Lost in Wonderlandが投票した舞台芸術アワード!

2018年度 1-9位と総評
福島三部作 第一部「1961年:夜に昇る太陽」

1

福島三部作 第一部「1961年:夜に昇る太陽」

DULL-COLORED POP

やっと、観劇。なんだろう。観ていて、どこか、もやもやした悲しさのような、もどかしさのような、「未来はこうなってしまった」と声にならない声で心の中で何度も呟いてしまった。
あの時代の人々からしたら観劇している私は未来の人間なのか。





「故郷が無くなる」という言葉が今作で出てきた。
青年が都会で生きていきたいと決心して、家族へ伝える事に関して。
そして、この言葉は50年後、もっと、大きな意味を持って、「現実」の言葉となってしまった。反芻すれば、するほどぞくっとする谷 賢一さんのホン。


家で、フライヤー整理して「ああ、成る程。」あの場面、好きだなと感じたんだった。
「未来」を語る忠の台詞が蘇る。「何もない」自分たちの故郷を、明るい未来の故郷にしようと
小さな、でも、夢をもって語っていた場面。
桜の花は咲いたのだろうか。
咲いたとしても、桜並木の下を歩くことがもう、出来ない。
だれもが、未来を見ていたはず。


私でさえ、生まれる前の時代の話。1961年。
あの時、それぞれ自分の信じる正義を掲げて、「前」に進もうとしていた。
結果としての、福島を誰も想像すらしてない。
誰しもが、想像できないと思う。
誰だって、もっと、より良い未来を生きたいと思うから。


劇中のパワーバランスがとても、明確だった。
「家族」という社会のバランスや
「権力」という世界のバランス、「企業」や、「政治」、「国家」といった
それぞれの点と、点のつながりの中でのパワーバランスが
いやらしいほど、明確に伝わる。


「昔」の話と括れず、

劇中の様々な台詞が『1961年』と『2011年』そして、『2018年』を結びつけるような、それぞれに通じる台詞のように語られる。



印象に残った台詞で「国は福島を助けない」という言葉。

1961年においても、2018年においても、この台詞は重い。



起こった「悪」の事柄に、だれが責任を持つのだろうか。
昔も、今も、大きな組織であればあるほど、逃げるような気がした。


「悲しみ」は勿論感じる。
でも、その「悲しみ」は部外者である私にはリアルでは無い。
では、何故、もやもやと沸き起こるものがあるのか。


「怒り」のような、でも、その「怒り」に対して
何も行動しない自分の「諦め」にもやもやするのだろうか。
私は知っている。
2011年3月11日を。
でも、私は「福島」に対して、何もしてない。
そして、「福島」を知らない。
この公演は「福島」を知るために、必要なものなんだと感じ始めてる。


「知る」ために、必要なんだと。

アンチカンポー・オペレーション

2

アンチカンポー・オペレーション

フジオモラル

物凄くはじけて、笑って、ドキドキして、めちゃくちゃ面白かった。

丁寧に、丁寧に、面白さを詰め込んで、あの時間を爆発させてくれた2時間。

久々、敢えて「犬と串」観た!!と思った。
モラルさんのホンは、根底に「好きなことをしていいんだよ!がんばっていいんだよ!」って色んな変化球で伝えてくれると私は感じていて。今回、そのベースには、モラルさん自身に大きな応援をいつも送っていた人の存在があったのかなと勝手に思ってしまった。「頑張って!好きなこと、頑張ってやりなさい。いつも、応援してるよ」って。だから、あんなに面白いだって、今作観ながら考えた。はちゃめちゃなギャグが詰め込まれて、本当、やばい、2時間。

今回の俳優の皆様も、いい意味で飛んでます。久々に鈴木アメリさんの演技「ああ、反則だよおおお、その表情!!!」

あのスピード感と、重ねていくギャグに、ほんと、この座組はこの公演でしかありえないんだなと痛感。そして、以前風琴工房で拝見した田島亮さんが男前さんにして、結構ずるい面白さを発動してた。藤尾勘太郎さんが、また、今作、随所に色気と哀愁をだしまくっていて、ラスト近くの場面ほんと、このままその瞬間で永遠に止まってと思った。女優陣もかなり、振り切れていて観ていて、気持ちが良かった。さらば、変態(とも)よ。

