公演情報
「骨と十字架」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★★
「骨と十字架」@新国立劇場7月24日マチネ観劇
信じる、解き明かす、知りたい、様々な人間のある意味、自然な感情が絡みあう。もう、野木さんズルいです。あと、もう何回か観たい。反芻する。暗闇にたちこめる灯火が消えた後が切ない。
まず、この劇場で行われる空間を堪能したい。エントランスから、ロビー装飾、ビジュアルデザイン、劇場内のサービス、そして、舞台美術。KAAT「ゴドーを待ちながら」でとても素敵な美術を担当された 乘峯雅寛さんのお名前が今回あったのも、楽しみにしていた。
後方部分の階段の場所も照明のバランスで、まるで懺悔室の一室にみえたり、オベリスクが望める一室であったり。
信仰と探求。こうありたいと願う、でも、解き明かしたい欲求。それぞれが、それぞれの「理想」と「現実」を抱き合わせて、絡みあっていく人間たち。
ある意味、その様子を彼らが絶対と信仰している「神」は「困ったもんだよ」と見ているのかもしれない。
今作、私はパラドックス定数の野木萌葱さんの脚本ということで観劇。
出演の方々は近藤芳正さん以外は初見。TVなどで拝見したことはあるが。
皆さんが素晴らしく、堪らなく良い。
個人的にはリサン役の伊達 暁さんがあの4役の中で少し、色を変える役柄を素敵に演じられていたのが印象に残ってる。
国立劇場ということもあって、券種も色々工夫がある。あと、今回観劇日がぎりぎりで当日券を
電話でオペレーターの方にお願いし、この際電話受付はカード決済のみということでチケットを取った。
カード決済できるのはほんと、便利だと思った。
満足度★★★★★
日本人にはちょっと馴染みにくいテーマと思われるが、実在の人物のわずかなエピソードからこのような劇を構築してしまうこの作家のインスピレーションにいつもながら感心させられる。
徹頭徹尾硬派な会話、修道院の奥の間のような暗くてだだっ広い禁欲的な舞台、抑制的な演技、これらが主人公の心の深淵に入っていくような効果を感じさせた。
配役も役柄にピッタリのように思え、あれが本当に代役か、と思ってしまう。
いろいろ考えると、あの結末しかなかったのではないか。
満足度★★★
欧米の自然科学者は「この世界には神の作られた美しい秩序がある」と信じて困難な課題に立ち向かいます。このテイヤールも神を信じることを力にして表面的には神の教えに反する研究に没頭します。矛盾するようでしない感覚です。…と私は想像しています。追記:テイヤールは神に近づきたいのであって、神になりたいとか神を否定しようとかは決して考えないはずです。…これも私の根拠のない想像。
会話劇としては議論が深まりません。それはこういう演劇では権力側の人間は一段も二段も落ちる人物に設定されているからです。「こんなアホを相手にしてもしょうがない」という雰囲気にして真剣な議論から逃げているのです。
真剣な議論になると進化論そのものを避けることはできません。調べてみるとウィキペディアの「進化論裁判」が実に面白いのです。劇中で言及された「モンキー裁判」は「スコープス裁判(1925年)」として項目立てされています。読んでみると予想の斜め上を行く内容に唖然とします。テネシー州が「反進化論法」を1967年に廃止したのは1957年のスプートニクショックが原因だというのもうまく出来すぎています。
70分+休憩15分+35分は休憩なしで良かったのでは。
満足度★★
鑑賞日2019/07/12 (金) 19:00
タイトな舞台ではあった。実在の人物や事件に題材を取る劇団「パラドックス定数」の主宰の野木萌葱の書き下ろし新作は、イエスズ会司祭であり古生物学者でもあったテイヤールを軸に、信仰と進化論の対立を描く。クリスチャンではない私(と多くの観客)にとっては、違和感、というほどではないが、素直に腑に落ちて来ない題材を選んだことで、評価の難しい作品になってしまった気がする。演出は新国立劇場の芸術監督である小川絵梨子が担当するが、特別なことをしているわけではないように思う。テイヤールの置かれた立場や周囲からの処遇を軸にするのではなく、テイヤール自身の内面の葛藤を扱っているように思えて、それが巧く表現されきれていない気はした。
