特徴の一つでもある。師匠のクラウンと主人公が運転席と助手席で、運転上の手間を挟みつつ、心の赴く時と間で発語される会話が、殊更に攻め立てて来ない言葉が、ひたひた迫って来る。劇中のオイシイ場面(名場面)と言える。

きいて、はなさないで

きいて、はなさないで

オイスターズ

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/24 (木) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

平塚氏の出るオイスターズを見ると、ナンセンスな劇の要をやはりうまくこなして回している。出ないオイスターズも観てきたが今は人材不足か・・と余計なお世話な想像をする。別役作品と同様、この人の不条理系作品も、役者に求める技量と負荷が一定程度大きい。
中学生の男子役が4人、変なカツラを頭に乗せて特徴づけているが、正に中学生こそバカでアホで奇っ態な所で一本筋が通っている「不条理」と呼ぶに相応しい世界、だったなと思い出させる所があって、ナンセンスな展開の中にも懐かしさがある。でもって、吐かれた言葉が結果的に皮肉があったりする。この絶妙なバランスがこの芝居に不思議な深みを与えてもいる。良い芝居だ・・オイスターズにこの感想?とは思うが正直な感想。笑って面白かったし、良かった。

迷い羊はつきあかりに

迷い羊はつきあかりに

劇団ロオル

小劇場 楽園(東京都)

2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

数年前に知った(この役者が書いて上演してんの?へー)劇団の情報に行き当たり漸く目にしたのが昨年の一人芝居オムニバス。言わば番外編的な公演だったが今回は一編の作品だ。何か原作があってリーディングをやって、朗読劇風で・・といった前振りが若干頭にあっての観劇。独特の語りに吸い込まれ、最後まで連れて行かれた。
主人公は自分が書きつけた日記を読むように語るが、ヒロインと言える女性(の未来の存在)、他の役も地文を語る場面が時折差し挟まれる。台詞の場面と、語りの部分の分量比といい、文体といい、センスがある。都会に出てきた純情青年の青春の体験が、何か人生の本質を穿つもののような、そのように語られる事で何かが報われるような、あのほろ苦い時間がややセピア系に寄せた照明の下、再現されていた。中心となる男と女の距離感=関係性はありありと想像され、他の人物も同様、その微妙な距離感の表現が絶妙でそこにも魅入らせるものがある。
秘かな才能がどの方向へと開かれて行くのか、密かな楽しみ。

ネタバレBOX

一つ、最後の主宰の挨拶で口にしていた、○○プロジェクトと何とかとの合同企画、といった説明は、パンフにもウェブにも載っておらず、紹介するならきちんと文字にも記す等しておく事とセットで、紹介してほしかった。(その主体が劇団にとって「他者」なら、記載の無い事を詫びる事になるだろうし、「自身」(自分が立ち上げたに等しいプロジェクト)なら「パンフ等に記してはいないが」と断って説明する、くらいの丁寧さがあっていい(はず)。
何か咄嗟に口をついて出たような、防御に出たような発言に聞こえたのは察しが良すぎだろうか。全くの誤解だろうか。それともプロジェクト的な動きを考えていてネーミングを含めて未公表だったが、一定の手応えを得たので「実はこうだった」と言いたくなった、のか(これは好意的解釈)。。
(語られる言葉は芝居の外であっても大事だと考えるので敢えて記した。)

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