美しいラストとともに、

赤い、紙吹雪が舞台上で舞い踊っていた。

終わりだけど

始まりでもある。

色んな人がこの戯曲はモラルさんから藤尾さんへのラブレターだと語っていた。確かにそうだとおもう。そして、こんな凄いラブレターを第三者である私が観てしまったということに改めて、どきどきしてしまう。この時間を共有できたことは、ある意味、奇跡でもある。私は以前犬と串「プラトニック・ギャグ」で号泣したことがある。犬と串で、泣くなんて無いと思っていた私は衝撃的だった。そして、フジオモラルでも泣いてしまった。ホン以外のバックボーンでも、堪えることが個人的に出来ず、恥ずかしながらお二人の前で泣いてしまった。くそっ、こんな凄い二人が破局するなんて、神様は気が利かねーなと思う。でも、事実は事実として、受け入れないと前には進めない。
愛しかない舞台だった。

よろしくマイマザー

3

よろしくマイマザー

劇団晴天

https://blogs.yahoo.co.jp/suwansong2014/37167008.html

アトムが来た日

4

アトムが来た日

serial number(風琴工房改め)

serialnumber 「アトムが来た日」@下北沢ザ・スズナリ - すきなものあれこれ・・・
https://blogs.yahoo.co.jp/suwansong2014/37242526.html

ブロウクン・コンソート

5

ブロウクン・コンソート

パラドックス定数

予想外に落涙。


「悪」を「悪」と認識しない様々な形を目の当たりした凡人の私はどうしたらよいのだろうか。目の前で大騒ぎしている人相の悪い男たちが悪いヤツだけど、かといって嫌いか?と問われると即答できない。


今作、拳銃の密造をしている町工場の兄・宗谷佳朗(小野ゆたかさん)と弟・宗谷陽彰(井内勇希さん)の物語がものすごく濃密で、心震えた。


そして、自分としては念願だった渡辺芳博さん出演。もう、思い残すことは無い。


テイストは異なるが、ふと、パラドックス定数で落涙した感覚と昔、タイタニックを見て、船上の楽団の方々の最後の場面を見てその生きざまに涙したのを思いだした。
例えばただ「かっこいい」というのではなくそこに含んだ狂気の視線や、諦めの背中だったり、見えない慈しみの気持ちだったり。
登場人物は
一般的概念で言うと
「正義」=「警察」


「悪」=「やくざ」
という大きなフィールドに分かれている。
そこに、やくざから拳銃の密造を依頼され、知的障害の兄と一緒に工場を営む弟。
そこに、「殺し屋」という「本業」を持つ副業で大学の講師をしている男・永山由之(生津徹さん)が絡んでくる。


警察は筬島隆雄(森田ガンツさん)、初野柊弥(加藤敦さん)。
やくざは智北賢三(渡辺芳博さん)、抜海一巳(今里真さん)。


各出演者の技量があるのは当然なのだが、今作、
本当にメカラウロコではないが、何か「ぽろっ」と私の中の
パラドックス定数への思い込みをいい意味ではがしてくれたような気がした。






永山由之(生津徹さん)の「殺し屋」でありながら、副業で大学の講師も務める男。
生い立ちに闇を抱えていて実母を殺し、そして、殺し屋をしている。
「殺す」ことには罪悪感を感じない。
「殺す」ことは「特別」なことで無いのが、この男の心理なのだろうか?


筬島隆雄(森田ガンツさん)は以前、七里ガ浜オールスターズの公演「オーラスラインや、パラドックス定数では「深海 大戦争(2016)」で拝見した事があった。
ズルい嫌なじじいの匂いがぷんぷんして、凄く良かった。
初野柊弥(加藤敦さん)某テーブルジョークでの姿からは想像できない硬派な(最初は)人間だった。
でも、このヒトも心の中では上に上がりたいという思いを持っていた。
でも、あんな最後だったのが、言い方は悪いがきっと、「運がない」人だっただろう。