満足度★
小劇場でブリリアントな舞台を見せてきた野木が、キャスト・スタッフも揃えて初の中劇場進出だ。芝居好きが首尾いかにと胸弾ませる待望の公演だったが、その期待は重く沈んだ。
その芝居の舞台成果を言う以前に、公演の構えにいくつかの疑問があり、それが観客の期待を裏切る要因になった。
大きくは二つ。その一つは、折角創作劇を委嘱したのに、なぜこの素材を選んだかと言う事である。物語は、ほぼ百年前、二十世紀になっても権威であったキリスト教の異端審判である。主人公はフランス人。登場人物もすべた西欧人司祭だ。
ヨーロッパ近代・現代社会とキリスト教とは相互に深い関係があることは周知のことで、それを東洋から見るというのは、それなりに意味のあることではあるが、なぜ現在の日本の、国立劇場で上演しなければならないか、という創作劇の主題が見えない。
信仰による神の世界と、科学による真理との対比、その中で人間は歩み続けざるを得ない(keep walking)と言うのが、きわめて大雑把なこの芝居の要約だが、結局はその程度の平凡な箴言しか言えていない。
野木の舞台がここ数年注目されてきたのは、主に、日本人なら誰でも身体的に馴染んでいる日本の近現代の事件(東京裁判や三億円事件)や遊戯(競馬やポーカー)に素材を取りながら、ちょっと意表を突く、週刊誌的と言ってもいい人間的問題提起から、的を得た日本人批評(もちろん中には汎人類的なものもあるが)を面白いドラマに仕立ててきたからなのだが、この素材では、その面白さを出しようもない。では、日本の近現代史、あるいは現実の社会の中に同じテーマを持つ素材がないか、といえば、いくらでもある。
現代劇を上演する公立劇場で、ましてや国立劇場なのだから、そこを逃げてはダメだろう。かつて、井上ひさしがこの劇場に登場した時はさくら隊が素材だった。後には戦争三部作も上演した国立劇場である。この芝居だって商業劇場でやっていないことをやりました、と言うかもしれない。三島だって「サド侯爵夫人」を書きました、と言うかもしれない。しかしそれは社会の中での演劇の役割を知らないものの暴論である。ひょっとするとこの劇場には、野木の(あるいは劇場の)この企画を再考しようと提言した者がいなかったのではないか。それは役人仕事の事なかれ主義、点取り稼ぎでしかない。
二つ目。本公演に先立って、プレビュー公演があって、それを見たこのコリッチ・レポートによると、観客にアンケートを求め、本公演までの三日間で指摘された箇所を修正して、本公演に臨む、とされていたそうだ。どんな形式でアンケートをしたのか、それをどのように舞台に反映したのか、興味があったが、本公演では一切それについては触れられていなかった。
それはいいとしても、そもそも、演劇が幕を開けると言う事は、制作側から観客に完成品を見せる、決意表明でもあるべきで、デパートじゃあるまいし、お客様からご要望をお聞きし直します、というものではない。90年ごろから観客の意向を反映する、観客参加型の公演が多くなってきた。そう言う演劇の役割も解るが、この芝居は仕組みが違う。それをここで言うのは単に観客への媚態か、制作側のエクスキューズでしかない。
この公演は、制作側は全力を尽くして、自分たちの作り上げた舞台を見せる、観客はそれを見る、というストレートな演劇体験を目指している。もし、直したなら、それを明示しなければアンケートに答えた観客に失礼だろう。
以上、主に二つの点がひかかって、この芝居、素直に楽しめなかった。舞台成果としては、さすがに役者がそろって、代役で出た神農には気の毒だったが、小林隆は今までにない幅のある役をこなし、伊達暁も円熟してきた。全体に役者が舞台を楽しんでいない気分が見えたのは残念だったが、まだ公演数が少ないから仕方がないか。さらに残念なのは、折角中劇場に出たのに、パラドックス定数がよく上演する小劇場の舞台を踏襲して代わり映えしなかったことで、逆に、このキャストで小劇場で見てみたい、と思った。それは金の問題で折り合わないところが、また演劇らしいところなのだが。
満足度★★★
