ひょっとこが羽化=何になる?
何故か観るまでずっとカブトムシをイメージしていました。ひょっとこ乱舞は舞うし、蝶のほうが連想するに容易いはずなのに。なんでかなぁ。広田さんがカブトムシっぽいとかそういうイメージを持ってたのかなぁ。それとも男子はそもそもサナギって言えばカブトムシになっちゃうもんなのか?なんでかなぁ。
舞台装置が簡素な分、芝居を観る事に集中出来ました。広い空間で空調が効いていたのもあるけど、後半は体感温度が低くなりました。物語にはそれほど共感したつもりはないのに妙に空虚な切なさのせいで。置いてけぼりな気持ちがそうさせた気がします。再現でかつての姿を確かめようとしたものの、結局は初演版から結構変わっちゃったとの事。比較的最近ひょっとこを観始めた自分は昔の姿が気になったので、その点はちょっと残念だったり。でもまぁ時間が過ぎて関わる人々が移り変わればそれも当然かな。思えばそれも旅の一部だった。
タイトルの通り、はてしない旅の物語。人生を旅に例えるだけならよくありますが、これは更に深かった。物理的な移動だけではなく、状態や状況が移り変わるのもまた旅なのです。「自分という存在は何なのか」「他人は一体何を考えているのか」思惑や思考が答えに行き着こうと何処かへ巡っていく事も旅。この作品を観ながら意味を探すのも旅だった。個人的には「プラスチック・レモン」とセットな感覚もあったり。存在の是非に対するクエストに繋がりを感じたのかも。
先述した様に旅の定義をはてしなくしてそれを念頭に7月の公演を観ればより楽しめるはず。
世界観には息を呑むけれど
高揚と停滞のバックグラウンドにあるものを見つめる視点には
優れたものを感じました。
しかし、単発的な躍動感を感じるシーンや
惹き込まれる想いはあっても
それらのつながり具合が鈍いというか
エンジンが掛かりきれないような感じがあって。
美しい場面や秀逸な演技もけっこうあるのですが
その世界観に耐え得る表現という観点からすると
さらに緻密なお芝居が求められているようにも感じました
モダンダンスを観る心構えで
ひょっとこ2本目観劇。
休憩ナシ2時間30分は、役者も観客も疲れ気味。
後半、役者は噛みまくるし、観客も5名退席。
持ち味のダンスを強化して、ストレートプレイは圧縮したらどうか。
美術の色使いのセンスは
相変わらず素晴らしい。
どうせなら、
もっと“はてしなく”長い物語にしてしまえばよかったのに!(笑)
なんかね、ひたすらギターソロの連続な感じもあったので、さらに丁寧に時間をかけて登場人物たちを描いてもらって、そのむこうに全員の音が重なって生まれるメロディーを聴きたいなあ、と思ったんですよね~
あと、演出的な高さも欲しかった! 路上の話だからというのもあるのだろうけど、ちょっと地面に縛られすぎな印象も。舞台上方にあった美術の階段を、チョウソンハが歩くとことか観たかった…。