「向上心」とか「出世欲」とか、「誰かより俺が上だ」って思うことが
根底にどろどろあって、それが、10%出してるのか、16000%出してるのか、
そこの違いはあるが、基本、みんなおんなじ。
そう、思ってる。
でも、そこで成り上がろうとする人間と
「俺は力がない」ってあきらめる人間と、平均値で何事無く、暮らせればいいんじゃないかと思う人間とか、色々いる。


抜海一巳(今里真さん)は、やくざに向いていたのかな?
結果、やくざになり切れなかった人だったのかな・・。
でも、やはり、「目的」のために行動出来てしまったから、悪党であることには
変わりないかとおもう。
例えば
自分を慕う宗谷佳朗(小野ゆたかさん)を自分の目的のために薬漬けにするとか
薬物中毒の怖さは本当に人間を簡単に壊すので、その方法を用いたことなどがそう思わせた。
薬は心身とも、そして、人間の尊厳も奪うもの。



物語の中盤くらいに、やくざである智北賢三(渡辺芳博さん)と、宗谷佳朗(小野ゆたかさん)と宗谷陽彰(井内勇希さん)が追いかけっこして、ちょっと、ふざけっこしてはしゃぐ場面があって、そこが後の結末につながると思うと
観終わって、何とも言えない悲しい場面に思えて仕方がなかった。
智北賢三(渡辺芳博さん)が13年前自分の舎弟に売られて刑務所に入っていて、出所後
きっと、あの瞬間がもしかしたら、あの人が少し安らいだ時間を過ごしたんじゃないのかなと思った。
劇中のバックボーンがきちんと把握できてないのだが
智北賢三(渡辺芳博さん)と宗谷陽彰(井内勇希さん)は友達?幼なじみ?年齢設定がわからないので憶測なのだが、二人の間には温かい空気があった。


ただ、智北賢三(渡辺芳博さん)の眼は狂ってる眼だった。
獲物がいたら、確実に仕留める。
笑ってる笑顔も、笑顔で無い。眼がヒトを見ていないから。
ヒトを信用しようとしない眼だから。




宗谷佳朗(小野ゆたかさん)と宗谷陽彰(井内勇希さん)の最後の方の場面も
行き場のない憤りを感じて、苦しく、悲しい。
なにか、そこまでに至る二人の人生が見えたような気がした。
宗谷佳朗(小野ゆたかさん)での演技が、素敵だった。
彼は、他者からみられることを想像以上に敏感に感じ取っているんだと思った。
弟の宗谷陽彰(井内勇希さん)は事あるごとに、「(兄は)そういったことはわからない(概念がもともとない)」というが、果たしてそうだったのだろうか。
障碍者である彼はそのフィルターがあるにしても、ほかの人と大差なく
「自分の意志」をきちんともっていたのではないかとおもった。
弟の宗谷陽彰(井内勇希さん)のやり場の無い、障碍者を身内に持つ者の不平・不満・不安など現実としての「負」の思いが漂う。
国や周りは助けてくれない、そのことで手いっぱいで自分の存在価値が揺らぐ
「自分の存在価値を認めてくれる」ことに飢える。
毎日、毎日、限られたコミニケーションの中、どこが終わりなのかわからない。


ただ、自分の価値が具現化する「精密機械」としての「拳銃」を作ることに
喜びを見出すしかなかった。
どうしたらいいんだよと吐出する毎に、後戻りは出来なくなっていた。


皆が「悪」なのだが、生きるためにその道を進むしかなかった。
間違った道だとしても。
破滅への道だとしても。


「生きてて、悪いか。」



Brand new OZAWA mermaid!

6

Brand new OZAWA mermaid!

EPOCH MAN〈エポックマン〉


EPOCH MAN 新作ひとり芝居 小沢道成 『Brand new OZAWA mermaid!』@APOC THEATER
EPOCH MAN 新作ひとり芝居『Brand new OZAWA mermaid!』@APOC THEATER5/6マチネ観劇




内容に触れる文章あります。
































世界観を具現化するのが、俳優とするならば、やはり、小沢道成さんというひとは俳優なんだなと、再認識。


人魚は、この東京に来て幸せだったのだろうか。
いや、人魚だからではなく、「姫子」はあの男に恋して幸せだったのだろうか?