ヒトの進化論の研究者で、かつイエズス会司祭であったテイヤール(神農直隆)を中心に、信仰と科学をめぐる議論と葛藤を描いていた。テイヤールを審問するドミニコ会道士(近藤芳正)との対立が、一番の対立軸だが、作劇上はそこが少し弱い。
テイヤールの真面目な人格を信じているイエズス会の総長、弟子、同僚神父がテイヤールを支えている。力関係は1対4なので、どうしてもドミニコ会士の分が悪い。神による人間創造説の非科学性とあいまって、対等な対立にならないので、あまり議論に引き込まれなかった。これは少々マイナス。
しかし、一緒に見た同僚は大変感心していた。大学がキリスト教系で「キリスト教概論」の天地創造やアダムとイブの荒唐無稽についていけなかったそうだ。「聖書の話はすべて比喩ではないですか」というセリフに、「そうだったのか。そう考えれば悩まずに済んだのに」と膝をうっていた。信仰と科学の一体化を目指すテイヤールの話に、かつて疑問を覚えたキリスト教の神とは違って、親近感を覚えていた。
満足度★★★★★
鑑賞日2019/07/07 (日) 14:00
座席1階C!列
この「骨と十字架」も、全くの予備知識なしで拝見。何の話かも知らずに拝見すると、神父らしい装束で、皆出てきて、どうやらバチカンの話らしい。では、いつの話かしらんと思っていると、どうやら創世記の話と進化の話が出てきて、19世紀以降の話だよね、と思っていると、北京原人の話が出てきて、登場人物を「シャルダン」と呼んでいて、えーっ、ティヤールド・シャルダンの話かい、と気づいた。そうだバチカンが進化論を認めたのって、極々最近だということに思い至った。
話の体裁が、何とも中世的な感じがしたのだけれど、確かシャルダンって、現代史の人だよなあ、こんな議論がまだ半世紀ちょっと前にもあったんだ、とすごい隔世感。
内容は信仰と科学、そしてシャルダンへの敬愛と同情を感じながら、自らの信念に忠実にあろうという人々の物語。なかなかのハードボイルドなストレイトプレイ。
プレビューという位置づけで、アンケートなどを手掛かりに、3日間のインターバルで直しを入れての本番となるそうですが、これ何直すんだ?というくらいの緩急挟んだ、しっかりとした出来。演出の小川さんが前説で、アンケートの協力を切にお願いしていましたが、
役者の巧拙も含めて、何を注文すればよいんだ?好奇心から、アンケートを拝見したいくらい。
神農直隆、伊達暁、佐藤祐基、3氏のエッジの効いたセリフ回しに、小林隆、近藤芳正両氏の穏やかかつ強いセリフ回しが絡んで、各役の懊悩の物語をすんなりと聞かせてくれる。そして、各人の階上、舞台内での立ち位置が、それぞれの心情をうまく表現していて素晴らしい。動揺、不安、懐疑、決意等々を、セリフなしで感じさせてくれる。
好みもあるとは思うけれど、小川さんの新国立劇場演劇部門芸術監督就任後の最高傑作ではないか。
満足度★★★★★
プレビューを観てきました。
野木さんの作品を観るのは3作目ですが、すごく「らしい」印象でした。
言葉の応酬が大変に刺激的で痺れました。
理解が追い付かない部分があったので、もう一回観たいです。
がっつりした会話劇が好きな方にはお勧めしたいです。
あと、こういうことを言うのも何なのですが…硬派な男性芝居の関係性にときめく女性の方にもお勧めしたい…かな。とにかく多くの方に観てほしいです。ストイックな衣装も素敵でした。
近藤さんが少しセリフが聞き取りづらかったですが、軽妙な感じで今作中では唯一のユルさもあって良かったです。
新国立劇場のツイッターに載っている相関図を見ていて良かったと思いました。「検邪聖省」は耳で聞いただけではわからなかったかもしれないので(どんなものかは話を聞けばわかりますが)。
プレビュー公演を観劇。
作品としては、丁寧な展開の分やや冗長に流れエンディングも
時間切れで尻切れトンボの感は否めないが、神と人との関係性の逆転や
将来のオメガ点の萌芽などにまで触れられていたのは好印象。
ただ、進化をめぐる学問と信仰、科学と宗教(神学)とのあり方を
あそこまで取り上げるのであれば、一方向直進的な進化のイメージだけでなく、
求めすぎは承知の上で、より現代的な広い観点から仮想的にでも例えば、
ウィルソン、ドーキンス、グールド、スミスらの思想(宗教観、進化観など)
をも取り込みさらに踏み込んだ劇論が繰り広げられるのを観てみたかった。