あの男もけして、悪い訳では無い。
ある意味、この時代を生きている人間の線引きの仕方としては
当たり前なのかもそれない。


自分の世界から、異なる世界に「足」を踏み出したのがハッピーエンドに終わるか、否か。
ファンタジーな仮面を被せた物凄くリアルな物語だったのかもしれない。


『Man always sees almost all world through colored glasses of feeling, and the outside world depends on the color of the lens, and looks poppy darkly.』
(人間はほとんど常に感情の色めがねを通して、世界を見るものでそのレンズの色しだいで、外界は暗黒にも深紅色にも見えるのです)


The Little Mermaid (人魚姫)
Hans Christian Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)
18歳になるまで、人魚は想像していた。
沢山の文献や、自分のまわりで大人になって、「海」の世界以外を
みた人魚の話で・・・。

「おとな」になったら・・・・。
「ここではないどこかへ」いけるようになったら・・・。
「わたし」は「わたし」から少し素敵になるのかもしれない。
「楽しい」ことが起こるかもしれない。

心に抱く沢山のどきどきするものを
きっと、彼女はリュックに詰めて、踏み出したのかもしれない。

「人魚」は「足」を手に入れた。
それは、ある意味、彼女の「自信」にもつながったのかもしれない。

私はナニを携えて生きてイケるのだろうか?と観ながら、少し、考える。
平凡な日常を過ごし、特異稀な才能がある訳でなく
美しく、お金持ちな訳でもない。

しかし、他者から見たら、小さな自信も、当事者にとっては
大きな拠り所となる。

多くの情報が渦巻く現代の中で
自分の持つべきものをいかに見つける事が出来るか
感じる事が出来るか、そういった気持ちがとても、大事なのだと感じる。

情報過多の波にもまれて
溺れない様に、生きる事が出来るだけで、貴方の人生は素晴らしいのだと・・・。



劇中
姫子は男とのSEXが「つながり」として確認方法に強くなっている
そこには、「愛」としての行為というよりも、
その行為をする「相手」としての「自分」の確立というか、位置づけを
認識出来る行為となっているきがした。

不安で、怖くて
でも、この世界で生きてみたくて
「繋がってる」からきっと、自分はこの世界に居て良いのだという
確認をするために、
毎夜、毎夜、求めてしまったのかもしれない・・。

よく不幸な幼児体験、非行などに走ってしまった人の持つ「
心の空腹感」を埋めるために
性行為をしてしまうというのを何かで読んだ記憶がある。
少し違うのかもしれないが
そんな事も感じた。

姫子は海で助けた男に逢う為に東京へ。
免許証があるから、男が住んでいる街へ。
都会は便利な様で、不便。
「システム」を知らないヒトにとっては不便
所謂「普通のヒト」ではないヒトにとっては不便。

でも、今の世の中は
「大勢」の人にとっての「便利」や、「普通」が
主流をしめてそうでないヒトははじかれてしまう。

そう、劇中の自動改札機のように。
姫子がはじかれてしまうのは、まるで、そんな時代を
表わしてるようにも取れた。


舞台装置の垂直な梯子。
固定でない梯子は見た目より登り降りがキツイ。
でも、そのきつさ故、
足を手に入れて登る筋肉の動きがより、緊張感というか、大事な動作のように
みえた。









初見で観た感想はこうだったが、また観たら
変るのかもしれない。
次の観劇が楽しみです。

再生ミセスフィクションズ2

7

再生ミセスフィクションズ2

Mrs.fictions

「東京につれてって」
作:中嶋康太(Mrs.fictions)
演出:吹原幸太(ポップンマッシュルームチキン野郎)
出演:NPO 法人(ポップンマッシュルームチキン野郎)、廣瀬響乃(ジェットラグ)



前回「再生ミセスフィクションズ」で藤尾勘太郎(当時姦太郎)さん・橘花梨さんの出演で拝見したもの。
この戯曲の小桜ちゃんが堪らなく、好きだ。中嶋さんが描いたこの女性像は、同性の私からも堪らなく可愛い。そして、こんな風に好きな気持ちを持ちたいという憧れの姿。
前回と演出者が異なり、より、少しコミカルというか、くすっと笑える演出があった気がする。最後、あの生き物が〆るとは思わなかった。


「男達だけで踊ろうぜ」
作・演出:中嶋康太(Mrs.fictions)
出演:市原文太郎、一楽(劇団照れ隠し)、古屋敷悠(ECHOES)、村上幸代(ネジマキトカゲ)

こちらも再演との事だが、私は初見のホン。
任侠青春スポーツ物・・・・というくくりで良いのだろうか。
最後はほろっと少しするのだが、総じて、男子の果てしないアホ度数高い
熱量のある芝居で、面白かった。
でも、ある種あの街で、自分たちの行く末があまり、明るく無い事を受け入れながら
高校の3年間、少しでも・・・と思うとちょっと、切ないアホ男子達だなと・・。
嫌いじゃない。
一楽(劇団照れ隠し)(にのまえがく)くん。まさかの15MMで拝見した彼も出演していたので、15MMでのご縁とは演劇の繋がりをより広くするイベントなんだな~と感じたり。


「男達だけで踊ろうぜ2~Dances with Wolves~」
作・演出:中嶋康太(Mrs.fictions)
出演:今村圭佑、岡野康弘(以上、Mrs.fictions)、
 小日向雪、高木健(エンニュイ)、高橋義和(FUKAIPRODUCE羽衣)、森崎健吾、山本周平

ちょっと、ズルいという。
アストラル大総長殿、ズルいよねという・・。
硬派というイメージの応援団の中に兄を探している女の子をめぐっての、愛すべきアホ度数高い、ホン。
振り切っているのに、何故か、中嶋さんのホンは下品にならないのが、不思議。
ミセスフィクションズは、下品にならないんですよね・・。
凄い事だと思う。
「男達シリーズ」で今村さんがお顔を緑のメイク(ろりえを観に行った時のデジャヴかと一瞬思った)にしていて、かなり、美味しい役どころだったように思える。




「上手も下手もないけれど」
2016年度佐藤佐吉賞最優秀脚本賞受賞作
作・演出:中嶋康太(Mrs.fictions) 原案:岡野康弘(Mrs.fictions)
出演:岡野康弘(Mrs.fictions)、豊田可奈子

前回も拝見していたが、やはり、赤ちゃんが居なくなってしまった(おそらく流産)場面は、同性として辛いし、妻:豊田可奈子さんの悲しみが伝わって、落涙。
今回も、最後の方の夫:岡野康弘さんの自身の死期が訪れる過程での老いによる指先の震えなのか、妻を失った悲しみなのか、その表現がぐっときた。
ほんとに、このホンは凄いし、演じるお二人が素敵。


今回もとても、素敵な時間を過ごせた公演でした。
8月の長編も楽しみです。

三文オペラ

8

三文オペラ

KAAT神奈川芸術劇場


金持ちと貧乏人。
劇中、金持ちたちや権力者が行ってる罪より、自分たちの罪の方がまだ、マシと言っていたが、昔も、今も、そうかわらないじゃない?とおもった。
今の日本だって、悪いやつはお金をたんまり稼いで私腹を肥やしてる。劇中乞食たちは行動を起こすが
今の時代はその行動を起こすことが出来にくい時代に感じた。
あと、娼婦と呼ばれる女性たちの心根の温かさ、強さを感じた。
一般的に、虐げられる人達が息づく物語だった。
今作横浜だし、3時間強だし、どうしようかと考えてたが、P席という谷賢一さんのいかした企画、それを安全に各公演遂行する為のKAATの職員の皆様の丁寧な対応。物凄く、素敵だと思った。観に行って良かったです。
今作小角まやさん(アマヤドリ)の出演もあったので、観たいとは思って居た。2役のギャップも良かったし、物凄く、カッコよかった。
あと、ジェニー役の貴城けいさんのお声が素敵だった。
こちらのブログでも感想書いてます。
https://blogs.yahoo.co.jp/suwansong2014/36974803.html

ライラック

9

ライラック

さよなら宇田川町

手放しのHAPPYではないけど、何故か、観終って、少し、ふわわとした感情が残るホン。


河西裕介さんのホンのイメージがキリキリと心が締め付けられる様な痛点があるのだが、今作は少し違った。


人間が持つ「記憶」というワードで4組の物語が進む。




忘れたい・忘れたくない・忘れなくてはいけない・忘れていいよ・・。
私個人はもしも、自身に耐えられない悲しい出来事が起こったら、記憶を消してしまいたいと思う。
悲しい記憶を持ちながら強く、生きる事が出来ないと思うから。
でも、辛くてもヒトはその記憶を持ち続けなくてはいけないのかも。
忘れちゃうと、その人の心から消えちゃうのは一番、悲しい事だけど、私は、ズルいかもしれないけど自分が辛かったら、忘れちゃいたい。


でも、今作は「忘れない」「忘れられない」ヒトだった。

4組の男女
正確には3組と1組。


①妻が脳機能障がいによって、「忘れざるおえなくなった」夫婦。
②心療内科の医師とそこに通院する「患者」の男女・「意識的に忘れようとする」ことがもたらすことや、抱え込む事から他への心のよりどころを見出してしまった。
③男は記憶を蓄積する・想い出は残す。女は記憶をリセットする・想い出は消す。
④物語を紡ぐ男・傍にずっといる女。「忘れられない」二人。



福沢浩介役(泉光典さん)を好きな中江果穂役(外村道子さん)が最終的に
新しい恋人から自分の元に戻ってくるように策をこうじたんではないのかなと
思えた、ラストの場面。
あの心療内科での治療を受けたというのも、フェイクで
実際は「忘れてない」女だったのかもしれない。


医師である広瀬慎次役(山崎カズユキさん)は、ある種わかり易く追い詰められる
ヒトであったので、そことの対比の浜崎優子役(るい乃あゆさん)の宗教と出逢ってからの変化が良かった。
病院もそうだし、宗教もそうだし、「だれか」「なにか」にゆだねる事が
一時、自分の苦しみを「忘れる」一番の方法であるのかもしれない。


事故により、左側を認知できない・記憶の蓄積が出来ない
自分の意図でなく「「忘れざるを 得ない」」妻:中江亜希子役(木村梨恵子さん)とその夫:中江隆雄役(竹内健史さん)。
自分としては、このワードがきつかった。特に、最後、妊娠を告げる場面。


自分がきちんと「お母さん」になる事が出来るのか。
こんな足りてない自分で子供が可哀想ではないか。
一緒にいる夫に対しても申し訳ない。
自分は存在の意味があるのか。




もしも、私が劇中の妻の立場であるなら
どうしただろう。
もしかすると、妊娠の事を伝えず、中絶などの選択をするのかもしれない。
夫に告げずに。


そして、物語を紡ぐ男と、傍にいる女。
彼女は、もう、居ない。
ただ、ただ、男の中には居る。
ヒトはその人の事を忘れた時が
本当に死ぬときという。


だから、その女は死んでいない。
男の「記憶」の中で生きている。
その姿は、この物語を書いた作家の事かもしれないし、そうでないのかもしれない。


観終って、「忘れない」って事、今一度考える。
ライラックの花言葉で「想い出」というのがある。
もしも、このホンを書いた人が居なくなっても、私は、覚えておきたいと思う。多分、私の方が先に死んじゃうとは思うけど。




限られた観劇数なので、沢山観る事は難しいが、今作の様に作・演出から観に行った芝居で初見の俳優さんを知ることが出来るのも嬉しい。


個人的に中江亜希子役木村梨恵子さんが素敵だった。


もう一度、観たいなとおもう。劇中の様々なシチュエーションは、当事者になったらキツイものかもしれないけど、何故だか分からないけど、「傍にいる安心」というか、それだけで、幸せな感情って人間にはあるんだと思った。

総評

劇団の解散や、休止など耳にすることが多かった一年だった。
表現を続けていくという大変さなどをふと考えた。
個人的には原子力にかんする公演を二本、みたことが色々考えるポイントになりました。
娯楽として楽しむ演劇も勿論好きだが
何かを知る・考えるきっかけとなる公演を観ることができたということは
大切なことだと思う。

このページのQRコードです。

拡大